計量新報記事計量計測データバンク会社概要出版図書案内
2017年11月  5日(3170号)  12日(3171号)  19日(3172号) 26日(3173号)
社説TOP

日本計量新報 2017年11月19日 (3172号)

トンボ採りの遊びが仕事でも続けられないか

性能の高く壊れないモノを少ない労力でつくりだせれば競争に勝ち利益を上げることができる。これを継続すれば世界に冠たるトヨタになる。次の技術革新があっても勝ち抜く自信がトヨタにはある。第2次産業においては生産性は重要だ。第3次産業においても同じだ。人が求めるモノを少ない労力によって高性能にして高品質で提供することが競争に勝つための原理だ。同じことを半分の労力でできるのにそれをしないか、それをする気力も知力もない者がこの世には多い。日本にそのような者が多くなっているのではないかと危惧する。

 ATMもインターネットバンキングもない時代の1970年ころまでは銀行口座は通帳によって確認されていた。安い労力の若い人員が銀行にでかけて通帳記帳の業務をした。混んでいれば写真誌を丸ごと読めるほどの時間は若い者にはくつろぎになった。暢気(のんき)な時代であった。

 小倉競輪のデビュー戦で敗着した若者への罵声が「そのままコンビニに行けぇー」だ。読み書きソロバンができればコンビニの業務はできる。コンビニは人手不足だから野次は真実味を帯びる。コンビニ店員の客の気持ちを汲む能力はすぐれている。マニュアルの厳守によって客との関係を主客転倒させてしまう輩(やから)がいることはいる。モノを考えさせないようにしてしまう教育では困る。

 銀行に足を運ぶことが少なくなった。コンビニで用を足すことができるからだ。日本の人口は5000万人ほどまでに減少するといわれている。誰かが言った「昔は貧しかったでしょう」と。ある人が答えた「お金のことで気持ちが滅入るのは今の時代の方が強いです」と。子供が育つには大きな金銭がいるようになった。一家に子供が5人も6人もいるのは過去のことだ。人口減少は必至である。減少の速度と収まり具合がどの程度であるかだけだ。

 1970年ころまでバスでは車掌がバッグを下げて車内で集金していた。鋏(はさみ)をカチャカチャさせて切符を切っていた鉄道の改札係は遅くまでいた。文章をタイプに打って印刷する筆耕業者は1970年代には姿を消した。ワープロとコピーと簡便印刷が置き換えた。文章は印刷せずに送受信して利用するインターネット時代がその後に到来した。乗り物の予約と支払はインターネットでできるようになった。切符を切ることは支払い情報の処理である。そのために人員は配置されなくなった。1万円紙幣をぱちぱちと音を立てて数える銀行員の姿が語り草になる。銀行の窓口業務の人員が縮小し銀行の店舗も数を減らす。

 減らされた人員は別の分野に移動することになる。移動できればよいが、働くに値しない賃金であったりしたくない仕事であれば家庭にこもって働きにでない。日本の社会は医師、弁護士などがすぐれていて、順次序列をなして望ましいとされてしまう職業意識ができあがっている。親がそのように思い、社会がそのように考え、本人もそのようになる。世界も似たようなことだが日本は特殊である。韓国はその上をいく。

 悪い知恵がつく前の子供は無心に遊ぶ。トンボとりなどは子供の純真な行動がさせる。穴を掘ることも川の魚を追いかけることもそうだ。こうした行動に経済と社会の両面で序列をつけてしまうと遊びの純粋さが失われる。子供がそれを意識したとたんに遊びは労働になる。人間の生活はあらゆる働きの組み合わせでできあがっている。その意味で人の労働は尊く、どのような労働にも意味がある。大内兵衛(ひょうえ)が言った「労働に貴賎はない」と。ヒューマニズムだ。

 計量と計測分野では計って組み合わせるという作業を機械がおこなう。これを計れば人の役に立つという新しい計測器も登場した。この先もつづく。省かれた人の労働は生産規模が一定であれば社会全体として働かなくても済むようにみえる。人員を排除すると儲けになる。排除された人は劣悪な分野の労働に追いやられる。

 GDPの6割を占めるのが日本の個人消費である。生産が効率化されたことで排除された人の生活、つまり消費をどのように確保する産業政策と社会政策がつくれるか。少なくなり続ける労働人口とサービスや生産の効率の向上はうまくあてはまる。勝ったものだけが大きな収入を得て、排除された者を極貧の道へ突き落すことにしては、日本の経済は回らない。

※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら


記事目次社説TOP
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.