2016年11月 6日(3125号) 13日(3126号) 20日(3127号) 27日(3128号) |
社説TOP |
日本計量新報 2016年11月20日 (3127号) |
物事の状態にあわせた程良い正確さの実現こそが計量の神髄であるタイ国ほかアジア諸国への計量行政は日本からの技術支援によってある水準を確保しているということができる。そのタイ国では長尺モノの長さ計の検定業務をおこなっている。日本もかつてはこの種の計量器の全品検定制度が敷かれていたが今は検定を実施する対象となる特定計量器の数が大きく減じていてモノサシの検定は実施していない。 新計量法と呼ばれる現在の計量法に移行するにさいして、<RUBY CHAR="曲尺","かねじゃく">の産地であった三条市界隈の家族規模の製造事業者からこの器種の検定制度をこれまでどおりに残す希望が強くでていて、中央の計量行政当局の担当者が検定制度の存置はできない旨の説明をしたことがあった。この場に参加したのは、関連事業者の新潟県計量協会の役職者と新潟県計量検定所であった。曲尺であっても端が大きく曲がって背に着くほどのモノもあり、それを造る者は誇りを持っていて、こうした製品には特別な需要があった。そうした製品が計量法の検定を受けて出荷されることが習わしであったから制度の存置を希望したのであったが、叶えられなかった。 金属製のモノサシ、その長尺モノなどの製造は目盛りを刻む際の焼き込みの土台になる装置が正確であれば悪い製品ができあがることがないために、この方面の検定制度はなくされた。曲尺などでは目盛りを鏨を打って刻む方式が遅くまでおこなわれもしていた。 途上国の計量器の検定のようすを知ると、何をどこまで計量法が検定制度の対象にするのか考えさせられる。測量におけるレーザー測長器の使用、人工衛星を使ってのGPS測量などがおこなわれるようになると、計量法の旧来の検定制度にのった計量器と比較してさまざまなことが想起される。 日本の工業技術の基礎力と計測技術の発達、さらには国民の文明への開明度の1つとしての計量意識の確かさは世界でも有数の状態にある。計量意識とは国民が計量制度や計量法を知っていることではない。計量の知識や技術を修得していることでもない。科学を含めた教養を身に付けていることこそが計量意識と連結していると考えるとよいだろう。 ノギスやマイクロメータの使い方がわかればそれに越したことはない。ハカリに分銅を載せて動作を確認するほどの意識があれば立派だ。変に立派すぎて1mm目盛りの直尺を使えば用が足りるのに長尺のノギスを持ちだして0・1mmの単位で計測することの愚を知らないということがある。用途に合わせた精密さを心得るということが大事であるのに何でもかんでも精密に計って、要りもしない桁の数字を記してることがある。 こうしたことを<RUBY CHAR="戒","いまし">める言葉としてこの欄では「ほどほどの正確さ」の実現を説いてきた。これは「ほどよい正確さ」「ほど良さ」という言葉を使うと誤解が少ない。物事の状態にあわせた程良い正確さの実現こそが計量の神髄である。そのように考えると地方公共団体の計量行政組織の後退が目に付く。ここでも「適正な計量の実施の実現」のために程よい計量行政組織を維持することが大事である。
|
※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら |