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日本計量新報 2010年5月30日 (2823号)

「愛嬌」のある企業、製品づくりをこころがける

最近、日本語の使い方が乱れている。テレビやラジオのアナウンサーでさえ、誤った言葉の使い方や語彙の貧弱な会話をしていることがある。先日はテレビ番組の実況中継で、女性アナウンサーが「野鳥がいらっしゃいました」と二度も叫んでいた。
 「愛」という言葉についても、日本人が語る「愛」は曖昧なことこの上ない。NHK大河ドラマの直江兼嗣がかかげた言葉が「愛」であったが、その意味を理解できた視聴者は少ないであろう。
 辞書(大辞泉)では、「愛」の意味を「親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち」や「異性をいとしいと思う心」などと記している。また、「ある物事を好み、大切に思う気持ち」や「個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心」とも説明している。
 キリスト教では「神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと」を「愛」という。仏教で「愛」といえば、主に「<RUBY CHAR="貪愛","とんあい">」のことである。これは「自我の欲望に根ざし<RUBY CHAR="解脱","げだつ">を妨げるもの」という意味である。

 「愛」という言葉は、これだけ幅の広い意味を持つ。意味を理解した上で、使い方を考えることが大切である。

 世の中には人に愛される人と、そうでない人がいる。さまざまに頑張って仕事をして成果をあげても、それを素直に喜んで「もらえる」人と「もらえない」人の2種類がいる。人のためを思って頑張り、資材や命までも投げ打つボランティア精神で仕事を成功させても、周囲から大きな反発をかうだけだとすれば、むなしいことだ。
 愛される人と愛されない人との差は、仲間の気持ちを察する、人を立てる、成功を人に分かつなどといった配慮が自然にできているか否かによるものと思われる。素直な気持ち、謙虚な気持ちになれば、おのずと人の話を聞き、人を立てて、人に役割を与えて、人に手柄を譲ることができる。

 「愛嬌」という言葉は、「にこやかでかわいらしい」「相手を喜ばせるような言葉・振る舞い」などといった意味だが、元々は仏教用語の「<RUBY CHAR="愛敬","あいぎょう">」から来ている。
 仏さまのように、柔和で慈悲深い態度や表情をもって行動する人は、周囲の人から自然に敬愛される。企業も人も、そのような「愛嬌」をもつことを心がけるとよい。愛される企業は周囲に対して包み隠しがない。嘘をいったり誤魔化しをする企業はやがては排除される。「愛嬌」のない人は、いくら有能で仕事ができても周囲から嫌われる。
 一方、素直な心や謙虚な態度で人に接しながら、自分の事業と仕事に情熱を注ぐ人は、他人に理解され好かれる。その人の作り出す商品に「愛」が乗り移って「愛嬌」がでるほど、事業と仕事、商品に慈しみが盛りこまれることが大切だと思う。
 商品流通が世界規模になった事業でも、買う側が企業やその製品に愛着を感じなければ成功はできない。 インターネット時代を予測したマクルーハンは、「村の鍛冶屋のことを村人は隅から隅まで知っていて鍛冶屋に仕事を頼むのだ」と述べており、世界規模の商品流通でもこの仕組みが生きていることを予見している。人は、どんなに広い範囲の中でも、愛すべき企業と製品を選び出すのである。

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