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日本計量新報 2009年10月25日 (2795号)

標高3776メートルの富士山と気象ならびに物理現象

富士登山が人気であり、夏の最盛期の富士山は人が数珠つなぎになる。富士山がミシュランの観光ガイドに高尾山などと共に高く評価されたことなどもあって、富士登山ブームが到来した。
 この夏、富士山で下山路を間違えて人が死んだ。5合目駐車場に落ちてきた大きな石は、キャンピングカーで寝ていた人を直撃して死に至らしめた。真夏に登るのが普通の人の富士登山であるが、その真夏の富士山は大勢の人が登っているからといって容易(たやす)い山ではない。雨が降る、風が吹く、霧が出るという気象条件になると、登山の難易度が増す。登山中の靴擦れ、捻挫、肉離れその他の怪我や、熱射病そして高山病などが人を襲うため、登山道の脇に山小屋が軒を並べ、その登山道を数珠つなぎになって人が登っていても、富士登山を無傷で済ませられることは稀である。富士山の標高が3776メートルあることが登山者には想像以上の負荷になる。

 標高が100メートルあがるごとに紫外線量が1%増えるので、3776メートルの富士山頂の紫外線量は平地より38%多くなる。標高があがると気圧が低下し、大気の様子に変化が生ずる。このことが富士山の気象を決定づける。
 大気の変化は熱力学、あるいは熱学で扱う理論が作用する。富士山の気象現象は、熱学の標本のようである。熱学の原理が作用した結果である富士山頂の気象データは次のとおりである。
 年間平均気温は、マイナス7・1度。最も気温の低い1月の平均気温はマイナス19度。最も気温の高い8月の平均気温は6度。最低気温はマイナス38度(1981年2月27日)。最高気温は17・8度(1942年8月13日)。気圧の平均は、638ヘクトパスカル(平地の3分の2)。風速は、最も風の強い1月の平均風速が16m/秒。最大瞬間風速は台風で91m/秒(1966年9月25日)。
 重力加速度は緯度などによって変化し、また標高によっても変わる。北海道と沖縄のある地点では、質量1kgのものは重さが1グラム違って表示される。富士山頂でも、東京都よりも1グラム軽くなる。天秤棒式のハカリで計ればこの差は出ないが、バネ方式のハカリで計ると1グラムの差が生じる。バネ方式のハカリを使う場合には、重力値の差を補正することが基本前提である。天秤棒式のハカリは既知の質量値を持つ分銅あるいは錘(おもり)とつり合わせて比較するので、重力値の影響がでない。
 標高が気象に及ぼす作用、つまり人に与える影響は富士山ほどの高さになると大きい。酸素量は登山開始の場所となる5合目ですでに2300メートルの標高であるから、0メートル地点に対して75%ほどである。つまり25%ほど減っている。富士山頂上の酸素量は平地の60%ほどになる。山頂目指して上るほどに酸素量が減り続けるのであるから、富士登山の息苦しさは日本の他の山とは比較にならない。
 世界最高峰のエベレストの標高は8844メートルほどであり、この高さになると酸素量は30%に減る。平地に対して酸素量が70%も減っているエベレストでは酸素ボンベなしでは行動できないと思われていたが、スイスの登山家メスナーが無酸素登頂の道を切り拓いた。
 そのエベレストの高さを測定する道筋にも変遷があった。エベレストの標高測定にはインド隊、中国隊などが挑んできており、測定(あるいは測量)の都度、別の結果になっている。2005年5月22日、中国のエベレスト測量隊はエベレストに登頂、数カ月に渡る測量の結果、同年10月9日にエベレストの標高は8844.43m±0.21mと発表した。彼らはこの数値がこれまでで最も正確な標高であるとしているにもかかわらず、その後別の測量隊はエベレストの標高を8848mと発表している。
 このようなことから測定の曖昧さを考慮すると、この先しばらくはエベレストの標高の確定値が出されることはなさそうだ。測量機器の誤差、あるいは精密度やマンマシンシステムとしての測量であることを考慮すると、高い山の測量における誤差要因は多い。だからエベレストの標高は何度測定しても出される数値にバラツキが出てしまう。
 標高が3000mにとどいて欲しいという剣岳ファンの期待もむなしく剣岳の標高は2999mとして確定した。剣岳の標高測定に絶対的な信頼を寄せることはできないが、ああしてこうしてこういうことだからそうであるということで剣岳の標高は決められてしまった。
 富士山もそのような辻褄あわせによって標高が確定している。基準となる地点そのものの数値に誤差要因があり、それを積み上げていったときに生じる誤差のことを考えると、山が高くなればなるほど山の高さの10センチメートルなど怪しさは増すのであり、その一桁うえの1メートルでさえその正確さへの信頼は揺らいでしまう。
 仮に宇宙を飛んでいるGPSを優先して考えた場合でも、その周回軌道にわずかのズレがないとは限らないし、地球の自転の揺らぎとGPSを積んだ衛星の関係を無視することはできない。標高測定の歴史が書かれた書物の理解に取り組んだものの、正しくない表記に驚いてその書物の紹介をやめたという書評家がいる。

 人気の富士登山では、登山開始地点の5合目が森林限界の上にあるので、標高をあげるごとに視界が大きく開け、快感が増大する。苦しさと快感の相関が見事に実現するのが富士登山である。雨が降って霧が出て、あるいは強い風が吹くと、疲れた体に苦しさだけが重くのしかかる。それでも下山すれば富士山に登ったという満足が登山者の気持ちに大きく広がることであろう。登るほどに少なくなる酸素量と格闘することになる富士登山を気象学やその他の科学の概念を交えて考察することによって富士登山の内容が味付けされる。
 夏の行楽として多くの人が富士山に登るいまの世の中を健康的と受け止めるのが真っ当なことであるが、この富士登山ブームを物理学者の寺田寅彦はどのように見てるか。そして寺田虎彦が富士山に登るときに何を考えるか、想像してみるのも一考であろう。計測という視点から富士山を観察したらどういうことになるかを富士登山の過程で考えるのもよい。
 そんな理屈は別にして晴れて無風の富士登山は登山者に体力と健康が備わっていれば快適である。計測器と山の関係で思い描くのは、黒部ダム建設や立山の気象観測にかかわって大いに奮闘し、社会に役立って自らも幸福を実現した人々の実話である。

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