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日本計量新報 2016年1月1日 (3086号)

定まったことをすれば収入が上がるのがビジネスモデルだ

年金のない70歳過ぎの人が老齢によって新聞配達ができなくなり生きていく糧を失ったために、娘に依頼して連れ合いと共々、軽自動車を川に沈めて死んだ。年金を納めていなかったのは収入が足りなかったからだろう。働く意思があっても働く場所が提供されないという事情がある。難しくない仕事であっても高齢者は雇われないということがある。難しい内容の仕事をすることができない人々は多い。高齢になって難しいことを考えることができず、複雑な内容の仕事がわずらわしくなり、気力も根気もなくなってしまう人は多い。企業などに定年制があるのはうなずける。

ある程度のことをすれば生きていくことができる職業がある。個人タクシーは経験にもとづいて営業することによって一定の収入があがる。医者、弁護士、公認会計士といった資格はこれに類する職業である。世間の評価が高く収入がある職業が医者、弁護士などであった。忙しすぎる病院勤務、訴訟社会ではない日本で仕事にあぶれる弁護士資格者が増えている。過払い金の取り戻しを宣伝する弁護士などによるテレビとラジオでの声がうるさい。弁護士の印象を悪くする。人権派弁護士や正義の弁護士には迷惑なことだ。

人は楽して生きていきたいと考える。無理なく生活ができる仕事として公務員があり地方公務員の採用倍率は高い。聞こえのよい大規模企業も同じ事情だ。日本人は格好良くて安定していて収入があって生きやすい仕事を選ぶ。就職に有利な学校に入学するために早くから準備する。子どもの養育の目標がこのことに限定される。こうしたことはいまに始まったことではない。金田一京助は自分の子どもが行く学校のために住居を変えている。小学校への入学のためだ。その目論見は何かの手違いによって外れる。子息の金田一春彦が手記で述べている。武士の家系は明治以降も教育に熱心であった。教育とはここではよい学校に入学することであり、入学が難しい学校が良い学校ということになる。それは高等教育の場に行き着く。

金田一京助より前の人、日本人初の国際度量衡委員の田中舘愛橘(たなかだて・あいきつ)は南部藩の剣術指南の家に生まれた。明治になって田中舘愛橘を一人前にするために父子は家を処分した金をもって東京にでる。愛橘は外国人婦人に英語を習い、慶應義塾に入塾、のち官立東京開成学校予科を経て1878(明治11)年に前年に発足したばかりの東京大学理学部に入る。英国留学のあと同大学の助教授、教授として日本の理学と工学の草創期に活躍した。愛橘は勉学に命がけで取り組むことは武士として当然のことと述べている。

学校歴の秀逸な人は世の人がうらやむ職業に就き世の中を大きく動かす仕事をする。世の中はこのような人だけでできてはいない。複雑で難しい仕事をする能力があっても職場に恵まれない人がいる。さまざまな仕事が集合して世の中ができ人々が暮らす。飲み、食べ、着て、住まい、少し遊ぶことが人の生活である。給与、報酬といったことで収入に恵まれない人は多い。これが多い人と少ない人との差が小さいのが日本であった。いまもこの状況は先進国との比較すると変わらない。収入がうんと少ない人々が同時に増えてもいる。収入の少ない人のうちには生活保護手当の請求の機会を得ない人もいる。入水した老夫婦がそうだった。現代は自動車を使って入水する。

個人タクシーはある定まったことをすれば収入が得られるしくみに乗った職業である。企業活動でもある定まったことをすれば収入が上がるような事業がある。これは1つのビジネスモデルだ。ビジネスモデルとして成立している仕事であるにもかかわらず、なまけてしまうことがある。商売になるかもしれないと始める事業もある。思ったことがそのまま実現することは少ない。都心部の飲食店の交代がそれを物語る。

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