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日本計量新報 2016年5月15日 (3103号)

明治政府は度量衡制度と度量衡の基準器を整備することを事始めの1つにした

明治維新が成ったころ、西洋や米国の社会組織と技術と産業の発達に対して日本のそれは大きく劣っていた。米国の黒船がきて向こうでは蒸気機関の鉄道が走っていた。蒸気機関によるエネルギー革命は産業革命を経て経済を資本主義へと解き放ち、それまでの封建制度のもとでの日本との差は大きかった。殖産興業と富国強兵をつうじて世界の先進国に追いつく政策をとった明治政府はなにはともあれ全力で欧米を真似た。

科学技術の発達と殖産興業は対をなすものであり欧米の大学から科学者などを<RUBY CHAR="招聘","しょうへい">して東京大学に学生を集めた。<RUBY CHAR="田中舘愛橘","たなかだてあいきつ">は初期の東京大学理学部で学んでおり、その後に教授となって日本の物理学の土台をつくる役割を担う。

田中舘愛橘は日本の初代の国際度量衡委員となっており度量衡制度を欧米のそれと調和させることの意義を意識していた。メートル法博士の異名をもつ田中舘愛橘は世界を駆け回っていたこともあって空飛ぶ博士ともいわれた。日本の航空機開発の端緒を築いたことをもってしても空飛ぶ博士である。欧米の度量衡制度に対応させるために明治政府は東京大学から有能な人を政府機関に連れてきて日本の度量衡行政の基礎をつくらせた。

現在の東京大学には3000人の入学者があるが、明治のころの東京大学はこの数は少ない。田中舘愛橘のころの理学部の学生は10名を超えないほどであり招聘教授のメンデンホールから直に物理学を教わった。これは教わったというよりも実験と研究の指導を受けたということである。度量衡行政をつくらせた人物にしても数少ない東京大学の人を引き抜いてこの業務に就かせた。

国際分野で交易し科学技術の交流をしていく上からもメートル条約への加盟を含めて度量衡制度の確立が国の重要な課題として据えられ、このための法律が制定された。このことと連動して度量衡の標準の設定としての標準器が整備された。メートル原器、キログラム原器が国際度量衡局から日本に交付されて、これを標準器として日本の度量衡器の検定がおこなわれるようになった。こうしたことは標準の供給ということであり、トレーサビリティ体系の確立と整備でもあった。

政府のなかに度量衡係をつくったのにつづいて、その度量衡係は人材を養成するために夏目漱石の坊っちゃんの物理学校に度量衡官吏を養成するための講習所をつくって度量衡講習をおこなった。この講習所の修了者の一人が後に大阪府の権度課長の関菊治である。関菊治は大阪府のみならず近畿圏の計量行政に権勢をふるった。

計量制度の確立は殖産興業、富国強兵、先進国への仲間入りのために、まずもってやらなければならないことであった。計量技術と計量制度は産業と学術振興の基礎をなす。これをして計量技術と計量制度は社会の発展のための兵站ということができる。

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