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日本計量新報 2012年6月24日 (2924号)

4度目になるデフレ経済とその前の3度を確認する

現在の日本経済はデフレに陥ってここから抜け出すのに難儀をしている。円高は日本のデフレがもたらす現象であり、20年のあいだ経済規模の伸びがなければ企業業績も家計収入も減退するから、国や地方公共団体が少し支出抑制をしたくらいでは不足を補えない。そのうえ不況下の財政出動を繰り返してきているのだから、国と地方公共団体は極度の財政困難になった。収入の自然増によって国の借金を帳消しにすることは難しいから増税をしてこれを補足することになる。消費税が5%という状況は他国に比べれば小さいからこれを10%にして対処することができそうに思われる。他の税とくみあわせた税全体との対比がされるべきではあるが、消費税を5%から10%にして対処することで上手くいくのならそれはすばらしい。しかし、ここには想像を超える苦難があり、国の税の構造を支出とともに変えていかないと同じことを繰り返すことになる。消費税増税が苦痛をその場しのぎする麻薬と同じように作用することになる。

 明治以降に日本経済がデフレになった記録をさぐってみよう。デフレは何らかの理由による過剰な通貨供給と、その後の急激な抑制によっておこることが多い。最初におきたのが松方デフレだ。そのまえにインフレが発生した。1877(明治10)年2月から9月にかけの西南戦争の戦費調達のため、政府は不換紙幣を76(明治9)年末から2年の間に50%増発したためにインフレが発生した。大蔵卿の松方正義は妥協のない金融引き締めを実施したので経済の規模が一気に縮小して不景気になり企業倒産と失業者が大量にでた。政府発行の紙幣を銀の表示価格と同等にするために市場から回収した紙幣を消却することによって、紙幣への信用が回復したためにデフレが収束した。82(明治15)年に日本銀行が設立され、85(明治18)年には兌換銀行券が発行されたが、ここでの兌換対象は銀であった。世界の正貨は銀から金に移行しているとこであったので、銀価格の低落の趨勢は下がりすぎたモノとの釣り合いをとるように作用して物価を適正な状態に戻すことになった。日本の正貨が銀であったために銀価格が緩やかに下がっていることが通貨供給量の増加というインフレーション要素になってデフレから抜け出すことになった。

 戦争に前後して国家財政は無理を強いられる。2度目のデフレは昭和恐慌と連動しておこっており、第一次大戦後の経済過熱の反動からくる。浜口内閣の大蔵大臣井上準之助は、極端なデフレ政策を1930(昭和5)年1月から31(昭和6)年12月まで実施。29(昭和4)年10月にニューヨークの株価大暴落、33(昭和8)年にはアメリカで金融恐慌がおこる。関東大震災と満州事変がこれに重なる。井上デフレがこれである。31(昭和6)年の暮れに浜口と井上はテロにあって死亡し浜口民政党内閣は終焉し、政友会の犬養毅内閣に代わった。大蔵大臣に就任した高橋是清がデフレ解消に動く。デフレ政策のために余力が発生した生産力を軍需品生産に当て、生産した軍艦、武器などを購入するために赤字公債を発行した。軍需と赤字公債という忌まわしい組み合わせがここにおきてしまうが、この無理矢理な政策によって企業収益が向上し、失業が減り、デフレも解消した。ここでのデフレ解消効果は生産力の余裕の分だけであり、軍需品を買い上げのための赤字公債が底をつくと、後には続かなかった。軍部は軍事強化の名目で赤字公債の発行を求めてこれを実行させたので、実質上、通貨供給量が増えたことにより大きなインフレを引きおこすことになる。

 3度目のデフレも戦争がからむ。ここでもまたインフレの後のデフレである。戦争(第二次世界大戦)に負けた日本では、45(昭和20)年の終戦から48(昭和23)年にかけての目茶苦茶な物価上昇があり、銀行預金は値打ちを消滅させる状態になる。政府配給物資の公定価格とヤミ価格の大きな隔たりによって、市場が正常に機能しない状況を正すために、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の経済顧問であったジョゼフ・ドッジはデフレ政策を実行する。財政の均衡を絶対原則とする経済安定9原則は実際にはデフレ政策であり、これによってを戦後インフレは収まったたものの、逆にデフレが進行し、企業倒産や失業が多発する「ドッジ不況」をひきおこし、東京証券取引所の平均株価は1950年7月6日史上最安値になる。この少し前の50年6月25日に朝鮮動乱(朝鮮戦争)が勃発する。これに対応するために米軍(連合軍)は日本を戦争物資の補給基地にして物資調達をすることになる。株価の動きが示す状態はそのままで進むと日本は深刻なデフレに突入するところであった。戦争と経済、戦争とインフレそしてデフレと揺れ動く世界と日本の経済である。

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