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日本計量新報 2016年6月12日 (3107号) |
計量法と計量行政の変遷と放射線測定器の在り方計量行政機関と計量協会はどのような結びつきにあったのか。1948(昭和23)年の事実からみてみる。 東京都計量協会を事例に引くと、日本度量衡協会東京支部が改組して48(昭和23)年7月12日に設立された。主権在民の日本国憲法が公布された5月3日から3カ月の後のことである。設立発起人は業界の有力幹部の高橋勘次(薬業関係)、鴨下辰五郎(度器製造)、赤堀五作(衡器製造)、加藤勝衛(薬業関係)、加藤繁次郎(専業販売)の5氏で、設立当初の役員は会長が東京都経済局長の田中唯重氏、筆頭副会長が東京都経済局総務課長の福富恒樹氏、理事長が東京都経済局権度係長の岩崎栄氏、他の副会長二名は民間人で仁丹体温計の中村竹次氏、東京都医薬品計量器卸商組合の高橋勘次氏。事務局は東京都権度係の事務室のなかに置かれた。 以上のように48(昭和23)年ころにおける日本度量衡協会東京支部から東京都計量協会になるにあたっての役員構成が示すように「官主民従」であった。公務員が関係団体の重要役員に就任することは56(昭和31)年頃にはなくなった。 51(昭和26)年6月7日に公布された計量法は戦後の憲法体制に適合するよう度量衡法から変換されたものである。ここでは計量器製造、修理、販売の各過程の規制制度は踏襲した。計量協会は役所が民間を統御するための組織という性格が強かった。したがって事業規制を受ける関係企業のほとんどが会員になっていた。 計量法は改正のたびに計量器と計量事業に対する規制の簡素化を決め、規制の簡素化はそのまま計量協会会員の減少に連動している。このような事情があるので計量協会の運営と継続には困難がある。 長期の視点で計量法と計量行政をながめると変化の大きいことがわかる。役人の世界では「行政に飛躍は禁物」という警句があってこの言葉はかつての通産省計量課で課長をしていて重工業局長をしていた人が密かに語っていた。そのようなことだから計量行政に不具合がある事実が広がっても、法律や政省令の改正は余程のことがなければおこなわれない。 地方分権一括法が成立したのは99(平成11)年であった。このときに間違って計量行政を機関委任事務から自治事務に移行させたのは地方分権推進にかかわっていた当時の計量行政室長であった。移行は計量行政審議会を開くことなしに、したがって議論もしないでおこなわれた。 計量行政は全国一律に実施すべき国の行政事務であり、自治事務に馴染む性質はもっていない。地方分権への移行の命を受けた計量法を直接に監視し監督する当時の計量行政室長の単純な判断で計量法が機能しなくなる自治事務としての処置がなされた。誤った判断でありこのことによって日本の計量行政の実施の状態は大きく後退し、救いようがない状態に陥っている。黒船来襲にも似た状態にあわてふためいて「飛躍は禁物」であるはずの行政がドジを踏んだ。 長い目で見たときに環境計量を環境計量士制度のもとで実施するようになったのは大きな出来事であった。横須賀港に入港した原子力空母による放射線汚染を隠すために計測データをねつ造したことが国会で取り上げられ、田中角栄首相が計測の信頼性確保の求めに応じたことが環境計量士制度の創設となった。この制度変更にさいして「行政に飛躍は禁物」の状態であり政治が作用してのことであった。 計量法の諸規定の大部分は「取引と証明」に関して取りまとめられているといってよい。ハカリを使っての計量の値を証明する分野では計量証明事業者が旧来のままに「登録」制度を踏襲している。 放射線計測が食品他の安全にかかわって、ある値を超えるか否かで、商品として供給できるかできないかが決められている。この計測が証明であることは論を待たない。しかしながら計量法で放射線測定器を直接の規制対象にするためには特定計量器に指定してその性能の確認方法を定めなければならない。計量法における証明のための計量器に放射線測定器をふくめるためには、行政はしてはならない飛躍をすることになる。この決断をする責任体制が関係当局にあるかどうかで、それがなければこうした重大事項は存在しないこととして取り扱われる。 計量法に基づく計量行政は国の重大な業務であり、それはまた政治である。つまらないときに誤って飛躍をして計量行政を崩してしまい、大事なときにその問題はないことにして手を打たないということがあるかもしれない。
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