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日本計量新報 2016年2月7日 (3090号) |
第1次産業と第2次産業から第3次産業への就業人口の移動の玉突き現象日本有数サンマの水揚げ漁港である宮城県女川町は2011年3月11日の大津波で死者574名(2015年3月1日現在)、死亡認定者253名(震災行方不明者で死亡届を受理)をだした。当時の町の人口は1万14名であった。人口は2016年1月31日現在6854名であり、震災時から3割以上も減少している。現在の世帯数は3156。 この女川町に土盛りして再建されたJR女川駅前の新商店街が地元の人々が歓喜するなか2015年12月23日に店開きした。女川町は防潮堤はつくらない。代わりに土盛りして嵩上げした地域に商店等の施設をつくり、山を切り崩した高台に人が住むことを推進している。駅前の新商店街は復興の第一歩であり、町全体としてはまだまだ人が活動する気配に乏しい。水産の町として再興するにふさわしく女川漁協の水揚場には新規に2基のトラックスケールが設置されていた。 女川町は水産の町であり、魚介類の水揚げと連動して水産加工業が盛んである。その女川町の人口減少が他の被災地に比べて大きい。女川町の隣は石巻市でありこちらは漁業と工業と商業が盛んで15万人規模の人口がある。石巻市は宮城県内で仙台市に次ぐ第2の都市。被災した石巻市の人口は2015年12月末現在14万8798人。3277人の死者、428人の行方不明者があった。同市の人口は震災後1年間に約1万人減少、その後も人口流出がつづいている。石巻市の人口が一番多かったのは1市6町が合併した2005年4月の17万1107人。毎年平均で1600人減少している。震災直前の2011年2月は16万2822人だった。石巻市内では津波到達地点から退去して内陸部に住居が移動している。 東北地方最大の都市の仙台市の人口は2016年2月1日現在108万3079人で世帯数は49万9876。宮城県民の46%ほどが居住する。2015年10月1日現在の政令市の人口(推計)の順位は次のとおり。 ▽1位=横浜市371万8942▽2位=大阪市269万5983▽3位=名古屋市228万4284▽4位=札幌市194万8383▽5位=神戸市153万4907▽6位=福岡市153万2803▽7位=川崎市147万4157▽8位=京都市146万8696▽9位=さいたま市126万168▽10位=広島市118万7970▽11位=仙台市107万6030▽12位=千葉市96万8443▽13位=北九州市95万7994▽14位=堺市83万8293▽15位=新潟市80万6607 首都圏の政令市と仙台市とでは人口の意味が違う。仙台市への東北および北海道地域からの人口流入(主に若者人口の流入)が鈍っているなか、東京都の人口は増えている。農林水産業の第1次産業や加工業などの第2次産業の産業全体に占める割合が低下して、情報通信サービスなど第3次産業が増加している。女川町の人は隣の石巻市に移り、石巻市の人は仙台市に移り、あるいは一足飛びに東京都に移って生業に就くという現象がおきていると想定される。 第1次産業の多い地域の人口が減少し、第3次産業がある県庁所在地などに地域に集中するようになった。東北地方の中心地である仙台市への若者人口の流入の低下傾向がでている。このことは仙台市の勢いを衰えさせると市長は警戒する。地方の町村の人口減少は避けがたい状況にある。これに対応してすべての市町村が人口減少に苦肉の策で取り組んでいる。それでも日本国の人口は減りつづける。第2次世界大戦の終結時の人口7200万人ほどまで経るのが何時になるか。与える要素によって時期が変わるとはいえ少子高齢といった状況があるりこれが人口減少に連結する。 松下幸之助、井深大、盛田昭夫の各氏が仕事をした分野は第2次産業であった。孫正義氏は第3次産業としての情報・通信・サービス産業の新たな勃興期に出くわして偉業をなしとげた。第2次産業が盛んになった1950年代後半には白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が「三種の神器」と呼ばれ、1960年代半ばのいざなぎ景気時代にはカラーテレビ(Color television)・クーラー(Cooler)・自動車 (Car)の3種類の耐久消費財が新三種の神器とされた。次ぎにこれをつくれば売れるという見通しがあったから、この方面の学校を卒業した人材を集めて仕事をすればよかった。 女川町、石巻市の人口現象あるいは流出は、第1次産業と第2次産業から第3次産業への就業人口の移動とみてとれる。そのようなことで仙台市など地方主要都市と東京への人口の集中がある。割合の変化ということではそのようなことであっても第1次産業と第2次産業が不要ということではなくそれぞれが調和してできあがるのが産業と社会である。 計測という技術と計測器製造といった分野はこのような社会においてどのような位置にあってどのように役割を果たしていくのか。計測技術は計測機器屋の側にあるようにみえるがこれは産業現場ほかの人々の側にも同じようにある。計測機器の製造という仕事は産業現場ほかの人々の要望や要求などを上手に繁栄してこそ上手くいく。また産業現場ほかの人々が気づいていない新しい価値を形にして提供することでもある。 |
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