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日本計量新報 2017年1月22日 (3134号)

能力を伸ばし大きな働きをすることの大事さ

イチローが、オフシーズンに日本のテレビニュースをみていると悲しいことばかりが報じられているので、野球は楽しい話題になるので自分のしていることの意義を感じた、と述べている。

日本プロ野球で4年の実働で次のような成績の投手がいる。80試合に登板、先発77試合、完投12試合、完封6試合、勝利39試合、敗戦13試合、セーブ0試合、ホールド1試合、勝率・750、被本塁打22本、失点153点、自責点143点、防御率249である。

別の成績を取り上げる。6年の実働、登板68試合、先発54試合、完投3試合、完封1試合、勝利14試合、敗戦20試合、セーブ0試合、ホールド0試合、勝率・412、被本塁打24本、失点162点、自責点137点、防御率402である。

前者が大谷翔平(199475日生まれ、22歳)投手、後者が斎藤佑樹(198866日生まれ、28歳)投手の成績である。勝利39試合の大谷、勝利14試合藤の間には大きな開きがないようではあるが、多くの人が知っているように日本プロ野球界の宝と並以下のプロ野球人である。

プロ野球は巨人、阪神、中日の球団の勝った負けたで地元スポーツ紙が記事をつくるのとは別に、大谷翔平がテレビ画面に登場して活躍していることで動いている。

大谷翔平の投球球速165kmh20161016日、対福岡ソフトバンクホークスクライマックスシリーズ ファイナルステージ第5戦(札幌ドーム)ででた日本プロ野球の最速記録である。

球速はドップラー効果を利用したスピードガンで測定され、これは車の速度取締のオービスと同じ原理である。165kmhは打者からするとスピード違反である。しかしこの投球速度は投手の手から放たれた直後の初速の瞬間速度であって捕手のミットに収まるときの球速ではない。速いけれどもバットに当てることができる大谷翔平の球筋は回転数をあげて延びを良くするなど課題を残している。

ともあれ嬉しくないニュースが多い日本のテレビ報道にあって、大谷翔平の活躍は人の心を晴れ晴れとさせる。

そのような日本プロ野球界の宝である大谷翔平は怪我がないことが望まれる。王貞治と長嶋茂雄には大きな怪我はなかった。松井秀喜は怪我によって活躍が抑制されてしまった。鍛錬をしなかったり、間違った練習をして駄目になる者もいる。良い気持ちの持ち方をしないために駄目になった者も、自ら命を絶つ者もいる。野村克也は日本プロ野球界の宝のように生き残るために知恵を振り絞って大きな記録を残した人。プロ野球は目に見える人生の縮図であるから、ここから学ぶことは多い。

人には「良い学校」をでていてもそれにふさわしい知識や技能を持たない者がいる。知識や技能はあってもそれを発露するに足る意欲を持てない者もいる。人が真似できないほどの知識や技能を持っていても周囲と融和しないために力を持ち腐れにする者もいる。知識も技能も持たない者を励まして、その職務に足るように力をつけさせて、さらにその力を大きく伸ばすように導く者もいる。

学があって徳も併せ持つ人は少ない。明治の始めのころに東京大学の理学部の第1回入学生であった田中舘たなかだて愛橘あいきつは卒業後、英国に渡ってケルビン卿に師事し帰国して東京大学の教授になった。田中舘愛橘は物理学と数学の根底をよく理解した人であった。その仕事は自ら新しい理論をつくりだすという分野に邁進するということよりも、日本の物理学の発達に傾注し、日本の物理学のための人をつくりだすことに力を尽くした。<RUBY CHAR="中村清二","なかむらせいじ">によって田中舘愛橘は「学徳兼備の大儒」と称された。中村清二は(明治2924日生まれ、昭和35年没)東大教授であり文化功労者。

田中舘愛橘は弟子の木村栄の要請によって国際度量衡委員(日本人の初代国際度量衡委員)になり、日本の度量衡制度をつくるために働いた農商務省商工局初代権度課長の<RUBY CHAR="高野瀬宗則","たかのせむねのり">(高野瀬は当時の東大の農学部の教授であったのを度量衡法の制定と度量衡制度確立のために農商務省に招聘された)とも交流をしていて、度量衡制度をつくることにも貢献している。

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