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日本計量新報 2015年10月18日 (3077号)

その水量には耐えられてもそれ以上だと護岸は決壊

雨が降りつづいたために川の水が岸を越え、岸を削りとって周囲の住宅を襲うことがたびたびある。何年もの間にこれほど雨が降ったことがないとはいっても、もっと長い間には倍もの雨が降ったことだってあるのが普通だ。護岸の堤防は常に降る程度の雨であればあふれないように計算されている。それを超えると非常事態であり、堤防は役割をなさなくなる。このような水害があると壊れた設備の復旧の需要が生まれる。これを好機と考える不届き者がいる。商店のハカリと産廃施設の大型ハカリは水没し、ガソリン計量器の被害も起きている。
 平野があるのは河川の氾濫によるものなのだ。濃尾平野の河川は木曽川、長良川、揖斐川などが氾濫してできあがった。これらの川は河口ではほとんど1つになっている。川がつくった平野に都市をつくり、都市には住宅が密集する。これらの川は氾濫しないと決めていないとこのようなことはできない。水害の教訓はノアの箱舟に明瞭に示されている。人は河川の氾濫地域に大きな都市を造って住む。
 安全のためにできることはここまでのこと、ということで雨量と河川の水量を推し量ってその数字を決める。護岸の強さあるいは高さはここまでだと決めてしまう。実際にはそれ以上のことが起こるのだけれども、それ以上のことは知らないとしないとこれらの物事は決められない。役所も、ほかもそのようになっているのだからとして、そのようにしていれば「安全だ」と、疑うことをせずに行政に励む。内部からこの地域に都市をつくり住宅街を広げたら危ない、などと疑問を持ち提言する者は、いちゃもんをつけるなと排除するのが社会である。
 山岳地帯の急流河川はライブカメラを数多く設置していてそこそこの監視体制をとっているのに、平野部の河川の監視はなおざりにされているように思われる。東京などの都市部の水害対策はそこそこのことがなされているが、それで万全ということはなく、ある量を超えた降水や上流部での集中降雨があった場合には対策は用をなさなくなりそうだ。東大理学部で寺田寅彦の教えを受けた旧計量研究所の所長が述べた言葉がある。「ビル建築工事現場の下を歩いていればモノが落ちてくることがある。モノに当たりたくなければ工事現場の下を歩くな」。
 住宅の耐震構造もそのようになっていた。旧来の住宅法規によってつくられた建物は駄目だから、耐震補強をしろ、できなければホテルなどの営業はできないということになっている。人が思って決めたことが駄目なことであったということはよく起こることだ。しかし耐震構造とその設計には呆れる。新しい耐震規制にしてもこれで十分ということはない。限界の想定を引き上げただけのことなのであり、それ以上のことが実際に発生する。地震の起き方は単純ではない。地盤の性質、揺れ方の性質によって現在の耐震構造の10倍の強さが求められることもある。
 物事の決め方は、大体はこのようなことだろうと推し量ってのことであり、それはいい加減であったり、でたらめであったりする。このように決められているから、それに対応するにはこのようなことでよい、というだけでは駄目だ。そのような決められ方が間違っているのではないか、と思うことこそ大事なのではないか。そもそも物事の決め方はいい加減であり、同時にでたらめなことを含んでいるのだから。

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