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日本計量新報 2012年2月12日 (2904号)

その思考方法と行動様式は正しいのか

 2012年の箱根駅伝の中継でアナウンサーが、大会運営に協賛会社提供のハイブリットカー各種を使っていることを挙げて 「環境に配慮した競技会である」とてらいもなく語っていた。現実的に考えれば、数台のハイブリットカーが二酸化炭素排出の抑制に果たす役割は微々たるものだ。「環境に配慮」することが流行のようになって、イメージ向上を図るため人々が揃って環境への貢献を主張する風潮がある。
 
 歴史的見地から総合すると、環境への「優しさ」とは人が地球上に増えすぎないことである。人は、地球自然との調和があって生存できる。にも関わらず、人は地球上で限りなく増え続けており、都市はビルで埋め尽くされ、農業用水などに使われるため川の水は海に達する前に涸れてしまう。食糧不足は地球規模で深刻である。
 人は生まれてくれば、たくさん働いてお腹いっぱい食べたい、今より豊かに暮らしたいと願うことは当然のことである。かつて日本に暮らす人々の生活は食べること生きることで精一杯であった。経済規模の膨脹著しい中国もそうであった。経済成長を国の目的に掲げ自分たちの豊かさを求めて、自然破壊や環境汚染に配慮するゆとりもなく邁進してきた。現在でも、世界にはそのような状況にある国々は多い。
 「環境」への配慮や「環境保全」は、国際間や国をあげての政策が整い、一丸となって動くことが必要不可欠である。現況をみると、肝心な仕組みがないまま国や自治体がマスコミと結託して、個人の「エコ(環境)意識」を煽っているだけのように感じる。
 本来、自然への敬いは自然のなかに身を投じることによって得られるものだと考える。今の環境行政は、保護区を指定して立入を禁じるなど自然に接することを禁じる「環境保護」政策を実施している。このような社会では、エセ環境主義者が増えるだけではないか。
 
 本質を欠いた決まり事の決定と、無思考な実行はかつての日本の軍国主義時代の思考方法に通じる。「エコ(環境)」を語る場合の多くが、風潮に流されているように感じる。人は多数意見に流されやすいものである。
 自分の思考方法や行動様式に無思考がありはしないか。個人や企業は、常に問いながら行動すべきである。

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