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日本計量新報 2014年4月6日 (3005号)

意図した計量のミスと間違っても大過ない仕組み

新聞社の七つ道具に録音機とカメラがある。その昔、名古屋で録音して東京で再生したらテープレコーダーからの音声がまのびした。テープレコーダーがその電源周波数がそのままモーターに作用する構造であったからだ。カメラ庫にあった期限切れのフィルムをつめて撮影したら薄ぼんやりとして使えなかったこともある。経済学者のガルブレイスがテープレコーダーに吹き込んだ内容は録音されていなかった。大がかりな企画で重要な本をつくるためにギリシアの島でした録音であった。アメリカからその島に飛んでもう一度録音して本を完成させ、その本はベストセラーになった。
 工事中のビルからの落下物の難を逃れるにはそのビルの下を歩かないことだと東京大学理学部卒の計量研究所長であった人が雑談のときに述べた。寺田寅彦と縁があった人である。カメラを壊さないためには落とさないことである。かつてカメラのライカは家一軒とか若い公務員の年収以上といわれる値段であり普通の人とは縁がなかった。ある有名な写真家はライカを机の上におかずに床においた。ここにおけば落ちることがないからだという。今の工業用プラスチックを多く用いたカメラは落としても壊れない。
 都市化された社会では経済も生活も脳の働きで機能しているようだ。役所はあれをするこれをすると考えお金を用意してそれを実行する。すると決めた大事なことを担当者が忘れたために仕事がパーになることがある。民間事業者でもおなじことが日常茶飯事である。やるという明瞭な声があってもそれをしない。担当者の業務の遂行の確認は大事なことであり、やったという報告がない限りやられていないと思ったらいい。
 JR北海道では線路幅が脱線する危険がある領域になっていても、既定値内であることにしていた。乗客が少ない北海道で採算をあわせろと強行した国鉄の民営化の無理が露呈したといってもよい。やればできる、やらなければならないことをやらないで済ませるということはどこからきているのか。現代社会における仕事の多くが脳の働きによってなされているからだ。その意味では人は信用できない。線路幅が広くなりすぎることと、ジャガイモが実って収穫時期となり、それを掘らなければ生活できないこととを対比すると、線路幅はどうでもよいこととなりがちである。大学を出たばかりの技師が設計した機械は形式上の数値の組み合わせでできているためにギシギシして動かないことが多い。歯車ほかの構成に遊びを計算できないからである。設計のやり直しか一部の部品の組み直しかで対応することになるのだが、人の育成にはお金と手間暇がかかる。
 計測の世界では社内の標準器がまともでなかったということはザラにある。現場の計測においても測っていたことが全て違っていたということもある。調剤薬局はインフルエンザ治療薬のタミフルを規定の何倍もの量で調剤した。調剤用の電子天びんがグラムの設定ではなく別の単位に設定されていたからだ。測っていた薬剤師はそのことに気づかなかった。この目方、この分量は変だ、おかしいという感覚がない人が多い。広い地域で販売する肉饅頭(にくまんじゅう)の量目不足は自動ハカリという質量計の設定の間違いによっておきた。タミフルの調剤ミス、肉饅頭の量目不足の二つは社会を騒がせた。間違わないように注意をはらう一方で、間違っても大過なしという仕組みや体制にすることを考えたらいい。調剤天びんでは少しの対策はなされたが、機能の組み込みなどによる根本的な改善はされていない。

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