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日本計量新報 2015年2月8日 (3044号)

ハカリの社会的機能を確保するための定期検査

計ることとは物の大きさを求めることだ。物という言葉を使うとその範囲が狭まるかもしれないから対象物という言い方が適切だろう。地球からある星までの距離を求める場合に、それは物とは言わないからだ。温度は何であり、湿度とは何だ、ということを追求していくと堂々巡りになる。計ることの定義はJISほかでなされているが、その定義もわかったようでわからないという具合だ。
 計れば物事を知ることができる。あるいは物事の性質がわかる。物事を判別するのに計ることは役立つ。計ることによって性質を割り出す際にそこに数字を関与させない場合がある。性質を知りさえすれば用が足りるという場合であり、リトマス試験紙などがその例だ。計ることは計数することであり、計測でもあるが、計るからといって数字の表示は絶対要件にはならない。
 家の建て付けのための木材の寸法の割り出しに1mm以下の数値にこだわることには意味がない。細かに計ることが大事だということで木材を切り出す寸法を0.01mmまで計り、表記するのと同じ愚挙が日常にもある。NHK放送の株式や為替相場がそれであり、これはNHKが時間つぶしのためにやっているのである。学術論文の有効数字の取り扱いのことで、上の事例のようなことに出くわすことがある。木材をマイクロメータなどで測定すると0.01mmの表記がでるのでそれをそのまま記載することになる。計測への確かな眼を持つ人はこのようなことをしてはならない。
 将棋の名人が言っている。局面にこだわりすぎて大局をみないのは弱い棋士である。計測においてもその対象物などのどこを計ればよいか、どのような要素を計ればよいかを考えずに、必要がないところまで闇雲に計ることをしてはならない。何でも計ろうとする人をみて、品質工学の創始者の田口玄一氏は「計ってはならない」と述べた。「1を聞いて10を知る」とは、孔子にまつわる言葉であり、物事の一部を聞いただけで全部を理解できる、ということである。あるいは全部を知っているから、そのうちに一部を聞けば何を言わんとしているかがわかる、ということもある。
 計測の分野において大事なことは、計りたい内容や要素はさまざまだが、本質につながるある1つを選び出して、それを計ることを追い求めることだ。計量法と連結する計量行政が目的にするのは、適正な計量の実施をはかることである。これによって平穏な国民生活が実現し、科学や文化の向上と発展がある。このために何をどのように計ればよいかということになり、使用中のハカリの表示の確かさを定期検査によって判別している。
 電気、ガス、水道、タクシー、ガソリン、体温計、血圧計といった「特定」計量器の検定制度の運用も目的は同じだ。これらの計量器は、世の中に供給される計るための器具・機械・装置の1割に満たない数量であり、1%に達するかどうかという世の中への供給量である。この1%の「特定」計量器のうちの対象器物を検定し、使用中のハカリを2年に1度定期検査することで、世の中の計量器に対する平穏を確保しているということができる。
 ハカリは受検前に性能を確認していることが多いために、定期検査の合格率は10割に近い。自動車の車検前の確認作業と同じことがハカリの定期検査の前になされている。整備され、性能を常に確認してこそ計量器は取引と証明分野において社会的に機能する。

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