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日本計量新報 2011年8月7日 (2881号)
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あらゆる分野で科学の良心による問い直しを
原発事故と大津波による被害を受けた地域を、計量業界という観点からとらえると、津波による事業所被害があるほか、ハカリ(質量計)の定期検査対象が津波被害を受けた場所に比例して減じたということがある。
ガソリンスタンドに設置されているガソリン計量器は、設置場所において期間満了後に再検定が行われているが、再開されないガソリンスタンド数だけ再検定需要が減じている。
水道メーター、ガスメーター、電力量計は各家庭や事業所に設置されており、震災の復興需要が見込まれているものの、岩手県、宮城県、福島県の津波被害地は人口が2割ほど減ると見込まれている。よって、その分だけこれの計量器の需要が減る。ハカリの定期検査の需要が津波被害によって減った分だけ、今後、実施する機関の実働と収入が減ることになる。
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被災地におけるほとんどの産業が、計量の世界と同様かもっと深刻な影響を受けている。特に放射能による影響は終わりが見えない状況にあり、日本全体に大きな陰を落としている。
東京電力福島第一原子力発電所の事故現場に近づくほどに、普通の人は心臓がドキドキし直ぐにでも逃げだしたい気持ちになるという。大気中にも地表にも樹木にも食物にも放射能物質が付着している状態に、良い気持ちはしない。事故現場近くだけではなく、遠く離れた場所でも放射能による被害が懸念されており、放射能の恐ろしさは時が経過するほどに人の心に大きな重しとなっている。
原発事故による放射能被害から逃れるために母子で九州に避難しているという事例があるが、それが可能ならそうすることも選択の一つであろう。とりあえず原発事故現場の直近に住む場合に比べれば、放射能による被害を少なくすることができる。
しかし、いま放射能による被害を逃れることができても、子孫まで逃れることができる保証はどこにもない。徳川家康の血縁をもつ現代の人は、450年ほどの期間に数万人近くになっている。たとえ、ある人が放射能汚染を逃れて西日本へ移住したとしても、その子、孫、ひ孫と世代が下り、移動したり、結婚したりするうち、日本中の誰もが放射能と関わりをもつことになる。人は一人では幸せになることはできない。皆が幸せになるためには、根本から放射能の恐怖を絶つしかないのだ。
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東京電力福島第一原子力発電所が、地震にも津波にも負けてしまう構造であったことは、日本が世界に誇ってきた品質管理や科学技術が実際には虚構であったことを物語る。
原子力建屋の強度は、1・5m程もあるというコンクリート外壁の厚みに相当してあると思われていた。しかし実際には、全ての部分が1・5mではなく、原発建屋の最上階部分は鉄枠に貼り付けたプレハブ・パネル工法で作られていることが、震災後の報道で初めて明らかになった。
大地震が起きたとき、原発を緊急停止することはできても、事故が全く起きないような構造を確保することは難しいようだ。もっとも原子力発電の安全管理や運転の怪しさは日本に限ったことではなく、世界に共通していることであるようだ。東京電力福島第一原子力発電所の事故は必ずしも日本の原子力発電所を運営する技術が低いから起きたとは言いにくい。
技術以前の問題として、危機意識の問題がある。原発施設が大津波に襲われたときの冷却装置が、原発施設と同じ場所にあっては機能しないことは当然である。このことへの指摘が関係の委員会の委員からされていたが、「原子力村」の国賊たちはこれを無視して、「安全だから安全だ」という身勝手な論理を押しとおして原発を運営してきた。東京電力福島第一原子力発電所の事故は、この分野では科学と技術の良心が完全に頓挫して、本質的なところで薄っぺらであったことを明かしている。
原子力発電に限ったことではない。どのような分野でもそこに従事する者の自由と良心がなければ同じことが繰り返される。製造技術、品質管理、計量管理、安全管理といった技術のあらゆる分野で、科学の良心という鏡に照らして同じことがないかを問い直すことが求められる。 |
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