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日本計量新報 2016年1月10日 (3087号)

二重三重の安全構造と「間違っても大過なし」の考え方が大事だ

津波警報がでたので職員約30名と佐藤仁(さとう・じん)町長は南三陸町防災対策庁舎に移動して業務をしていたところ、津波は屋上に達した。屋上のアンテナにしがみつくなどして波に耐えた佐藤町長ら10名ほどの命は助かった。  屋上までの高さが12mの鉄骨造り3階建ての防災対策庁舎は志津川町の町役場の行政庁舎の1つとして建設された。同地におけるチリ地震の浸水深2.4mであったから津波の想定高さをこれを元にしていたのだろう。

南三陸町防災対策庁舎は2031(平成43)年までは宮城県の所有物として保存することになっている。地元の人には被災を思い起こすから撤去したいという声があるなかでの決定であった。被災の建物などを震災遺構にするかどうかということはこうした声との折り合いで決まるようで残されるものは多くはない。

三陸地方では明治三陸大津波〔1896(明治29)年〕と昭和三陸大津波〔1933(昭和8)年〕があり、明治三陸大津波では津波の高さが気仙郡吉浜村(旧・気仙郡三陸町吉浜、現・大船渡市三陸町吉浜)で22.4m、岩手県気仙郡綾里村(現・大船渡市三陸町の一部)で28.7m、ほかの地点で最高津波高さは38.2mを記録した。昭和三陸大津波では最高28.7mであった。

その津波高さがどの場所であったかということは別にして似かよった津波が襲うことを想定しなければならない。南三陸町の防災対策庁舎がチリ地震の浸水深2.4mには対応しても明治三陸大津波と昭和三陸大津波には十分であったか疑問であり、実際に2011年3月11日の大津波はこの地点で12mを超え、防災対策庁舎の屋上に届いた。

山、海、川といった日本の自然と人の住宅や諸設備の関係はどうであろうか。山が崩れれば道路が埋まる。川を堤防で閉じこめたつもりが大雨によって溢れてしまった。静かな海は40mほどの高さまで盛り上がって濁流と化す。大風、竜巻、落雷は茶飯事である。

日本の海岸線はすべて津波が押し寄せる危険地帯である。沿岸部のコンビナートといった工業地帯はすべて津波が押し寄せたことのあるところだ。大丈夫なのか、大丈夫ではない。これを大丈夫だと決めれば大丈夫になるのだ。福島第一原発は大丈夫だと決めて運転してきたのであった。原発の安全のことに門外漢が口を差し挟むことはできないが、安全の構造をつくってこなかった経緯があるから原発が怪しいという感情がわく。 文部科学省の所管の日本原子力研究開発機構の研究用原子炉である高速増殖炉「もんじゅ」は、これを正常に運転する能力が欠けているために止まったままである。日本の福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉である。研究用原子炉との位置付けから、商用原子炉と異なり、文部科学省の所管となる。プルトニウム・ウラン混合酸化物を使用し、消費した量以上の燃料を生み出すことができるから国家プロジェクトとして取り組んでいるにしてはお粗末すぎる。原発のある場所を福井県などの自治体は観光地図から除去してしまっている。福島県の放射線汚染地帯に乗り入れると身がすくみ精神は正常でいられなくなる。嘘だと思ったらこれをしてみたらいい。

「安全と安心」という言葉が行政機関でもさまざまな分野でも流行言葉のように使われている。岩手県山田町の町の再建と復興の計画を語る核となる言葉として「安全と安心」が使われているがこれは願いとして受け止めるべきなのだろう。地方議員と国会議員が「安全と安心」といいおよぶのは具体策のない政策案を誤魔化すために利用されているように思われる。行政機関がこの言葉を使うときも事情は同じであり「安全と安心」は耳障りのよい誤魔化しとして聞こえる。そのような意味で「重宝」な言葉が「安全と安心」である。

物事には絶対はない。安全にも絶対はない。安全でないことをいかにして排除するかという考えが大事である。食品への金属や異物の混入を避ける対策を講ずるとともに、混入した異物を検出して排除することが第二次の対策としておこなわれる。いまの社会のように異物の混入などがあれば全品回収や出荷停止という措置を取らざるを得ない状況にあっては第三次対策を講ずることもしなければならない。二重三重の安全構造がこれであり、「間違っても大過なし」で済ますようにすることが大事だ。

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