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日本計量新報 2011年10月9日 (2889号)

計量は兵站であり、制度の確かな運用が国を支える

品質工学を生み出した田口玄一博士らとともに、その発展に大きく寄与した矢野宏博士は、「計量は文化である」と唱えている。
 一方、1995年の『日本計量新報』に「計量は兵站である」という趣旨の寄稿をしたのは、旧工業技術院電子技術総合研究所の富山朔太郎所長(当時)である。
 

兵站(へいたん)とは、戦闘部隊の後方にあって人員・兵器・食糧などの前送・補給や後方連絡線の確保にあたる機能で、対応する英語はLogistics。日本陸軍で兵站を主に担当する後方支援組織が輜重(しちょう)隊であった。師団(総合的な機能を持ち、独立的に作戦を遂行しうる連合部隊)には、歩兵連隊など6つの組織の一つとして、輜重兵連隊が組み込まれていた。
 兵站は本来、戦闘の要であるはずだが、日本陸軍では軽視されていた。これは、輜重兵科が1891年(明治24)年まで陸軍大学校への入校を認められず、以後も第二次世界大戦中まで毎年入校できるかできないかという程度であったことによっても明らかである(例外は、34期3名、35期2名、38期4名、48期2名)。
 陸軍大学校は参謀学校とでもいうべきものであるから、陸軍の作戦組織には兵站の知識を有する者が実質的に欠けていた。兵站の軽視を象徴するのが「輜重輸卒が兵隊ならば/蝶々トンボも鳥のうち/焼いた魚が泳ぎだし/絵に描くダルマにゃ手足出て/電信柱に花が咲く」という歌である。
 兵站蔑視の思想は太平洋戦争で、その弊害を顕著に露出させることになる。太平洋上の制空権を争うことを意味したガダルカナル島の攻防戦や、インパール作戦ほかでは、日本兵は飢餓の極限にさらされ、餓死者がでる状態であった。兵站軽視の思想・兵站確保の失敗が、軍隊に敗北をもたらしたのである。
 
 日本の計量制度は計量法によって形つくられており、その内容は大きく二つに分けることができる。一つは計量単位を定めて単位ごとの計量標準を世の中に供給すること。もう一つは、取引と証明を含めて計量が適正に実施されるために、特定種類の計量器に検定や定期検査の義務を課し、その計量器を使って行う計量行為の正しさを求めるというものである。
 計量単位が決められてその標準が供給されていなければ、世の中のどのような計測も実現しない。金などの貴金属や食料品などを売買する際も、地球環境を調べる際も、計量器の正しさが計量法の検定制度によって確保されていていなければ、公正な計量はありえない。
 こうした二つのことを実現するために、計量行政にかかわる国や地方公共団体の組織があり、社会の基盤をなしている。いわゆるインフラである。
 冒頭で紹介した「計量は兵站である」という言葉は、世の中の経済と文化と人々の生活が上手く機能するための要諦を衝いた金言である。格好良く勇ましい言葉で国と地方公共団体の行政施策が述べられる世の中で、その基礎として確実に実行されるべき計量制度とそれに基づく計量行政は軽視され、財力が注がれない状況にある。これが長くつづくと、先に事例をあげたような第二次世界大戦における失敗を、現代の経済や国民生活の場面で繰り返すことになる。「計量は文化である」という言葉もまた、計量計測の社会的意義を強調する、的確な言葉といえよう。
 人の賢さとはどのようなことであるか、計量行政に従事する人々、計量器事業に従事する人々、国民(生活者)がよく考えてよく知ることが重要である。計量制度が世の基盤であるという共通の理解がもっと得られれば、計量行政に必要な費用を配分することも当然のこととして容認されるはずである。

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