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日本計量新報 2016年1月24日 (3089号)

定年後に楽しく仕事ができている計量士は仕合わせだ

資格があってそれで生きていくことができるならそれはいい。医師と弁護士だけが資格で飯が食えるといわれる。公認会計士がこれに加えられるか。医師になるためには医学部へ入学しなければならない。弁護士には難関の司法試験がある。学校の成績が良いだけでこの2つの資格をとっても適正がなければ仕事がつまらない。それでも楽に飯が食えるからとこの職に妥協する人は多い。医者の長時間労働がやっと世に知られるようになった。悪の手先のような仕事で稼ぐ弁護士もいる。家庭の主婦をしていて乏しい手当で人権擁護のための法廷に立つ弁護士もいる。甲斐ということでは医者も弁護士も悪い仕事ではない。資格を取得するのに苦労があり望んでもなれない人が多い。

サラリーマン映画の主役であった植木等を知らない世代が増えている。植木等は音楽ができ教養のある人だ。映画の世界では無責任男を演じる。会社に束縛される日本社会にあって無責任なスチャラカ男の立ち回りは痛快である。何をあくせく会社員生活に身をやつすか、と述べると一所懸命に働いている人々を茶化すようでいけない。会社の決まり切った業務を昨日も今日も同じようにしていては駄目だ。そのようにしていれば周囲は異議を唱えないが時代が進むとその業務は屑籠に捨てられる。

1970年頃には都バスの女性車掌がいなくなった。<RUBY CHAR="","はさみ">をかカチャカチャと鳴らして粋がっていた鉄道会社の改札員がいた。手に職を持つことが生きていくのに便利だからと仕立て職人にならされた人がいた。靴職人も同じである。その後に洋服と靴のチェーン店が増大した。洋服も靴も町の職人が一つ一つ手作りしていたものだ。旋盤工の数が少なくなった。コンピュータ制御の自動旋盤は無人で昼夜運転する。精密天びんのナイフエッジを削り研ぐ職人は体調が悪いと仕事をしなかった。身体が自然に動いてこそできる仕事であった。天びんメーカーの守谷の職人が語っていた。そうした精密ハカリは現在もわずかに使われているが整備がおぼつかない。

高等小学校卒業の身であった松本清張は職業をいくつか経験したあとで小倉の朝日新聞社で広告版下制作の職人をしていた。傾倒した文芸によって松本清張は1953年に『或る「小倉日記」伝』で第28回芥川賞を得る。森敦は『月山』で1974年に第70回芥川賞を受賞した。森敦は旧制第一高校を退学したあと、22歳ころにはいくつかの新聞に小説を連載していた。その後は放浪し、さらに印刷工場で活字を拾う文選工をしていた。芥川賞がやってきたのは62歳のときにであった。文選工はいまはほとんどいない。松本清張がしていた仕事は広告図案作成として残っている。

大事な仕事ではあるけれども要らなくなるのではないか、やめても良いのではないか、と問い返すことだ。機械などで置き換えられるか、要らなくなった仕事は多い。日常の決まり切った業務内容をルーティンという。プログラムの命令群がルーティンであり、ここからきた言葉のようだ。観念を固定して改良を想起させないルーティンという言葉は使わないことだ。

会社員には定年退職がある。その後もこれまでやってきた仕事と関係して楽しくあればこの上ない。定年後に計量士の資格によって会社勤務などをしている人は多い。得られる収入は「旅行ができる程度」と控えめにいう人がいる。22歳のフリーターの5倍もの報酬で迎えられる人もいる。収入は十分でなくても定年後に健康に恵まれて楽しく仕事ができる計量士は仕合わせだ。

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