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日本計量新報 2012年9月23日 (2934号)

考える自由を放棄したことによる東電原発事故

電気をつくるための施設を発電所という。電気を上手につくり上手に使うことはその国の文化のあり方を物語るように思える。世界はいつのころからか、原子力の熱エネルギーを用いて水を湧かしてその蒸気で羽根車と連動した誘電コイルと組み合わされた軸を回す方式を用いるようになった。原子力発電において問題になるのは水を湧かす前までの状態であり、原子力を利用して熱をどのように取り出すかということだ。ドカンと燃やすと原爆になり、ちょぼちょぼと燃やすと発電にも利用できる原子力であるのだが、現代の人類は原子力を発電に利用するのに十分な知識と技術とその管理体制を備えているのであろうか。
 日本においてはこの方面で失敗をした。津波をかぶる場所に原子力発電所をつくり、炉心冷却用の発電装置は役目をせずに、核物質が暴れるままにしてしまった。飛び散った放射能物質による汚染は発電施設周囲の10km圏域では人は生活できる状態にはないようであるから、政府は20km以内を避難区域にしている。
 国は核エネルギーを用いての発電方式が低コストであると決め込んで、この決め込みを絶対のものとして原子力発電を推進してきた。「原子力発電は安全である。安全だから安全である」ということでしゃにむに推進した。原発に反対したり異議を唱える者は国賊であるということで、そのすべてを排除して、発電施設のある市町村には口封じのための銭を撒き散らしてきた。
 官僚批判をしてきた堺屋太一氏はその著書『第三の敗戦』で日本の原発事故を第3の敗戦と称している。第1の敗戦は幕末、第2の敗戦は太平洋戦争、第3の敗戦が東日本大震災と原発事故をさしている。原発推進を国と官僚が煽り、電力会社がこれに乗り、地域の人々はまかれるお金によって原子力の怖さに眼をつむってきた。国と発電所の結びつきは強く電力会社は国の意図に沿うように行動してきたのであり、原子力発電もその安全性を自ら判断し、安全のための施策を自ら定めることをしてこなかった。そのことは、現在の原子力発電所の
設置場所が海のそばにあったり、活断層近辺にあることからもあきらかである。
 このような安全への無策と無思考がもたらしたものは何であろうか。原発事故による放射線汚染を補いうる能力を東京電力はもっていない。低コストを標榜した無思考がもたらしたのは最大の高コストという結果だった。
 原子力発電を推進してきた東京電力は、福島第一発電所の事故によって自立の状態を失ってしまった。目的実現にともなって講ずべき安全のための施策を欠いたときに発生する事態を東京電力の原子力発電が物語ってしまった。東京電力で働く普通の人々はこのような事態になることは想像しなかったことであろう。しかし科学とか技術についてはあらゆる状態に対して考えをめぐらすという発想の自由を保持していなくてはならない。福島第一発電所の事故は、あらゆる立場のあらゆる人々にとって他人事ではない。

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