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日本計量新報 2010年7月11日 (2829号)

新規分野への挑戦は、発展を勝ち取るための手助けとなる

1日1日の変化は小さくても、20年、30年、40年、50年という単位で観察すると、世の中は大きく変化している。
 50年前、テレビジョンや冷蔵庫、洗濯機、電話といった電気製品は、一般家庭への普及が始まったばかりであった。ラジオやテレビの電気回路には、真空管が使われていた。後に半導体による電気回路が真空管を駆逐し、その半導体はコンピュータの能力向上と普及への弾みとなった。電卓の普及によってソロバン塾は縮小した。半導体演算装置は機械の能力向上につながった。旋盤などの工作機械は、昼夜無人運転を可能にした上、加工精度を数段向上させた。職人は働き口が激減し、別の仕事に就かねばならなくなった。
 時の流れは技術の変化という形で現れる。技術の変化は産業の形態の変化につながる。産業の変化は経済の内容を変える。経済の変化は社会形態の変化となる。
 一次産業、二次産業、三次産業の中で、三次産業の占める割合が大きくなった。農業や水産業の従事者が減って、農漁村から移り住んだ人々が、県庁所在地や東京、大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌のような都市に集中し、摩天楼のようなビル群が林立するようになった。日本の景観は50年前と大きく様変わりした。
 今、上海や中国の都市部の変化は、かつての日本の都市の変化を早送りフィルムのように映し出しているかのようだ。変化の背景には、中国経済の発展がある。中国の経済規模はすでに日本を追い越しており、今後、短期間でアメリカ合衆国に迫り、追い抜くことが予想される。
 先進国が開発し一般化した技術と生産設備が、容易に中国に移動・移設できる仕組みが、中国の経済発展の要因になっている。同じようなことがアジア諸国ほかで生じていて、世界経済の発展を押し進めている。

 ここに、1934(昭和9)年、1939(昭和14)年、1950(昭和25)年の、東京都下の度量衡関係製作者および修理者の名簿がある。記載されている者のうち、現在も事業を継承している割合は驚くほど少ない。
 どの年代の名簿でも、現在まで事業を継承している企業は2割に満たないほどである。計量器にかかわって事業を大きく拡大している企業はごくわずかだ。
 激減の背景には、計量法の規制があるのでは、という見方がある。計量器の製造は計量法と密接に結び付いている関係で、法の規制により、新しい機械技術や、革命的に発展した半導体技術がもたらした電子技術を製品に取り込むのが遅れがちである、という主張である。計量法は、ある部分では製造者を保護するが、一方で変化や発展を抑制するものでもあるという。
 確かに、昔から製造過程が変わらない計量器は、産業と経済規模の発展に対応して生産数量を増大できない状況がみられるからである。
 しかし、計量法の計量器製造事業への事業規制は、取引と証明にかかわる規制に限定されている。取引・証明用の計量器で検定を受検しているものは全計量器の1%程度と考えてよい。計量器のうちの99%は検定受検とは関係がない。生産設備そのもの、生産設備がらみの計量器などには、産業や経済規模の増大を上回る動きをしているものもある。
 企業の残存率が低いのは、計量器産業だからという訳ではなく、一般企業の残存率も、計量器産業とさほど変わらないことであろう。

 計量器産業だけで巨大企業になった事例はほとんどない。規模を拡大するには、計量器産業とほかの産業の組み合わせをすることである。計ることによって様々な利便をもたらす計量器を開発すること、新しい需要を創造する計量器を開発することなどに大きな力を注いで、企業の確実な経営の発展を期することが望まれる。
 同じ分野で同じ業態のまま企業経営をしていたのでは、時代と社会に取り残される。地に足をしっかりと着けながら、次の発展を勝ち取るためには、新規分野に勇んで挑戦し、必ずやそれを成し遂げることである。 

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