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日本計量新報 2012年12月2日 (2944号)

「賢き者」が陥る誤りの典型としての旧軍部の首脳組織

物事がよく見えてその内容がよく分かるという状態にあることは素晴らしい。学校で教わることのほとんどは物事はすべて分かっていて生徒はそれを理解することだと思っている人は多い。わけても学校で成績がよかった人あるいは優秀とされる学校に入った人などがそうであることが多い。科学でも技術でもその他の学問知識でも学校で教えることはごく一部であり、実際には大事なことを省いていると考えておいたほうがよい。
 日本の新聞、テレビ、ラジオなどマスコミ報道の内容はほとんどの場合に役所から発せられている。経済のニュースは役所が出した統計数字に依拠しており、犯罪報道も「警察への取材によってわかった」という形で諸事件が報じられる。マスコミはそうすることが低コストでやりやすいからであり、テレビ、ラジオ、新聞社が行政機関と隣接して立地していることからも明らかである。
 江戸幕府の5代将軍徳川綱吉に関して、その父の徳川家光が綱吉の母の桂昌院に、「余は学問の道を嫌って今日に至ったことを悔いている。綱吉は賢い性質のようだから、努めて聖賢の道を学ばせるように」と伝えたというエピソードがある。綱吉は4代将軍となった兄の徳川家綱が若くして死んだことにより将軍職に就くことになるのだが、綱吉は青年のころになると経書を家来に説くほどに物事を覚える状態にあったという。ただ、「仁、義、礼、智、忠」のうち「孝」は母親の桂昌院にのみ、向けられたようだ。綱吉が重病になったときに生まれ年の干支が戌(いぬ)であることにちなんで犬を大事にすれば治癒すると告げたことに従うと偶然にもこれがそのとおりになったので、「孝道は万物に通ず」とばかりに「生類憐れみの令」を発布し、「余は孝に厚き将軍である」そして「余は英明なる君主である」と思うのである。世の中から隔絶された状態で知識だけを吸収する学びの方式はえてして観念だけの学問になりやすい。
このような状態はその後の社会組織にいくつもみることができる。日本の政治は第二次世界大戦に突入するころには政治の実権を軍部が握るようになり、総理大臣職には軍部が就くようになった。その日本の軍部の中枢を支配する層は、陸軍士官学校および海軍兵学校を出た士官から、さらに年次において20名ほどの者が陸軍大学校と海軍大学校にそれぞれ選抜されることによって形成された。この者たちが総理大臣の地位について帝国主義の時代とはいえ日本を戦争へと駆り立てるのである。太平洋戦争開戦の1941年(昭和16年)に東条英機は総理大臣となり、陸軍大臣と内務大臣をも兼ねた。東条英機など軍部首脳候補者は海外大使館などに勤務して世界をみる機会が与えられたとはいえ、軍の教育によって形成された観念では世の中を真っ当にみて理解することはできなかったであろう。したがって徳川5代将軍綱吉と同じように歪んだ観念によって物事を判断して日本を誤らしめたことになる。
 日本の軍部と同じ状態が社会の仕組みの一つである官僚の組織に形成されている。この組織は個々の人物が良いとか悪いとかということではなくそうした組織体制になっているということに特徴があり、順繰りに人がその組織のなかを通り抜けていく空間にも似ている。この戦後の官僚組織が見る世の中はやはり優秀とされている学校で学んだ事柄によってつくられており、同時にまたそれは現実と遊離した観念の世界であるかも知れない。国と国民に都合のよい見方をするよりも、その組織にとって扱いやすい形として世の中をみようとする。その一つの事例が統計を取るときに現れることであり、都合の悪い事実は対象から外し、分かることだけを調べて数字に表したり記載する。統計数字は政府や役所などの意図によって操作されやすい。以上のことは企業やさまざまな組織が、組織方針や事業計画を立案するにあたって考慮すべき事項である。

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