計量新報記事計量計測データバンク会社概要出版図書案内
2012年7月  1日(2923号)  8日(2924号) 15日(2925号) 22日(2926号) 29日(2927号)
社説TOP

日本計量新報 2012年7月29日 (2927号)

世界が3・11を原発事故の日と考えるその訳と事故の教訓

 原子力発電をすることを決め、それを実行したのは自分だと元総理大臣の中曽根康弘氏は考えている。高度成長時代の電力需要をまかなうためには原子力発電が必要だと考えたのであった。火力発電で水を湧かす熱源に使われるのは石炭と石油、天然ガスなどであり、現在は石油、天然ガスが主力になっている。原子力発電は核エネルギーの穏やかな「燃焼」によって、水を湧かし、その水蒸気でタービンを回して発電する。火力発電も水蒸気でタービンを回す。水力発電は水の落下エネルギーによってタービンを回す。

 これら水力発電、火力発電、原子力発電のどの方式が電力源として利便性が高いか、という問いには結論を出しにくい。石油産出国か、石油の供給元締めが、石油ショックのときに油田は30年で枯渇すると宣伝したが、50年経った今なお石油は汲み上げられて売られている。

 水力発電用の水の資源は有限であり、利用には限界があるということになっているが、日本のダムはほとんど、発電をできるのにまともな発電をしない設計になっている。日本は河川の水を発電用に利用することを実際には放棄してきた。国が原子力発電に舵を切り、水力発電を抑制してきたからである。

 火力発電所は稼働できるのに休んでいる施設が原発事故を契機に動き出した。東京地区の夏場の電力が何とか足りた要素としてはそのことがある。

 東電福島第一原発付近の住民には原発は安全だと、幼児のころから公的機関によって「教育」されてきた。「安全だから安全だ」では、論理にならない。そこに存在し介入する危険がかくのごとく排除されるから安全だ、ということにはなっていなかった。海のそばに立地していれば津波の恐れがあり、津波が襲えば発電施設が水没し、水が原子炉に侵入すれば、原子炉は制御不能に陥る、といった単純な論理がここでは組み立てられない。原子炉冷却の緊急用の発電設備が機能を失い、原子炉建屋は水素爆発で壊れ、放射能が人の健康を蝕むほどに放出されて、安全だと教育され、安全だと思い込んでいた人々はこの地から追い出されている。

 地震による死者は阪神淡路大地震が6千人強、東日本大震災が行方不明者を含め1万2千人強。中国の四川大地震では8万人である。規模で比較すると世界は四川大地震に目を向けることになる。東日本大震災に連動する原発事故が、特別に注目され原子力発電の是非を問うようになり、ドイツなどは原子力発電を止めることにした。原子力発電には核廃棄物の処理の問題がついてまわる。原子力発電は現代の人々の知識と技術と思い込みを含めた思想では制御できる対象ではないことが、3・11事故によって明らかになった。技術も変わらず、知識も変わらず、思想も変わらない状態で原子力発電の安全は確保できている、なとというのは大間違いであり、そのように言うことは嘘である。「危険であり、どのような災いが発生するかも知れないけれど、原子力発電をしなければならないのだ」というのであれば、嘘にはならない。

 原発事故の教訓は、思慮すべき事を思慮の外におき、なすべき事をなさないで平気でいることがもたらす恐ろしさである。人は自分の知識を絶対化してはならない。自分が知らない物事が多くあることを自覚し、そうしたことを知っている人に聞き、よりよい判断をすることを心がけるようにするとよい。またなすべき事柄が明瞭である場合には、そのなすべき事をすべてなす、という行動の心構えとその実行が何より大事である。

 原発がらみの事故が発生するとその原因が計測器の作動不良であるとする報告が多い。ならば壊れる計測器をその場面に使わなければよい。危ない箇所に計測器を付けるのではなく、安全な場所に二重三重に計測器を付けていれば、一つが故障してももう一つが作動し、さらにもう一つは安全のための保証装置になる。原発では総合的な安全のための思想が欠如していて、知りうる範囲のことだけ知ろうとするからいけないのである。

※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら


記事目次本文一覧
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.