知識がモノの見え方を決める。知識は触ることができないけれども、扱うことができる。 知識が書物に文書の形で載れば、触ることができるようにみえる。書物を所有していると知識を持っているように思えるが、それは勘違いである。国語辞書では「知識」を、「知ること、認識・理解すること、また、ある事柄などについて、知っている内容」と説く。理解できていなければ、真の知識とはいえないのだ。知識と教養も混同されがちである。また、辞書では「教養」を次のように説明する。「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識」。似たような言葉に「知恵」があり、辞書は次のように説く。「物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。(智慧)仏語、相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。ついでに認識があり、ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。また、そういう心の働き。哲学で、意欲・情緒とともに意識の基本的なはたらきのひとつで、事物・事柄の何であるかを知ること。また、知られた内容」。 ◇ 現代の人々は、新聞、テレビ、ラジオ、その他のメディアを通じて、「情報」という形で知識を送り込まれる。新聞のトップニュースと放送メディアが送り出す情報の量は、世界を知るための必要量には遠く及ばず、1日に数本のニュースが配信されるだけだから、人々が受信し、受け取る情報としての知識はごくわずかである。過去には、鉄道が結核を運ぶ、震災後に朝鮮人の大暴動がある、といったとんでもない情報が流されたことがある。このように、人々がそれに惑わされるような情報も現代の報道の中には潜んでいると考えたらいい。 ◇ 大学は知識を提供し、教養を養わせる教育を施して知恵を発揮させる場であると思われているが、大事な知識や情報は大学教育の中にはない。進んだ知識は大学の外にあり、それは大学とは別の場で学ぶことになる。日本の大学の教養課程は遊びの場となっていて、ここではわずかに人との交流を通じて人間関係を学ぶことができる。本科の二年間で学んだとしても、大わずかな時間で大したことは学べない。研究はその先の課程ということになっていても、基礎も教養も十分ではない人がするその研究の程度は予測することができる。大学における科学技術やその他の学問の研究の成果は、米国にはるかに劣る。 進んだ知識が大学の外にあるとなれば、企業は大学をはるかにしのぐ知識と技術を集積することに努めて、成果をあげておかなければならない。大学に頼ったり、関連する研究所に依拠するようでは心許ないし、そのような行動は間違っている。日本の優秀な研究者が海外に流れている現状は、日本の研究体制の出来が悪いことと、その成果への報酬が内容にそぐわないからである。 ◇ 規格大量生産方式の社会体制が日本の社会体制となってきたのがこれまでの社会であり、それを推し進めたのが官僚体制であり、自民党政治であった。官僚機構が送り出す情報に頼っていたのでは、現実に遅れる。県庁の隣に警察署や裁判所ほかの官庁があり、またNHKと地元有力紙と全国紙の支社が配置されている。マスメディアは、県庁と関連官庁ほかが出す記者会見情報などをそのままに報じる。企業その他が情報収集する場合には、このような固定された情報網に加えて、多様な情報網と鋭敏な情報感覚としっかりした価値観を基にして総合的な情報入手に努めて、厳正で倫理観に満ちた判断をしなればならない。 いまだ変わらない政治組織の体質が発する困った問題の一つは、日本が世の中の変化にいつでも立ち後れてしまうことである。堺屋太一氏が「今日の日本では、経営者が5年、政治家が10年、官僚が15年現実の世の中の変化から遅れている」と述べている。そのように遅れていて、組織と体制上遅れてしまう役人が発する情報を後生大事に聞いて、それに従っているのでは、その人やその企業は世の中の動きから15年も遅れることになる。 研究室の蛍光灯を交換するために「脚立を持ってこい」と言ったら、「脚立って何ですか」と問い返す工学部学生がいたという。世慣れない人々があふれているのが今の日本である。 礼儀作法を形式として覚えるのはいいとしても、形式以外にはどのような応用的行動もとれないのが日本の熟年・高齢者である。 知識は与えても考えさせない日本の教育がもたらす弊害の一例であり、こうしたことの集合が日本の社会であり、日本人の行動である。物事を考えるのに、いつでも基礎となり原則となる知識を調査して、あらゆる既存の常識を疑ってみて、自分の判断で行動する訓練を積むことが大事である。 自分がいつも見ていた側の反対に立って自分を見ることで得られることは多いはずである。相手側が持っている知識を全部習得すると、相手側が求める行動をすることができる。 このことによって、企業は需要を満足する製品の開発や供給をして、サービスを生み出すことができるのではかないか。
※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら