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日本計量新報 2012年10月21日 (2938号)

見えていることだけが真実だと思う人の浅はかさ

小さな耕耘機があってこれで土を掘りおこしたり畝をつくることができる。草刈り器は耕耘機とともに炎天下の苦役の農作業を楽にする。機械の購入・維持に費用がかかるが、ある規模を越えた農地ではこの効果は絶大である。米国の農業は機械化農業が極度に発達しており、機械の作業能力に対して土地と水と日照が不足する状態である。工業国と勝手に決め込んでいる中国の農業従事者は人口の8割ほどあり、ここに農業機械が入り込むことになると農業人口に余剰が生ずる。日本の高度成長にはさまざまな要因があるが、農業従事者が工業従事者に移行することで成立したといってよい。中国、インド、そしてアジアの新興諸国は同じ道を歩むことになり、日本が経験したことをこれらの国々がこれから経験する。
 食糧はお金を手にもってお店で買ってきて食べるものであると考えるのがいまの日本の普通の人々の行動様式であり、これは都市化された生活のありようでもある。食糧も衣料も自分ではつくらずに買ってきて賄うというのは、この40年の間に日本国中に広まった現象である。住まいも自分でつくったり修繕することはない。すべて他人がすることであり、本人がすることはお金を出すことだけである。貨幣経済が隅々まで浸透した都市社会になったのは良いことかどうか。人は食物をつくり、衣服をつくり、住宅を修繕して生きていくことを知っていたほうが良さそうである。山に出かけたりキャンプをすることは縄文人の生活を呼び戻すのにつながり、これがまた人の生活感覚を健全に保つのに役立つ。
 都市化された漁業基地にいると津波が家の屋根を越えておしよせることを想像することができなくなる。人工物である建物も道路も船も昔からその場にあって、そのように使われていると思わされてしまう。事実、海辺に鉄筋コンクリートの学校が建てられ、役所の建物が建てられていると、これが当たり前、これで良いのだと、思い込んでしまう。このことに「危ないぞ」と警告する人がいると何をイチャモンをつけているのだと変人扱いをされる。これまでに何度も発生した津波による被害を忘れてしまっている現代の人々は愚かだということができる。事実と教訓を記録し、伝えて、同じ過ちを繰り返さないことこそ人の英知であるはずなのにそれができないのは何故であろうか。
 人は「はかる」ことを通じて文明を築いてきたと岩田重雄氏は述べている。ナイル川の氾濫の予知は計ることによってなされた。計ることは@比べる、A並べる、B釣り合わせる、Cうつす、D数える、E見る、見せる、F揃える、ということに分類されるというのが高田誠二氏の考えである。津波災害も普通の状態と異常な状態とを比べることで、その状況が判別されることになる。そうした記録があってもそれを意識に反映させないでしまうのは、人はいまある状態が現実であり、事実であり、それが実在であって、真実だと思い込んでしまうからである。

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