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日本計量新報 2007年6月10日 (2678号)

目的に適応した計測の実現こそ最高の計測である

確かでないモノと比べて確かさを求めることができるか。世の中の計測という行為は実はこれのことである。計測器が正しいと思ってそれを用いて計測するのだが、計測器そのものにははじめから誤差が内包されている。測定に用いる計測器の誤差を知って計測することが大事である。測定する場合には計測器がもつ誤差の上に、測定者の技術や測定の条件としての環境がこれに加わることになる。
 住宅を建てるのに用いる計測器としては巻き尺で十分である。巻き尺の誤差以上に建物の寸法は余裕が持たれている。ピシピシに建て付けられたドアや引き戸は閉じると開かなくなる。きっちりと隙間なく建てられていた住宅は荷物を入れると傾しぎ、年数が減ると木材が乾燥して隙間が生じる。測定は品質を決める要件であるものの、住宅を建築するのに0.1ミリメートル単位で木材を加工することには意味がない。そこで求められる測定の精密さを選定することが大事である。必要にして十分な精密さを実現すればよい。過ぎたる精密さを戒める意味では「ほどほどの正確さの実現」こそ計測の神髄である。計量器の選定の前提として計測の設計がある。計測の設計は品質の設計である。品質を設計する技術分野とその学問に「品質工学」がある。「品質工学とは、ほどほどの正確さの実現とあいまったモノの品格の設計とその実現のためのテクノロジーであるフィロソフィーである」と考えられる。
 計測とはほどほどの正確さの実現をもって良しとする。ライオンを入れる檻に直径10センチメートルのステンレス棒を用いてその隙間が5センチメートルという設計はあり得ない。計量器の選定でもこの種の間違いを犯してはならない。「ほどほどの正確さの実現」は、「中庸」とも言える。中庸とは孔子の論語で「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と述べている言葉であり儒学の中心概念である。中庸を過不及の中間をとりさえすればよいと考えてはならない。計測もそのようであり、目的に即していることそれ自体に大きな価値があり、目的に適応した計測の実現こそ最高の計測である。
 だから適正な計量の実現としての「ほどほどの正確さ」とは、計測行動の極地のことである。これは儒学における中庸が倫理的基準をなす最高概念であるのと同じだ。中庸の意味を「中」ということで偏らないとか過不及の中間をとりさえすればよいというように理解してはならない。このような理解は俗的であり、そうした理解のもとでの行動は下品であることを免れない。論語読みの論語知らずとはよく言ったものである。


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