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日本計量新報 2017年10月22日 (3168号)

安全でも安心でもない計量行政を補う国民の計量意識

 人が生きるのに大事なのは生計の安定である。身体も精神も健やかであることが望ましい。一人で暮らしている人が増えているから家族が大事だというと差し障りがある。宮沢賢治の「雨にも負けず」はすべて願望である。自身は生計、心身、家族に恵まれていたわけではない。裕福な家庭に育ち高等教育も受けた。それゆえに自分だけのために生きることを否定した。

人の世は人と人とがむすびつき支え合うようにできている。わが働きは人と世のどこかで活かされている。善良な人の真っ当な仕事は誰かの恩恵になり、自身もまた誰かの働きがあってこそ生きていられる。かしましいラジオの宣伝をする法律事務所が弁護士会によって咎(とが)められた。違法金利などによる過払い金にかんする弁護士事務所の業務の宣伝は行き過ぎがあり放送メディアは自制しなければならなかった。弁護士必ずしも善人ならず。

学校の教育課程に設けられた教科の成績がよいと良くできる人ということになる。法曹、中央官庁の上級職、大学などの教員はできの良い人たちである。その人々の行状が人として好ましいかとなると今の日本では普通の人と大差はない。経済学や政治学の分野で世界に名をなした日本人はいない。新渡戸稲造(にとべいなぞう)は南部藩の家老職をしていた叔父の追悼を念頭に『武士道』をしたためた。日本人の人としての在り方はこの書にある。

新渡戸稲造は南部藩の藩校で田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)と一緒であった。原敬もここにいた。田中舘愛橘は帝国大学で理学部を背負って立つ人材を育てた。田中舘愛橘の講義は流暢ではなかった。単純な英才にはつまらなかったが本質をついていたために思慮深い者には心に響いた。田中舘愛橘は南部弁が抜けない話し方を生涯していた。大事なときにドイツ語で教訓をたれたがそれが的を射ていた。田中舘愛橘は普段の行動を通じて教えをした。田中舘愛橘は空飛ぶ物理学者の異名がある。国際学会や国際度量衡委員会などに出席するために船に乗ってヨーロッパに渡ること30回ほどであった。

明治の偉人たちの物の本質に沿って考える思考方法と比べると現代の英才は教科の内容を無批判に受け入れることが多い。教科内容をどこでもそのままに話す。シンクタンクの肩書きがついた職員がそのようである。ビジネスの世界でも英才が習い覚えた知識によって行動する。議論すると何でもわかっているように話すのは愚かなことだ。大体は米国で学んだ人々だ。

適正計量の実施の確保が計量法の目的であり計量行政が追い求める仕事である。取引または証明に使用することができない料理用のハカリでお茶を計っている状態があり、このことを除いても日本のハカリの定期検査の実施率が5割程度である。業務をしている計量士が率直に述べている。これを真っ向から否定する人はいない。

ハカリの定期検査の実施体制として都道府県などの計量行政は予算不足が蔓延している。費用が割り振られない。費用がなければ適正計量の実施のための行動ができない。人がいない、行動の経費がない。結果がハカリの定期検査の実施率5割だ。お金がなければ行動できないから後は野となれ山となれ。日本の人々は目方を誤魔化そうとしないから大きな問題は起きない。何かの間違いによって京都大学の医学部において7倍ほどの薬剤が処方された。これは適正計量の実施の純真な意思とは関係なさそうだ。

定期検査の実施率は何かの間違いによる事例を除いても9割までは行かないだろう。8割ほどの実施率を確保するという体制にはほど遠い。計量行政にふれて安全と安心という言葉を使う。無思慮な人である。安全でも安心でもないのが日本の計量行政の実態だ。これを救っているのが日本の度量衡運動がメートル法運動を通じて培った世界に希にみる適正計量意識である。田中舘愛橘はメートル法運動に熱心であった。物理学者としての魂がそれをさせた。田中舘愛橘の米国人の教師も英国人の教師もメートル法論者であり行動もした。日本のメートル法運動には良き先輩がいた。先人の遺産によって今の日本の計量行政は救われている。

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