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日本計量新報 2011年11月13日 (2893号)
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ペニシリンにみる、生産性の向上と企業および市場の動向
ペニシリンは、肺炎・淋疾など多くの細菌性疾患に優れた効果を示す化学療法剤として1929年に英国の細菌学者アレクサンダー・フレミング博士によって発見された、初の抗生物質である。
ブドウ球菌の培養実験中にコンタミネーション(実験汚染)により生じたアオカビのコロニーの周囲に阻止円(ブドウ球菌の生育が阻止される領域)が生じる現象から、アオカビが産生する物質が細菌を溶かしたものと考え、これを抽出培養して医薬品としてのペニシリンができあがった。アオカビの作用は溶菌ではなく細菌の発育阻止によるものであることが後にわかっている。
発見から実用化のために10年以上費やしたペニシリンの薬理効果は絶大で、第二次世界大戦中に多くの負傷兵などを感染症から救った。戦後の日本ではペニシリンは高価な治療薬であったために、これがあれば救えた命が多かったと悔やむ人が少なくない。
フレミング博士は人道的見地からペニシリンの製造特許を申請せず、発明を広く一般に公開した。米国の製薬会社では1941年から、日本でも戦時中にペニシリンの製造を開始している。
ペニシリンが高価であったのは、大量生産できなかったことによる。培養液1mlから捕れるペニシリンは15国際単位程度でしかなかった。ここでいう国際単位とは酵素の活性単位のことであり、1分につき1マイクロモルの基質の化学反応を促進する酵素活性を意味する。
ペニシリンの生産性向上が進み、現在では培養液1mlから捕れるペニシリンは3〜4万国際単位となっていて、生産性が2千倍になっている。単純計算でペニシリンの生産コストは2千分の1に下がった。50年前はペニシリンの製造会社がひしめきあっていたが、現在は数えるほどしか残っていない。企業間の技術競争が進み2千倍もの生産性向上を遂げたが、それに対応する需要増加が無く、薬も安価になり儲けも少なくなった結果である。
しかしながら製薬の市場全体でみると、ペニシリンの製造企業が減っている一方で、新しい薬剤が次々と開発され需要が拡大するなど成長を遂げている。
計量器産業においても、製造企業と市場の状況は常に変化している。
モノサシ産業では、竹に型を当ててケガく方式から自動機械化によってケガく方式に変わる過程で、竹製のモノサシ製造事業者の数が減った。金属製の直尺や曲尺なども、目盛りをタガネで打ち込む方式から写真によって焼き込む方式に変わると、事業者の数がうんと減った。モノサシは巻き尺の普及で需要動向が代わり、その巻き尺もまたレーザー方式の測量機などがでてくるなどして、需要の変化を見せている。
計量器産業全体をみると、時の経過とともに製造量の増大がある一方で、製造事業者の数が減っている。新しい製品の開発が続くなかでも、生産性の向上と反比例して企業の淘汰が進む傾向が、現実にはある。
競争が激しい市場で、現在活躍している企業の力は、開発力ならびに営業力とも相当なものである。製造工程や製造環境を整備する工場増設なども行われており、国際水準をリードする状態に移行している。
常に変化する市場と世界を相手にするためには、主要商品の生産性向上だけでなく、常に製品開発と市場開拓といった努力を続けることが求められる。
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