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日本計量新報 2012年11月4日 (2940号)

「田口メソッド」と日本の計量管理運動

計量の世界に計量管理という言葉があり、計量管理は計量士国家試験の科目でもある。計量管理とは何であるか、という問いに国家試験的な模範解答を寄せることはやさしいが、果たしてその模範解答の内容に基づく計量管理業務が実際の現場業務で受け入れられるかというと、その実践の方法を含めて心許ない。それでも計量器を国家標準と正しい関係で連結し、その計量器を使用して、技術的にも社会的にも経済的にも計量法の面でも整合性の取れた計量を確実に実施することは、計る者の使命である。
 計量管理は戦後経済と産業の復興期にあって品質管理と連動して重要な技術要素として理解され、品質管理の礎(いしずえ)として企業の大小を問わずに熱心に研究され、現場に取り入れられた。計量管理は戦前であっても戦後であってもモノをつくったり、サービスを提供する場合になされていなければならない不偏の技術要素である。その計量管理が戦後になって品質管理と連動して意識されるようになった。わかっていてもそのことをしっかり意識していることと、意識から外していることの違いは大きいから、戦後の計量管理運動の盛り上がりは品質管理運動に助けられていたとはいえ、その意義は大きかった。
 品質管理や計量管理と違う領域の学問・技術体系として品質工学ができあがっていて、この方面の理論的・技術的先導役として田口玄一氏が大きな役割をはたしてきた。
 田口氏は統計学の視点で物事をみて分析する天才であり、技術開発や生産現場で利用性の高い実験計画法などはロバスト工学などとも呼ばれる「田口メソッド」として打ち立てられ、これがやがて品質工学に発展した。田口氏は重要な活躍の場を米国などに置き、インド統計研究所客員教授、米国プリンストン大学大学院教授を務め、1980年に米国ベル研究所で「田口メソッド」を応用した研究開発を推進、またフォード社をはじめ米国の主力産業で製品の品質向上のために働いた。この貢献によって1997年にデトロイトの米自動車殿堂入りをしている。日本人としては本田宗一郎氏、豊田英二氏に次ぐ3人目の栄誉。
 田口玄一氏はかつて単独で存在していた計量管理協会で会員と一般向けに実験計画法の講義をし、普及のための手伝いをしていたことがあった。その後、田口氏の日本における活動の中心部隊は日本規格協会に移り、その後に矢野宏氏の特別な意気込みに引っ張られて「品質工学会」設立をみた。田口氏の視点はあくまでも統計学を基礎にした実験計画法であり、その実践と応用の場面として産業一般をみていた。東大教授の茅野健氏とも親交の深かった田口氏は、その茅野氏から「天才的な常識人」と称されていたように、世の中と産業一般に温かい目を注いでいた。田口氏は物事をみて言葉を発するときにいつでも自己が確立した統計的手法に立地しているため、世俗的な考えにもとづいて世俗的な言葉で質問すると、その回答が雲のようで要領をえないように思われるのであった。日本の計量管理運動は「田口メソッド」の手法を上手に取り入れることができないでいて、その手法は「品質工学」として別の学問と技術分野の体系として独立してしまった。

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