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日本計量新報 2011年9月11日 (2885号) |
「はかりたい」という欲求から新製品が生まれる スイスの山々で営業するホテルや山小屋に比べると、日本の山小屋は貧相である。修験道が元になっていたり、その思想が下地になっていたりするため、身を休めるために最低限必要な設備しか用意されていないのだ。この典型例が、富士山の山小屋である。 ◇ しかし、現実的に利用する登山者からすると、思想はともかく、登山による疲れを癒し明日の行動への意欲を湧かせたり、山小屋での宿泊そのものを楽しめたりできる宿泊設備はありがたい。温泉を引いていたり、沢の水を沸かしていたりする風呂に浸かると、疲労が回復する。 ◇ 富士山の山小屋の電気設備は、屋台の照明設備と同じ燃料の油を燃やしてエンジンを回転させ、それをダイナモ(発電機)につないで発電する仕組みを採っている。一方、八ヶ岳のある山小屋では、屋根や壁に太陽光発電のためのパネルをはり付け、さらに風力による発電のための小型風車を数機屋根に載せていた。風はつねに満足に吹くことはないし、曇りの日も多い。風力発電や太陽光発電の設備が真っ当に機能する場面は、決して多くはない。それでは駄目ではないかということになるが、ところがどっこい、この小屋では上流部に1メートル四方の貯水溝を作り、そこから20センチメートルの樹脂製ホースで下流に水を引いて勢いをつけてタービンを回転させ、この力によってダイナモを回す小水力発電を併用しているのである。 起こされた電力によって照明が灯され、衛星放送との組み合わせでテレビが映り、インターネット通信が可能になる。いまの日本では余程のところでない限り携帯電話を使え、実際に剱岳山頂にも電波がとどいている。 登山というものをどう捉えるかによって、風呂や発電設備への欲求は異なるとはいえ、山小屋にも快適性を求めるのは素直な心情である。 山小屋で使われている発電設備に燃料油による発電のほか風力発電と太陽光発電が加わり、沢の水を利用する発電が実用化され普及してきた。大水が出ると貯水溝にゴミが流れ込むので、別の発電方式に切り換える。しかし普通の状態であれば、この小水力発電設備は十分に機能する。 ニーズに合わせて適切な道具を利用する人類の知恵を、この山小屋の設備にみた。 ◇ さて、計量計測の世界にも、道具の進化の歴史が刻まれている。 道具とは、物を作ったり、何かをしたりするために用いる器具の総称である。 道具がどのように誕生したのかという根本的な問いは、ずっと昔からある。石斧などは手の作用の延長のようにみられるので、道具は手の延長であるととらえられてきた。モノサシ(物差し)の誕生も、はじめは人体の指や手や足の長さと連動していた。原始的な道具にあっては、長さの基準は、やはり人体に基づくようになるのが自然ななりゆきであるらしい。 人の手の延長であったモノサシは、それが備える機能によって、人の手をはるかに超える働きをするようになっていった。現在では、農産物ほかの大きさや目方(質量)や色や甘さ(糖度)や硬さなどを計り、場合によっては選り分け、また組み合わせて一定量を包装できる計量器など、様々な用途のものができている。全ての計量計測機器は、人々の「はかりたい」という欲求を具現化したものなのだ。 現状の不便さから来る要求や、更なる快適さや利便性に対する欲求は、さまざまな計量器を生み出してきた。これに開発者のさまざまな思いが加えられることによって、極めて現実的な、あるいは奇想天外にして応用性と実用性に富む、新種の計量器が生まれてくる。 |
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