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日本計量新報 2012年11月25日 (2943号)

人の健康と計測する装置としての医療機器

病気は突然に人を襲う。心臓発作と脳溢血によって生の終結に追いやられる人は多い。痛みが現れない癌疾患の場合は、気づいた時点で手遅れになっている場合が多い。心臓発作、脳疾患、癌によってそれまでの生活を中断されても間もなく普通の状態に復帰する人は多い。罹患したときの心身の苦痛はどれほどであったか。家族がいてその人が一家の働き手であればどんなことをしてでも仕事に復帰するという気持ちが闘病を支える。会社経営者であればいま自分が抜けたら事業の伸展に支障をきたす、という思いが苦しい闘病を支え現場への復帰をもたらす。このように闘って現場復帰した人を周辺に多くみる。老齢になった直木賞作家の五木寛之氏(1932年生まれ)は仏教をさぐり、生と死を正面から見つめるようになって、そうした後の心模様として、今日も生きていてよかった、という状態になっている。
 身体の病のほかに人には心の病がある。老齢になると脳の退化によってある割合で人はボケる。高齢にならなくても脳機能の退化から生じた思考力、判断力、意欲などの低下が現れる人がいる。思考力、判断力、意欲などの低下に付随するのか、意地の悪さが特別に増大してて組織や社会への攻撃性となって現れる人がいる。その考え、その行動は間違っているのに、その人の思考はそれが正義であるとして完結しているために、友人だった人や恩ある組織や社会に攻撃をしかける。奇怪な人は世の中に大勢いるとしても、その奇怪さが老齢による脳の劣化に起因する場合には周辺は単純に笑ってはいられない。世の「善人」にはそうした奇怪さがわからないために、悪意に満ちた虚言に翻弄されて一緒に行動して、「善人」自らが身を滅ぼすという事例を身近にみている。その虚言がいまだにわからない「善人」が少なからずいるから困ったものだ。とはいっても奇怪な人を見分ける判断力を持つことは大事だ。
 人の健康と医療の関連を考えると、医療機器で計測の仕組みを備えていないものは少ない。健康診断では体重と身長の計測、血圧の測定、血糖値の測定などがあり、聴力の測定においては音波を管理する場面で計測とかかわる。内臓の超音波診断、胃部のレントゲン検査の背景に計測があると説くには少し無理がある。腹部周りを測定するのには単純なテープ状の長さ計が用いられる。血圧測定は普段の生活でもよく行われていることで、体温はそのまま健康の状態を示す。体重の測定とそれに基づく管理は健康生活の基本になっている。体重と関連づけた身体の諸要素の測定は、立ち入った健康管理に役立てられる。ベッドと連結した精密な体重測定器は透析用などに用いられている。この方面の体重計の精密さは際だっていてロードセル方式の体重計の進歩の度合いをつぶさに示す。電子処理できる測定データは利用の仕方によっては、そのデータの集計で病気の部位や病気の状態などを自動的に判定することができる。現在の病気診断の基礎となっているのは測定して集められた諸データである。ある大学病院の医師はパソコン画面の問いに対して、イエス、ノーと答えてから、病名を決め処方をする。
 そうしたことの一方で人の健康を問診だけで計ろうという研究を品質工学の創始者の1人の矢野宏氏らが医学の研究者とともに進めている。ボケの状態などは問診である程度わかることであろう。夜間に台所で包丁を一生懸命研いでいる老人の姿があって、これは昼と夜とがわからず、何かの思いによってしている行動なのであるけれど、これをみた家族はぞっとすることであろう。いろいろ計ればこのような結果になるということの集大成によって、問診を通じて人の健康や病気への罹患状況を求めようというのが矢野宏氏らの考えである。病気診断に計測器を用いなかった昔の漢方医などは同じような作業をしていたものと考えてよい。計らなくても計ったのと同じ結果を生み出すという発想は、品質工学の分野に存在しているようだ。

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