計量新報記事計量計測データバンク会社概要出版図書案内
2013年11月  3日(2986号)  10日(2987号)  17日(2988号)  24日(2989号)
社説TOP

日本計量新報 2013年11月24日 (2989号)

産業の栄枯盛衰と産業の神経としての計量器産業

1960年でもよい、それが1970年でもよい、結果として日本は高度成長期の経済を突き進んでいて、ある人は十分な稼ぎをあげて自家用車を買って使い、当時の庶民の憧れは3Cであり、その後その3Cは多くの人が手に入れて、それを使うのが普通の生活となり、同時にそれは日本の文化にもなった。時代は1965(昭和40)年ごろのことで、家庭で買って持っていたいというのが3Cで、カラーテレビ(color television)、クーラー(cooler)、自動車(car)であった。3つめの自動車はそう簡単には手に入れて使うことができないものではあったが。
 カメラ、掃除機、冷蔵庫に洗濯機なども同様であり、写真機と家電は生活者の欲しい品物であった。現在、家電販売をする街の小さな電気屋は衰退し、写真機屋はDPEを含めてほとんどが消えた。フィルムを使って撮って印画紙に焼き付けるという写真文化が引っ込んだ。デジタルカメラの分野にソニーとパナソニックなどが参入して、ミノルタはコニカと一緒になった後に、ソニーに吸収された。思い出と生活を写す写真は携帯電話型の機器が担うという状況であり、この方面のカメラ機能はさらに強化される。
 計量器産業でいうと、金属製モノサシの産地であった新潟県の三条市と燕市の製造事業者は、量産方式を軌道にのせてその販路を独自に開拓した者が成功者となった。竹製のモノサシは、その需要が著しく減退したために単独の事業として成立しない状態であり、全国にそこそこの数が散らばっていた事業者で名を残すところは少ない。ハカリ事業者も同じである。古くは江戸期の秤座からつづく各地の名門秤屋で、製造と販売の才能にひいでた特別な経営者がいるところを除いては、現代までつづいている企業はない。
 一つのところでそれなりに一生懸命に仕事をしていても、時代の潮流と経済の在り方が急激に変化すると、取り残され、置いてけぼりをくい、その一生懸命さが実際上は意味をなさなくなる。時代の流れと経済の動きの速さに負けない経営のあり方を身につけていないとならない。皆がそのように振る舞うことができないから、発展している者とそうでない者とに分かれる。繊維産業、軽工業、石炭産業、石油産業そして重化学工業や鉄鋼など次々に時代の花形産業が移り変わった。計量器産業にはさまざまな性質があるなか、そのうちの一つとして諸産業の神経の役割と果たすということがあり、その神経の大きさ・重さと産業の大きさの比率が非常に似ていることを日本計量機器工業連合会の専務理事をしていた故小泉袈裟勝氏が指摘した。

※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら


記事目次社説TOP
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.