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私の履歴書 齊藤勝夫(第18回計量賞受賞者、元千葉県計量検定所長、元流山市助役、現千葉県計量協会・計量士会会長)
私の歩んだ道−公務員として信念を持って
第3編 新しい夜明け、計量法の歩み
貨車掛の検定検査の実施は大難事
大型はかりのうち、時に貨車掛(貨車はかり)の検定検査用、秤量が60トンを超すため、どの都道府県もメーカーの工場検定を除いては、大変実施に当たっては当時は悩んで苦労どころではなく、有言不実行に近い所長の難事の課題となっていた。そのため分銅直載方式に代わる有効な検定検査方式の出現を望むこと切なるものがあった。 唯一の方法が前述の当時の国鉄の検重車を借用して検定検査を行う方法であった。千葉県が昭和30年後半から急速に京葉工業地帯の造成から基幹産業企業が進出し、操業開始と同時に、千葉県が最大出資してつくった臨海鉄道に付随して設置した貨車はかりが一挙に10指を超える数となった。特に定期検査の毎年一回の実施が苦難中の苦難となりつつあって、その最たる理由が、自社の定修プランの中に組み込めないことと経費を多額に負担しなければならないことは前述したとおりである。
具体案をもって行動開始
官民共通の深刻にして真剣な打開策を宿題として持ち続けて、昭和45年4月自治大卒で課長補佐職から本庁課長職(2等級)に昇格し、併せて事務吏員としての資格も取得して二度目の所長として復帰し、秘めて練っていた構想を、自治大の学習の成果も取り入れて手直して、具体案をもって行動を開始し出すことになった。
当時の資料を恵藤計器が保管
その実現策を当時の資料を持って検証し正確を期したかったのである。その資料が見つかったのである。強固な行政指導を中心にした、実施構想よりも実施計画に近いものであったので、計量検定所の文書としては保存していなかった。その文書が一方の当事者に仕立てられて、その任の一端を負わせられた本県の当時の修理事業者の恵藤計器(株)の書類綴から発見されて、改めて当時の状況と具体策の進め方が判明した。当時の関係者に敬意を表しつつ、そのときの、真の所長としての狙いと行政目的実現の哲学を述べてみたい。
スタッフ所員に恵まれる
二度目に所長として復帰することになったとき、何を自らなすべきか、明確な目標を掲げる柱を、理想(夢)と現実とを持って赴任してきたのである。一度目の所長の時は、二つの大事業即ち計量検定所の庁舎建設と施設の拡充強化と所員人員の大増員という、共に困難な、諺では戒め的な教訓の二兎を追うことに精力を集中し、予想以上の成果をあげて本庁に入り、その経験をさらに持ち加えて理念を強く持ちえたことが幸いし、加えて復帰した職場計量検定所のスタッフは、そのままの体制で旧知の仲間がいたのである。スタッフ所員に恵まれ、天のとき、地の利、人の和の特に人の和に恵まれ、最も信頼できる英材の小林一正検査課長が快く待ち迎えてくれたのである。だからこそ、検重車に代わる検査方法を編み出し実現に向かったのである。
もう一つの懸案事項は所員の大増員
千葉県の計量検定所長として二度目に帰任すると同時に持ち続けていた懸案事項の一つは、一度目の所長のとき、自らは緻密に用意周到に立案し、天の時に恵まれ急速な工業県へと移行の時代の波をうまく手玉にとり、ときの財政課長(知遇を若きときから得ていた後に知事になられた沼田財政課長)の特別の理解と厚遇に恵まれて、一見他から傍察している関係の方々から見れば、なんとがむしゃらに働き動き回っていると思われることが、むしろ当然の程、一気阿成に貫き通した施設の大拡充である。
所員の数をほぼ倍増
もう一つには、所員の大増員即ち一度目の所長就任時の昭和38年度検定所始まって以来初の課制の2課を創設し、当初の14名からその年の末には一挙に9名増の22名に増員し、次の年度に更に、3課制に増やす離れ業を行い、所長に就任した3年目の昭和40年度初めには、さらに2名増員して24名となり、ほぼ倍増となった。 一応の初期段階としては、むしろ予期せぬ成果となって千葉県の計量行政の基礎を固め、新たなスタートを切れたと言えるところまで、到達することができ、望外の布陣を整えられた。その大増員のやり方手法は、ある秘策が見事に功を奏したのであり、その策は、後述する欄の二兎を追った所員の増員のところで述べることにしたい。このもう一つの所員増員は、路半ばにして本庁に入ってしまったので、まだまだ終着駅までやらねばと期していた懸案事項であった。
何とかしたかった貨車はかりの検査方法の改革
この二大懸案事項の前段の施設の拡充のなかに当然行政行為の適法、適正な執行面からみて、どうしても解決の方策を探求して実現させなければならないものの一つに、繰返して恐縮ですが、貨車はかりの検査方法即ち当時の国鉄所有の検重車を県が丸抱えで借り上げて行っている方式の改革である。昭和27年計量法施行以来、当時はまだまだ定期検査は無料で実施し、計量の適正な実施を確保し、ひいては、社会の秩序を確保維持するため、取引証明に使用している「はかり」を国が責任をもって検査し、社会の公の秩序のために不良品を排除している正に公権力の行使であり、国民は受忍の義務で受検するという考え方で臨んでいたのである。 特定財源がなく実施しているので、なんとか改善したかったし、かつ、昭和42年本庁に転属する年と揆を一つにして、計量法改正により定期検査が有料となり始め、ときは、受検企業側にとっても、なんとか軽減負担できないかと案じている社会情勢下にあった。
一日も早く改善しなければならない段階
このような受検企業側にとっても、計量検定所サイドにとっても、それぞれの事情を持ち合わせて、当時としては、当事者能力が発揮できずに、いうならば他人の手を借りて、しかも、その者の一方的に貸してくれる日時に、いやおうなしに従って高額の経費をかけて検査をしなければならない不都合極まる検査方法を、一日も早く改善しなければならない切羽詰まった段階に置かれていた。 明確な命題と目標を掲げて所長に再帰任したときは、人の和は前述のように計量検定所のスタッフは英材が待っていて恵まれ、天のときもこれまた正に好事的中の環境が整ってきており、適切な手段方法を講じるならば、先手必勝間違いなしと確信して持ち続けた構想の実現に着手した。発見された当時の資料を見て検証したところ、昨日のように当時の背景事情が蘇ってきた。
中小企業の育成に力点
当時の国鉄から借用しての検重車による検査方式に代わる検査方法を編み出すにあたっては、千葉県の所長としての計量行政遂行上基本的政策を斬新的に持っていたことは単なる計量法の施行や適正な計量の確保による消費者保護の助長のみならず、県内企業の助長育成特に、中小企業の育成に力点をおくことに政策の柱の一つとしていたのである。
代わりの方式の前提条件は3つ
代わる方式を編み出す前提条件には、一つとして、行っている実量の検査分銅の直乗方式以外の画期的、簡便方式は当面少なくとも向こう5年から10年間は開発研究(例えば油圧か空気圧を加える方法)が実用化の域に入ってこないという前提。二つとしては、検査のみならず検定(所在場所)にも使用できる設備方式であること。三つとしては、検査に要する経費を、検定手数料又は定期検査手数料をもって賄うことは物理的にできないので、受検者側に受忍できる限度の受益者負担として理解し納得できる根拠と論理を組み立てておくこと(原状と比較して格段の軽減メリットが生じるようにする)。
一石二鳥以上を狙う
さらに加えて政策的には一石二鳥以上を狙っていたのである。
めざす目的は、(1)行政の信頼性の向上と効率化(地方自治法の命題の最小の経費で最大の効果をあげる)、(2)受検企業はすべて一度目の所長のとき設立発足に導いた千葉県計量管理協議会(昭和40年(1965)4月発足)の会員であるため、その団体の強力な育成強化事業に役立つこと、(3)企業の協業化・協同化に寄与すること、(4)企業のコスト減と生産性の向上につながること、(5)中小企業の育成、の5つの主柱をかかげたのである。自らは強力な指揮能力を発揮し異論を唱わせず、半ば行政命令的に形は行政上の指示の形式をとり、中身は自発的な民間の知恵による双務契約として、信義誠実の原則で実施に移す。しかも、実施段階には2年から3年をかけてじっくりと無理なくやるやり方をとり、大企業側の法務争訟担当にも協議できる時間をとろうとしたのである。
拙速主義を排す
その理由は、その間は原状方式の辛く、厳しく、高額負担が降りそそぐ現実を味合うし、その移行期間に団体の事業の育成強化策に取り入れる方策を探求する。また検査方式を変える技術的検討と分銅直乗方式にして検重車に代わる設備と分銅の保有の直接の当事者の仕立策と引受者への半強制的指示とリスクの解消策を講じる期間として、単なる功名心は棄てさせて用心深く拙速主義を排し、表面的には民主的に相互信頼と納得づくめに徹することにしたったからである。 その間の行程と経緯と粗筋はこうである。
今述べておきたいことがある
さて前回までに回り道をした言い方であったが、貨車スケールの検定・検査用に使用してきた国鉄の検重車を借りて行っている方法以外で、自らの当事者能力で、使いたいときに自分の裁量で使える方法を編み出し、その直接検査分銅をのせる台車と60トン相当の検査分銅の調達と保管を誰に引き受けさせて、その調達保管経費の負担を誰にさせるか妙案を描き持ってどのようにして実行段階に入るか、そして実施段階に入っていったかの行程と経緯と粗筋を述べるところまできた。しかし、その話を述べる前に、是非自説を申し上げたいことがある。ものにはタイミングがある。お許しを得て、関係の読者を通してその認識と共感を共に得たいことがおきましたので、展開いたしたい。
密室主義の排除を提言
と申しますことは、既にこの「私の履歴書」の欄で、先に触れさせてもらった計量法改正の進め方についてである。過去の平成4年の旧法を廃止して新法が衣替えして誕生した際、伝聞(著名な計量の学識経験者の言葉)とはいえ、密室主義で、当時の当局のとある責任者は、聞く耳を持たなかったと嘆いておった。また、今回動き出し始めた法改正がらみで、6月14日に都道府県計量行政協議会総会(計量検定所所長さん方の連絡協議機関)が開催され、「都道府県計量行政のあり方検討会」の下部組織を設けて検討されると報道され、その一方で、いち早く制度改正の情報を入手して、法改正への対応やあり方の意見交換をはかるとも報じられた。私は、法改正の始めの段階から密室主義の心配が見え隠れすると思い、主権在民の現憲法下、そのようなことはあってはならないし、法改正の必要な背景と根拠と理由を国民に向かって説明し、その民意をきくためには常に門戸を開いておくことが鉄則にして基本であると論評した。
民意を求める姿勢に大拍手
その後の動向は、「新しい計量行政の方向について」と題して去る7月22日付けをもって経済産業大臣から計量法の規定に従って計量行政審議会に諮問がなされ、4つの事項につき、科学技術に裏打ちされた合理的、効果的かつ持統的な制度、体制はいかにあるべきか諮問された。早速7月26日計量行政審議会の第1回会合が開催され、その会議資料が周到に、関係部門に多岐にわたり準備編冊され、必要かつ十分に説明配付され、審議会の議事内容及び配付資料は原則公開の方針が掲げられた。 説明資料特に資料3においては懇切丁寧に、民意(国民に)に向け説き、民意を求め、民意の意見集約に努められんとする姿勢が示された。特に同資料中の「W 検討にあたっての視点・配慮点−5国民(地域住民)の積極的参画の促進」の項では、国も地方公共団体も積極的に計量法に関する情報提供や啓発活動を行うべきではないか、と説いて呼応を促している。 なんと過去のこの種法改正、就中、平成4年のときと比較して正に雲泥の差の快挙であり、双手を挙げ、当然とはいえ大拍手である。
計量関係団体は今こそあるべき姿を訴えよ
そこで、この機を逃すことなく後顧の憂いなく、関係計量団体は良識と節度をもって声を大にして、自らの意見主張を将来に向けて、現実の課題を集約して、あるべき姿を真剣に訴えるべきでありましょう。天のとき、いよいよ明るくなってきた。このことを是非申したかったのである。
じっくり時間をかけて誘導
さて、本論の貨車スケールの検定検査の方法を変えねばならない背景と理由は、既述したとおりである。受検工場側の受検したい時期に、当時の国鉄所有の検重車を借りるよりも安くなる費用で、いわば千葉県(官も民も)側の裁量で的確に、実施し得るようなやり方で、しかも、双方にとっても、県内企業の育成にも、受検工場企業サイドで組織している千葉県計量管理協議会の育成強化事業にも組み込め得る根拠を持ち、検査技術的には安定した精度を維持できる検査用分銅(60トン)の調達保有と管理責任の明確化と毎年適正に計量法の受検義務を履行するため、双務契約的文書をもって担保するように所長として、じっくり時間をかけて仕組みと役割分担を決めるように誘導していったのである。 30年振りに恵藤計器(株)の恵藤社長が、自社の文書綴りから探し出してくれた当時の資料(文書)を元に、その間の進めた行程と経緯を概説し、当時の苦渋の決断(官と民にとって)を披露したい。見方によれば、三者三様の解釈で読みとれるけれど、いやしくも、文書にしたため、覚書という形式をとり一見緩やかに読みとれて、中身はしっかり約束ごとにして信義誠実の原則で固めて持続性を保つやり方をとった。私人間のこととして役所は、越権行為にわたることは避け、会議のその都度議事内容で主導権をとり、記録に残すようにしむけていったのである。
台車に分銅を直載する方式で
昭和45年(1985年)4月所長に再帰任して、直ちに、所内で検査課長を中心に所長の意と方針を十分研究検討させた。代わる方法として、検重車のとき使用している台車(通称トロ)を三台使う方法をとり、その上に検査用分銅(1t、0.5t、20kg)を各社のクレーンを使い直載する方式を採用するしか当面考えられないとの結論を導きだした。この方法は検重車を借りて行う方式と大きく変わることはなく、お互いに馴染むやり方でもある。
検査用分銅60tの確保が問題
最大の問題は検査用分銅の約60tの確保である。どこの地方計量検定所を例にとっても右から左に60t持っているところはない。本県では、やっと20kg枕型で15tである。3年間で20t増設を目標にすることにし、残りは、検査の実務を引き受けてくれる県内の計量器製造事業者か、修理事業者に依頼するしかない。専門に分銅を保有しておいて、さらに上積みして調達してくれて、しかも常に保管して、検査時に基準台はかりで、チェック比較校正してくれる技術的能力と検査実務を間違いなくこなすところの経営資源(人・もの・かね)を持っているところは、恵藤計器(株)においては他になし。 暫く時間をとることにし、その間計量検定所は、毎年検重車を苦労して、当時の国鉄と折衝して借用し、それを千葉県計量管理協議会に会の事業として、会員に斡旋させる方法をとることとした。 ときに、会長は、第3代三井東圧工業(株)から昭和46年5月第4代会長として旭硝子(株)千葉工場長福島米一氏が就任し、会長職の事務的実務は岩井利彦氏が担当することになった。この方は、なかなかの論客だが、千葉県計量管理協議会として会員の意向に従って工場の定期修理期間の中に貨車スケールの定期検査を実施しようとする所長の方針には大賛成で、積極的に調整役とまとめ役に動くが、ときには、真っ向から意見がぶつかりもした。
覚書締結に検定所長名の立会を要求
その最たるものは、覚書締結は所長命令で一歩も譲らない。決意の強いことに即座に了承したが、内容は、計量検定所が下書き、試案を策定するからには、立会人に所長がなってほしい、それでなければ、受検企業の上層部の了承がとれ難いと主張するばかり。 私は実務を背負わす恵藤計器(株)は、あなた方と違い弱い中小企業だ。検査用分銅と台車(トロ)は、あなた方のため、100%選択の自由もなく、100%他に転用できない投資(借金)をするリスクを持つことになり、投資の返済の目途がつかない以上、誰がやっても踏み切れる訳がない。そのリスクをどう補うかが、知恵の見せどころであり責任だ。だから計量検定所(所長)が書いて納得してもらう。
強い行政指導として関与で納得
法的には知事名なら別だが、所長名の立合いは越権で、万一の場合は、行政訴訟法上の当事者にもなりかねないし、国家賠償法上も当事者又は事案対象にも該当することもなきにしもあらずだ。だから強い行政指導として関与してゆく。法的には気に入らぬことは許否してもよいのだと告げた。自治大で勉強してきた論理を並べ弁舌した。よくよく当方の考え方に納得してくれて、以後は大変な理解者、推進者になってくれたのである。
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