What's New計量新報記事計量計測データバンクOther Data会社概要出版図書案内リンク
2008年1月  1日(2705号)  13日(2706号)  20日(2707号)  27日(2708号)
社説TOP

日本計量新報 2008年1月1日 (2705号)

計量に関するさまざまな言葉と文化の継承と国民福祉の増進

現在の日本に国家戦略があるようで実際には何もないことは、政府の揺れ動く行動によってわかる。狡智きわまりない近隣と遠方の大国・小国など諸外国にいつもだまされつづけている。安全保障の面でもそうだ。国家の基軸となる法の在り方も怪しくなっていて、経済は壊され、国の安全とその維持の長期戦略もない。郵政民営化にはアメリカの金融政策の陰がちらつく。規制緩和や中央から地方へ、という流れが日本を良くするように作用していないのは政策のどこかに欠陥があるからだ。ISOの品質規格とその制度の日本への蔓延しても、アングロサクソンにしてやられたりの観があるのは思い過ごしではあるまい。

 日本の計量制度の骨格となる計量法の在り方に変化がおきた結果、地方計量行政は計量法が規定する行政の実務を怠るようになっている。国も地方公共団体も財政が逼迫するという状況下で、「官から民へ」「中央から地方へ」といった政策が出され、計量法はこれを取り入れて行政の事務を民間が行えるようにし、国の事務であった計量器の検定や検査を地方公共団体が主体となる自治事務に切り替えたのはいいが、地方公共団体は逼迫財政ということもあって計量行政の体制を後退させているために、計量行政事務を全うできないという状態が散見される。計量制度に対する国家の政策の選択と計量制度の設計の間違いが、結果として計量行政の規則違反といえる行政事務の実質上の放棄現象をもたらしている。
 国の制度を設計し国の行政事務を執行するためのリーダーは「エリート」と呼ばれる。このエリートたちが計量制度と計量行政の長期的な戦略を立ててそれを実行すべきであるにもかかわらず、規制緩和、官から民へ、中央から地方へ、といった「政府方針」を鋳型で射抜くようにそのまま計量制度に当てはめてできあがったのが、現在の計量制度である。最悪の状態にあるのが自治事務下での計量器の検定業務であり、はかりの定期検査は法律の規定どおりに実施されなくなっている状況が拡大している。
 国の在り方や計量制度の在り方を説く国の側の説明は、美辞麗句と大言壮語で飾られている。「トレーサビリティー制度」といわれる、計量標準の供給事業者の規模および標準の内容拡大に関しては、「国は全力を挙げて」という表現をしているが、今までの経緯からしてそれは嘘だろうと感じられたとおりに、この言葉が使われて2年が経過しても「全力」という状態ではない。経済産業省の計量担当職員と地方計量行政職員、計量関係団体の関わりの在り方については、所管団体に対して計量団体とその役員、職員がどうしてもへつらうという実際行動となる。中央官庁の役人が美辞麗句を並べて政策をうたうと、ごもっともとばかりにその言葉に酔い、自らもその言葉を用いて得意となるのが落ちである。何と馬鹿なことか。その結果が計量行政の自治事務化である。自治事務化の決定は計量行政審議会といった公の場で議論されることなく決定したことであり、その後のはかりの定期検査の実行率をはじめさまざまな計量行政事務の実施を後退させる要因となった。
 計量行政の制度設計をしたかつてのエリートたちは、計量制度のことを学び、計量の技術面についても先人から徹底的に学んでから行動したものである。日本の計量制度はドイツなど欧州先進国の制度に学んでそれを下敷きにしてつくりあげられたものであるにもかかわらず、その美質をいとも簡単に捨て去って、役所の側が計量法令を守れない状況をつくってしまうとは何事であろうか。計量制度がしっかりしていなくては、国の経済と文化を含めて国民生活に関わる基本に歪みができ、相互の信頼はもとより自らが自らを信ずることができないという忌まわしい状況が生じることになる。「エリート官僚」が自らの功績になる点数取りのために日本の計量制度をいじってはならない。計量記念日の変更にもその意図があると推察する人がいるが、一方ではそれを進言した団体の長がいたことも事実である。
 かつては、全国計量行政会議で計量制度のことをまじめに語ることが盛んに行われていたが、今ではこれがなくなった。地方計量行政に従事する職員に覇気がなくなって、自らの使命である計量行政を情熱をもって語らないし、語れなくなった。計量制度を維持してきたのは地方公務員であり、計量技術に従事する国の機関と国の統轄機関である。「巨星落つ」がごとく2年前に他界した齋藤勝夫氏とその同世代の地方計量行政職員は、中央官庁の行政職員、技術職員と丁々発止、ロマンと熱意に満ちた発言と議論を全国計量行政会議ほかさまざまな場でしていたものである。計量の本来の在り方とその実行に生き甲斐を感じて生き生きと計量器の検定と検査、適正計量の実現のための指導業務などの行政事務を行っていた人々は、何時でも自分の言葉で計量の制度とその在り方、具体的な実行方法まで実に多弁に語っていたものである。計量行政に対するロマンと熱意が減じているなかでこうした計量行政を語る言葉が減る過程で、計量制度とその実際の行政事務は機能を劣化させ、はかりの定期検査が法が定める内容どおりに実施できない状況が広がっている。

 キュリー夫人やショパンを生んだポーランドは、18世紀後半にプロシアとロシアとオーストリアに分割占領され、以後第2時大戦が終わるまで地図上から姿を消した。占領国に統治されていたポーランドは公用語からポーランド語を奪われた。にもかかわらず監視の目が甘い部分では学校でもポーランド語を使いつづけた。ポーランド人がポーランド語を使いつづけていたことが第2次大戦後のポーランドの独立につながった。ポーランド人からポーランド語を完全に奪い去ればポーランド人はいなくなる。言語は民族としてのポーランド人を成立させる根源である。ポーランド語があるからポーランド人があるのだ。計量制度と計量行政とさまざま計量に関しても然りであり、計量に関するしっかりした言葉と文化が語り継がれていることによって計量制度と計量行政は魂の輝きを増すことになり、このことによって日本国の経済と文化が発展し、よって国民福祉が増進される。


記事目次本文一覧
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.