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日本計量新報 2013年3月10日 (2956号)

起きたことは仕方がない、なすべきことに全力で取り組む

地震によって大津波が発生して東日本の沿岸部の家や施設が津波で押し流されて、2年を経過してもその地に家が建たず、避難した人々が別の地に家を建てていないという現実がある。
 東京電力福島第一発電所の事故と放射能物質の大量飛散とその被害の影響は大きい。原発事故現場から20km圏の外にある飯舘村は汚染が強いので全村民が避難を強要されている。津波に襲われる、地震で破壊される、電気が断たれるなどの状況への対応の知識と技術とその実際はお粗末であった。原子力を正しく理解しよう、原発は安全である、と呪文を唱えさせていた関係者の無知と無責任は嘆かわしい。原子力村を構成した役所、大学教員、研究者、電力会社社員などは完全な無思考状態であり、これは第2次世界大戦に突っ込んでいった軍部を主体とする日本の状況と酷似している。
 放射線測定の確かさに疑いがもたれていて、測定したいという普通の人々、あるいは地方公共団体の職員から、どの測定器でどのように測ればよいかと聞かれても、答えようがないというのが被災地の計測器販売や環境計量証明事業者の率直な話である。一部ではトレーサビリティのとれた求められる放射線測定がおこなわれてはいるが、多くの場合にはそれ以外の測定になっていて、とりあえずは手にした測定器の測定性能にだけ依拠しているのが現実である。ある測定事業者は「役所が使っているのを借りてきて使え」と答えるという。これであればその役所の測定との間でトレーサビリティはとれている。しかし役所の測定器が求める測定機能を備えていなければ、すべての測定の意味が大きく減じることになる。環境測定事業者が率直な思いを吐露している。測定値に2倍の開きがあることなどはこの分野ではめずらしいことではない。また精密度など測定の確かさが違う測定器を使って同じものを同じようにはかれば1桁、つまり10倍の差やバラツキがでるのが普通にある現実だと語る。
 地震と津波による被害、原発事故を総称して堺屋太一は第2の敗北とし、これをマスコミも取り上げたが、もはやこうしたことは忘れているのではないか。日本人初の国際度量衡委員で純粋の物理学のほかに重力、地磁気、地震、測地、度量衡、航空などにも業績をのこした田中館愛橘(1856〔安政3〕〜1952〔昭和27〕年)は濃尾大地震(1891〔明治24〕年10月28日に発生)の調査を大学の命によりおこない、帰ってから「地震そのものに対しては何とも致しようがないとしても、それから生ずる災害は、これを軽減する予防策を研究するのは国家として大切である」と理科大学学長の菊池大麓に話している。その続きで「適当な研究機関を創設したいものだ」と述べ、これが契機になり国会の予算措置を経て震災予防調査会が設立された。
帝国大学理科大学(この時点での正式な名称)教授の田中館愛橘が助教授の長岡半太郎ほかをともなって、震源地付近の地磁気測定をしたところ、地磁気の値が地震によって変化するらしいことがわかり、この調査によって梶尾大断層が発見された。長岡半太郎は国際度量衡委員であった。菊池大麓は計量標準機関の長の職にもあった。田中館と菊池の認識にあるとおり、地震はおきる、津波も発生する。それならばこのことをふまえての町つくり、国つくりをどのようにするか。そして今ある現実にどのように対応していくのか。
 宮城県に事業所があって大地震と大津波で2つの営業所を失ったハカリ事業者は、ハカリの復興が漁港の復興、工場の復興、地域の復興との使命感によって、被災従業員への炊き出しをして動ける体制をつくり、壊れたハカリの復旧と更新をした。苦しいときはお互い様という考えによって、生活物資を被災住民に供給できないでいたスーパーマーケットにバスを提供している。
 起きてしまったことは仕方がない、しかしその後に何をしたらよいかを考え定めて、決めたことに全力を傾注するのが大事だ。「がんばっぺ」はこれを素直に表現している言葉だ(本稿においては敬称を略す)。

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