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日本計量新報 2010年1月24日 (2807号)

「感無量」な、血圧計と温度計の審議差し戻し

今の日本では嬉しいこと、中でも特に嬉しいことを「感無量」という言葉を用いて表現する。 スポーツ選手が競技で勝つとインタビューにこたえて「感無量」の言葉を使う。街頭のテレビインタビューでも通行人が嬉しいことを「感無量」と述べる。日本では感無量という言葉が大流行である。まるで商品につける値段や等級を示す印と同じように嬉しいことを表現する符丁になっている。
 しかし、この「感無量」という言葉をごくごく普通の人が日常で述べていることに違和感と可笑しさを感じる。一般的な辞書で「感無量」を調べると、その説明は無く「感慨無量に同じ」と書いている。
「感慨」は辞書にあり「心に深く感じて、しみじみとした気持ちになること。また、その気持ち。」と述べる。「無量」については直接の説明がなく<CODE NUMTYPE=SG NUM=725B>類語<CODE NUMTYPE=SG NUM=53BB> の「計り知れない」を引いて「おしはかることができない。想像できないほどである。」、また「無数」を引いて「数えきれないほど多いこと。また、そのさま。」としている。
 三省堂の「新明解四字熟語辞典」は、「感慨無量」を「深く身にしみて感じ、しみじみとした気持ちになること。『感慨』は深く心に感じてしみじみとした思いにひたること。『無量』ははかりしれないほどの意。略して『感無量』ともいう。」と記している。その用例を子母沢寛の『勝海舟』に引いていて、「はじめて迎えた異国の朝だ。木村さんは感慨無量の面持で麟太郎を見た」と紹介する
 ちなみに、大学生が「論文」に引用するフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に現在は「感無量」の用語解説はなく、「現在この名前の項目はありません。『感無量』という項目を新規作成する。または執筆依頼する』と記載している。
このように、計り知れないほどの思いを意味する「感無量」であるが、喜んだり感動する場面で安易に用いられるから聞いている者はたまらない。ことに計量とか計測に関わる立場にあっては「随分なことをおっしゃることだ」と舌も尻尾も巻きたくなる。

 日本語は変化し続けている。時代劇の日本語は現代語と大きく異なるが、その理解がどこまでなされているか疑問であり、江戸落語で使われる言葉だってあやふやにしか意味が判らないのだから困ったものだ。明治になってからの変化も大きい。
 そのような中、現代人は挨拶を例にとっても決まり文句をつくって日常会話をしている。これがビジネスなど業務面でも同じように使われているので、言葉が薄っぺらになる。符丁をあわせて互いに納得していると思っていると、相互の意志は半ばも通じずにいることが多いから、大いに問題である。

言葉が軽くなるのと平行して、考え方も軽くなっている。計量行政審議会は計量法改正論議の結果、デジタル方式の血圧計(電気式血圧計)と電子体温計(抵抗体温計)を、計量法が直接に規制する対象となる特定計量器から除外する方向を、経済産業大臣への答申で打ち出したが、この結論は総合的には誤りではないかという論調が強くでてきたので、議論を振り出しに戻すことになった。
 デジタル方式の血圧計と体温計が計量法と薬事法による二重規制になっているから計量法のほうの規制を外すという計量行政審議会の結論の方向性に疑念が寄せられているのである。そのようなことをのべつ幕なしにやっていたのでは、計量法が寄って立つ場がなくなるという見解だが、これは当然のことである。
 計量法は国民の財産と生命・身体の安全のための規制法である。薬事法は計量法の規定を踏まえてそれと整合しあるいは補う形で実施されるべきものであろう。計量行政審議会で重責を担ってきたある委員が、「計量に関しては計量法が横断的に管理していくべきものだと考えている。ダブル規制だということで個々の法律にゆだねて計量法の規制を外していくことははたしてよいことなのか。」と言う趣旨を述べていたことに共感した私たちである。
 規制緩和といえば何でも通るご時世が続いているなか、行政担当者を含めて人々が理屈があるようにみえて実は屁理屈に惑わされるなど物事の判断が甘くかつ軽くなっていることを憂える。

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