日本計量新報の記事より 社説9901-9904 


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■社説・オウムの国の弱腰と悪への憎しみ(99年4月25日号)

 地下鉄サリン事件で大阪に本社がある計器メーカーの東京支店長が殺された。本紙関係者は支店長と面識を持っておりオウムの無差別殺人に憤怒を禁じ得ない。そのオウムが相変わらず殺人を含めた犯罪に対して罪の意識をもたないまま次の大犯罪に向かう行動を続けている。

 本紙社員の住居近くにあったオウムの東京都江東区亀戸と中野区野方の施設が策動の基地の一つになっていたことに驚愕するとともに、亀戸では居住区の仮谷清志さんが惨殺されている。亀戸の施設ではボツリヌス菌などを製造しており、その際に強烈な悪臭が発生、地元住民が江東区役所に立入検査を求めたのに対して役所は動かなかった。松本サリン事件で警察が真相を突き止めていれば、地下鉄サリン事件は起きなかったろう。そのような役所、警察ひいては国家のオウムへの対応の鈍さ、怠慢はあきれるほどであり、指名手配中の平田信、高橋克也、菊地直子を未だに逮捕できていない。地下鉄サリン事件の捜査で山梨県上九一色村のオウム施設にあった計量計測機器の購買先調査のため、警察の問い合わせがあったのは、迷惑なことであった。

 松本智津夫は麻原彰晃と名乗り未曾有の殺人と犯罪に走ったが、法定での態度は許しがたいものであり、オウム犯罪の被害者はどんな気持ちで見ていることであろうか。刑期中の上佑史浩の指示によって行動するオウムは清里で知られる山梨県高根町でお金を脅し取った。松本智津夫の拘置されている足立区小菅にはオウム「信者」が集結しており、こうした一連の行動は国民と国家への新たな反逆のための策謀と考えて結果は間違いないであろう。

 そのオウムの策謀に対抗するための術を講じようとしても、市民の側のネットワークは地下鉄サリン事件から日が過ぎるほど弱まっているのが実態である。このような場合に日本の警察と国家は極めて頼りない。破防法適用をめぐってかしましく議論した政党と議員と議会は、地下鉄サリン事件を忘れたかのごとくだ。

 オウムの最近の策動と、これに対応する警察、国家の対応を観察するとき、日本という国の頼りなさを思う。国民も国家も悪に対する正しい憎しみをもつことが日本という国をより増しな国にすることにつながるのではないか。

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■社説・統一地方選挙結果と計量行政の課題(99年4月18日号)

 統一地方選挙の前半戦が終わったところであり、地方公共団体の仕事の在り方が急迫した財政との関連で問われている。知事選挙では東京都知事に石原慎太郎氏が初当選、神奈川県知事には岡崎洋氏が大阪府知事には横山ノック氏が再選され、みな最重要課題を財政再建と唱えている。国も地方も国民等から税等の形で集めた金を上手く使えない不思議な病気を直そうというのが財政再建であろう。

 日本は地方分権の制度改革のさなかにあり、国の仕事、地方公共団体の仕事の再割り振りをしている。国の仕事は@通貨の発行、A外交、B防衛、の三項目だけでよいという意見があり、現在進められている地方分権も大筋このような考えである。これに伴う税の配分が明示されなくてはならないがこれは未だである。

 地方公共団体の財政が国からの地方交付税交付金などによって支えられた二割自治である現状をそのままにして「財政再建」をしてみても、喉元過ぎれば熱さを忘れ、元の黙阿弥になることは必至だ。国からとってきた銭で橋をつくったり、道路をつくったりの繰り返しでは、地方公共団体は財政に真剣になり得ない。また地方公共団体が単年度ごとに予算を使い切る財政システムが財政難を生む要因の一端である。

 地方分権時代における自治体の役割は地域経済の振興であり、そのためには産業基盤つくり等に対するビジョンが必要であり、それは雇用と県民所得の向上につながる。いきいきとした経済と国民生活と福祉の向上のために、地方分権という新しい枠組みが定まり、狙いどおりに機能するため万全の施策を講じる時期にある。

 地方公共団体は国にぶら下がって、落ちてくるお金を当てにして仕事をするのではなく、国ができない仕事の全てを実施する気概を持つことが求められている。また地方公共団体の仕事の枠組みが明確にされることも大事である。

 計量行政の過半が地方公共団体の仕事であることを規定した分権化計量法が近く成立する。計量行政の仕事の割り振りが決まったことはよいとして、仕事を実施するための財政の在り方への踏み込みが不足している。その結果かどうか判別し難いが、現在のところ地方公共団体では計量行政に十全とはいわないまでも、不足のない予算を付けることに躊躇する気配が観測される。

 地方分権の推進ということで、地方公共団体へ行政権限が移管された後、計量行政予算を縮減するということがあってはならない。必要な予算はどんな方法を講じてでも確保するのでなければ行政のサボタージュといってよいのではないか。

 地方分権の大義だけが進行して、財政の裏付けが後回しになっている現状では仕方がないことかも知れないが工夫を求めたい。

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■社説・4月11日のメートル記念日と国際単位系(99年4月11日号)

 今日の世界の計量単位はメートル系単位が支配的であり、米国、日本、ドイツ、フランス、英国、イタリア、カナダ(以上世界のGDPランキング順)のほか、ロシア、中国等の世界の主要四十八カ国が加盟するメートル条約は世界の計量単位を、メートル系単位のより改善された単位系である「国際単位系(SI)」で統一し、各加盟国が自国で採用することを決めている。

 日本の計量法の計量単位は国際単位系(以下、本稿ではSIまたはSI単位と表現する場合もある)を全面的に採用することを決め、旧法で計量法上の単位として残されていた一部の非SI単位を期限を切ってSI単位に移行することを定めている。

 非SI単位のSI単位への切り替えは期限を三段階に分けており、最終段階である第三段階の期限は九月三十日である。第三段階は移行の難しい圧力や力の単位などであり、期限切れが目前に迫っている。

 日本の計量単位のメートル系への移行は九分九厘済んでいるといって良く、今回のSI移行は大筋で見るとほんのわずかな部分といえる。

 欧州連合(EU)は二月八日、一九九九年末に域内の計量単位を国際単位系(SI)に統一する計画を断念し、ポンドなどとの併用期間を二〇〇九年末まで十年間延長することを決めた。EUは七九年に十年間のSI単位への移行期間を設けて、加盟各国で異なる計量単位をSI単位に統一することを決定していたが、ヤードポンド法使用の英国などとの混乱を避けるために二回にわたって最終期限を延長してきていた。今回の延長理由は「ラベルの二重表示などで工業界に多大な負担を強いる恐れがあるため」(欧州委)としている。

 メートル系単位は、ルイ王朝を打倒したフランスの市民革命の熱が盛んだった時代に、タレーランがフランス議会に提案した「いかなる国でも採用できる新単位系」創出案が承認され、パリ科学学士院がメートル法単位系を制定した。

 メートル法単位系は@十進法の採用、A計量単位の民族性の排除、B一量一単位など優れた内容をもっており、フランスの提唱によりメートル条約が主要各国で締結されるなど、その後の世界の計量単位の本流となり、世界がメートル系単位のより改良された単位系である国際単位系(SI)を採用することで合意をみている。

 フランスの提唱したメートル法単位系は、民族性を排除した単位を標ぼうしたものであり、基本的な単位である長さの単位メートルを地球の子午線から割り出すなど「科学的粉飾」してみたものの、フランスの民族主義の気配を消すことができなかった。従って覇権主義と民族的感情の対立を残す英国と米国はタレーランの提唱とメートル法制定のための地球子午線の長さの計測には協力しなかった。そのようにしてできあがったメートル法単位系は、英・米を中心としたヤードポンド系単位とは大きく異なるものとなった。このようないきさつが今日まで尾を引いており、その現出が今回のEUのSI採用十年延期決定である。

 日本の場合には開明的な科学者の提唱と工業立国にとっての単位の統一と標準化の重要性への認識の高まり等があって、度量衡はメートル法単位系に統一することとなり、大正十年四月十一日に法律第七十一号によってメートル系単位で構成された改正度量衡法が公布された。その後、日本のメートル法単位系の産業方面での採用と国民生活への普及は、この改正度量衡法を根拠の一つとして、息の長い運動の結果もたらされた。

 四月十一日は度量衡記念日と呼ばれていたが、戦後になって計量法が公布され、公布の日を計量記念日として定めたため、以後、度量衡記念日はメートル記念日と呼ばれるようになった。メートル記念日は日本がメートル法単位系を国として正式に採用し、これを普及することを決めた記念の日であり、メートル法を象徴する日であるから「メートル記念日」とは当を得た名称であろう。メートル法単位系の採用は今日の国際単位系(SI)に直結するものであり意義深い。

 欧州連合(EU)のSI採用延期決定は、国民生活に深く根を張り、民族感情がこれに重なるとSI採用が難しくなることを物語っている。日本の場合には計量単位についての覇権主義など無縁であり、この分野での民族主義は不合理であり、無用との常識ができている。

 九月三十日を期限とする非SI単位のSI単位への切り替え・移行が成功裏に終結することを願う。

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■社説・ダイオキシン濃度と計測科学(99年4月4日号)

 ダイオキシン濃度とごみ焼却場との因果関係を否定することができないのが現状であろう。ゴミ焼却場銀座の埼玉県所沢市で産する農産物のダイオキシン濃度が異常に高いというテレビ朝日報道をめぐって、地元農業関係者とテレビ局の間で争いになった。

 争いはダイオキシン濃度という計測値をめぐってのもので、その計測値に信憑性があるかどうかであった。

 この争いに割って入ったのが厚生、農水、環境の三省で、仲裁の手段がダイオキシン濃度の計測値の発表であった。三省共同してのダイオキシン濃度の測定結果は「従来の全国調査とほぼ同レベル」の値であり、だから安全であるというものである。

 物議を醸したテレビ朝日報道のダイオキシン濃度も三省合同によるダイオキシン濃度の測定と測定値の発表も、計測科学の立場からは疑問を呈さなくてはならないものである。

 まずは測定場所、測定した農産物、また測定地点を明示しないテレビ朝日報道は「所沢市のゴミ焼却場付近の農産物はダイオキシン濃度が高い」といっているだけである。三省合同のダイオキシン濃度の測定結果は、ゴミ焼却場銀座から五〇〇から一〇〇〇メートル以内の地点を複数含む平均値は「従来の全国調査とほぼ同レベル」の値であった、ということに過ぎない。

 このような測定値をめぐる争いがあるときは、三省合同で測定するときも別の測定グループにも作業させて、少なくとも二グループの測定値を発表すべきである。その他指摘すべきことは多くあるがこの程度にとどめるにしても、環境測定はサンプリングが測定結果に大きな影響を及ぼすものであり、三省合同発表を是認することはできない。

 そもそも三省合同調査は事態を沈静化することを目的としたはっきりとした政治的意図をもつものであるから、仮に測定結果が所沢市農民に不利なものであったならば、測定がなされたことを明かすことはないであろう。

 もし本当に問題箇所のダイオキシン濃度を科学的に計測しようとする意図があるならば、計測すること事態を事前に公表してその方法をも明らかにすべきである。

 ダイオキシン濃度の測定値をめぐっては、昨年九月に米海軍厚木基地に隣接する民間の産廃施設の排煙による大気中のダイオキシン濃度が、日本側が測定した値に対して被害者側の立場にある米軍調査では一〇倍の差があることが明らかになり、「環境基準値を上回る濃度であれば米軍だけでなく、周辺住民の問題でもある」と参院国土環境委員会で取り上げられた。

 環境計測はサンプリングが全てといってよい位に、サンプリングによって測定値が変動する。そうであるだけに測定値を意図した内容に誘導できなくはない恐さを含んでいる。測定値を問題にする場合の慎重さが求められる分野である。

 以上のような事例を散見するにつけ、計測に関係した世界に身を置く立場の者としては、今回のように計測の科学を無視して「計測値」が取り扱われることに憤慨する。

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■社説・ストック調整と今後の日本経済(99年3月28日号)

 計量・計測と表現する事象は二つの機能に分けて理解することによって正しく把握できるように思う。
 一つは、純粋な技術としての計量・計測に関するテクノロジーとしての機能であり、もう一つは社会システムの基盤をなす計量法令を骨格とした計量制度(国家・社会・経済システムの一つとしての計量制度)である。

 計量・計測の二つの機能のうちの一つの、テクノロジーとしての計量・計測は時代を超越して存在する。

 計量・計測テクノロジーは人類誕生とともに発生したと思われる。少なくとも人類の文明発生以前に人類の計量行為は存在しており、それはハードウェアとソフトウェアの両面から成り立つ。

 「計量」あるいは「計測」は「測定」と同義語と理解して「測定」の定義をJISの計測用語から引用すると(JIS Z 8303計測用語)「測定」とは「ある量を、基準として用いる量と比較し、数値または符号を用いて表すこと」と規定している。また苅屋公明(立命館大学教授)と前田親良(前大阪工業大学教授、現同付属高校校長)の両氏は共著『計測の科学と工学』のなかで、「計測」とは(狭義には)「何らかの目的をもって、事物を量的に捉えるための方法・手段を考究し、実施し、その結果を用いること」と規定している。そして広義には「計測は知識を得て科学的に物事に対処する心を養う使命を持っているのである」とも述べている。計測学は心を養う学問であるという主張を自己の仕事への自負として聞くべきか、そこに計測の真理を見るかは判断の分かれるところではある。

 ところで古代人の計測に関する知識は驚くほど高かったと考えられている。

 水利、天文、農耕など幅広い分野で人間の知恵として計量・計測を育み、活用して、文明を発達させてきた。数を中心にした計測に関する知識は相当に高い水準に達していた。

 古代エジプト、メソポタミアの計測技術を一例に引くと、エジプトのピラミッドが子午線に平行に築かれていること、ピラミッドの外周が十分の一度の角度に相当する地球の子午線の長さ(一八五二メートル)の約半分にあたることから、古代のエジプト人やメソポタミア人は地球が球体であることを知っており、地球をも測っていたものと推察される。

 他方バビロニア人は、振り子の等時性を知っていて、時間を計ったり暦を作ったりするために、これを用いた。

 古代の人類は驚くべきほどの計測に関する知識を持ち合わせていたが、これを多面的に活用するための社会的・技術的要件を持ち合わせていないから、産業振興は現代のような形では起こらなかった。
 現代人は分業という便利なシステムを上手く使って科学技術、知識を発達させ、今日の文明を築いてきた。

 科学と技術が機能を全面的に発揮させる保証となるものの一つが計量制度であり、国際的障害を取り除くのがメートル法の精神をもとにした計量の国際制度である。

 計量法と関係法令その他の計量関係JISや工業会規則などは常に社会的、歴史的制約の中にある。社会システムとしての計量制度(経済社会システム機能)は常に歴史的制約を伴うものである。
 古代では社会の「おきて」あるいは「きまり」としての計量単位と計量制度、律令制度としての度量衡の制度がつくられる。度量衡制度(計量制度)は国家成立をもって体制を整える。穀物の徴収など徴税制度と連動することから、国家が成立すると国は計量の基準(計量単位)を定めること、規則に従って計量することなどを定め、度量衡制度が成立する。

 現代の計量制度は計量法を骨格として形成されている。これに加えてJISその他の制度で任意的な規定を設けて、経済・社会の健全な発達に資する約束事としている。

 現代の、いま進行している「規制緩和」に関する一連の動きは、経済が広域化、地球規模化した現在、物を作ったり、物を売ったり、買ったりするという経済活動において国と国との間で物を作ったり、物を売ったりするのに対して、障害となる地域的な規制は撤廃しようという考えに従ったものである。
 ここで話が飛躍するが、日本のメートル法採用は、計量単位に民族性を主張することは不合理であることと、十進法の利便性など、総合的な判断から実施に移されたものである。これなどいち早い国際化の推進の典型であった。

 世界各国にはその国に特有の民族性を伴った商慣習あるいは法的な規制があるのが実状であり、「規制緩和」の総論は間違いではない。しかし世界の規制緩和とワールドスタンダードを求める動きの背景には民族的な思惑が見えるので、単純に相乗りできないうらみがあることも事実であろう。

 従って、計量制度の国際整合の作業については、世界各国の規制の状況を納得がゆくまで良く調べ、調べた事実を広く開示して、関係者の議論の材料に供して、コンセンサスを得ることが大事である。

 社会制度としての計量制度には絶対的なものはなく常に変動するものである。計量制度を歴史的視点を含めた広い視点をもって考察し、現代とこれに続く未来の望ましい制度として具体化するために、計量関係者を中心に多くの人々の知恵を集めることを望みたい。

 ともあれ歴史的視点をしっかり持つことが現代社会の雑多な動きに惑わされず、しっかりした自己の進路を見つめることにつながる。

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■社説・計量計測の二つの機能の理解(99年3月21日号)

 計量・計測と表現する事象は二つの機能に分けて理解することによって正しく把握できるように思う。
 一つは、純粋な技術としての計量・計測に関するテクノロジーとしての機能であり、もう一つは社会システムの基盤をなす計量法令を骨格とした計量制度(国家・社会・経済システムの一つとしての計量制度)である。

 計量・計測の二つの機能のうちの一つの、テクノロジーとしての計量・計測は時代を超越して存在する。

 計量・計測テクノロジーは人類誕生とともに発生したと思われる。少なくとも人類の文明発生以前に人類の計量行為は存在しており、それはハードウェアとソフトウェアの両面から成り立つ。

 「計量」あるいは「計測」は「測定」と同義語と理解して「測定」の定義をJISの計測用語から引用すると(JIS Z 8303計測用語)「測定」とは「ある量を、基準として用いる量と比較し、数値または符号を用いて表すこと」と規定している。また苅屋公明(立命館大学教授)と前田親良(前大阪工業大学教授、現同付属高校校長)の両氏は共著『計測の科学と工学』のなかで、「計測」とは(狭義には)「何らかの目的をもって、事物を量的に捉えるための方法・手段を考究し、実施し、その結果を用いること」と規定している。そして広義には「計測は知識を得て科学的に物事に対処する心を養う使命を持っているのである」とも述べている。計測学は心を養う学問であるという主張を自己の仕事への自負として聞くべきか、そこに計測の真理を見るかは判断の分かれるところではある。

 ところで古代人の計測に関する知識は驚くほど高かったと考えられている。

 水利、天文、農耕など幅広い分野で人間の知恵として計量・計測を育み、活用して、文明を発達させてきた。数を中心にした計測に関する知識は相当に高い水準に達していた。

 古代エジプト、メソポタミアの計測技術を一例に引くと、エジプトのピラミッドが子午線に平行に築かれていること、ピラミッドの外周が十分の一度の角度に相当する地球の子午線の長さ(一八五二メートル)の約半分にあたることから、古代のエジプト人やメソポタミア人は地球が球体であることを知っており、地球をも測っていたものと推察される。

 他方バビロニア人は、振り子の等時性を知っていて、時間を計ったり暦を作ったりするために、これを用いた。

 古代の人類は驚くべきほどの計測に関する知識を持ち合わせていたが、これを多面的に活用するための社会的・技術的要件を持ち合わせていないから、産業振興は現代のような形では起こらなかった。
 現代人は分業という便利なシステムを上手く使って科学技術、知識を発達させ、今日の文明を築いてきた。

 科学と技術が機能を全面的に発揮させる保証となるものの一つが計量制度であり、国際的障害を取り除くのがメートル法の精神をもとにした計量の国際制度である。

 計量法と関係法令その他の計量関係JISや工業会規則などは常に社会的、歴史的制約の中にある。社会システムとしての計量制度(経済社会システム機能)は常に歴史的制約を伴うものである。
 古代では社会の「おきて」あるいは「きまり」としての計量単位と計量制度、律令制度としての度量衡の制度がつくられる。度量衡制度(計量制度)は国家成立をもって体制を整える。穀物の徴収など徴税制度と連動することから、国家が成立すると国は計量の基準(計量単位)を定めること、規則に従って計量することなどを定め、度量衡制度が成立する。

 現代の計量制度は計量法を骨格として形成されている。これに加えてJISその他の制度で任意的な規定を設けて、経済・社会の健全な発達に資する約束事としている。

 現代の、いま進行している「規制緩和」に関する一連の動きは、経済が広域化、地球規模化した現在、物を作ったり、物を売ったり、買ったりするという経済活動において国と国との間で物を作ったり、物を売ったりするのに対して、障害となる地域的な規制は撤廃しようという考えに従ったものである。
 ここで話が飛躍するが、日本のメートル法採用は、計量単位に民族性を主張することは不合理であることと、十進法の利便性など、総合的な判断から実施に移されたものである。これなどいち早い国際化の推進の典型であった。

 世界各国にはその国に特有の民族性を伴った商慣習あるいは法的な規制があるのが実状であり、「規制緩和」の総論は間違いではない。しかし世界の規制緩和とワールドスタンダードを求める動きの背景には民族的な思惑が見えるので、単純に相乗りできないうらみがあることも事実であろう。

 従って、計量制度の国際整合の作業については、世界各国の規制の状況を納得がゆくまで良く調べ、調べた事実を広く開示して、関係者の議論の材料に供して、コンセンサスを得ることが大事である。
 社会制度としての計量制度には絶対的なものはなく常に変動するものである。計量制度を歴史的視点を含めた広い視点をもって考察し、現代とこれに続く未来の望ましい制度として具体化するために、計量関係者を中心に多くの人々の知恵を集めることを望みたい。

 ともあれ歴史的視点をしっかり持つことが現代社会の雑多な動きに惑わされず、しっかりした自己の進路を見つめることにつながる。

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■社説・地方分権計量法に繋がる計量法制の変遷(99年3月14日号)

 日本の計量法令の変遷をみると、度量衡の規定が最初に登場したのが大宝元年(七〇一年)の大宝律令で、この制度は唐の制度の引き写しという内容、寸、尺等を規定し、検定を行うことになっているものの唐の制度の模写の域を出ず、検定などは実行されなかったというのが小泉袈裟勝氏の説である。
 明治時代以前の計量制度をみると、日本には江戸期までは大宝律令以外に単位および度量衡に関する法定制度というべきものはなかった。江戸期には枡座、秤座ができて体積と質量と単位は江戸期以降厳格に維持統一されてきた。江戸期の長さの基準は曲尺が基になる呉服尺、鯨尺がつくられてきた。江戸期の長さの単位「尺」は〇・三〇三メートル、面積の単位「歩(坪)」は三・三〇六平方メートル、質量の単位「貫」は三・七五キログラムで維持されてきた。

 明治時代から昭和二十六年までの計量制度は次のように変遷。

 明治元年(一八六八年)六月、明治政府が守随に対して従来通り秤事業の継続を指示。明治二年(一八六九年)十一月、度量衡は大蔵省直轄となる。翌三年八月度量衡掛(かかり)を設置。明治政府初の度量衡に関する法令「度量衡取締条例」(明治八年、一八七五年)が太政官達一三五号として、府県に達せられる。度量衡種類表、度量衡検査規則を同時に出す。度量衡取締条例はさし、ます、はかりの製作、販売、監察、旧器の検査と検印、新器製作の税額、罰則、官庁の製作販売の監督、一般への周知などを定めている。この条例には単位や標準に関しての規定は出てこない。この年にメートル条約締結。

 明治十四年、度量衡の所管が大蔵省から農商務省に移管される。明治十八年十二月二十二日、日本政府はメートル条約への加盟手続き終える。同条約に基づくメートル原器bQ2、キログラム原器bUが明治二十三年(一八九〇)四月に日本に届く。

 明治二十四年(一九八一年)「度量衡法」制定。日本に届いたメートル原器とキログラム原器を基にした単位制度と度量衡器制度からなる近代法的骨格を整えた計量法令が完成。長さの単位と質量の単位の呼称は尺ならびに貫であるものの、その基の基準はメートル法からとっている。メートル原器の33分の10を1尺、メートル原器の1000分の15を貫とする、としている。国粋論が勃興した時代を考慮して実質的には原器をメートル原器とキログラム原器としながらもその原器に対する表現は「白金イリジウム合金製の棒および分銅とす」としている。

 大正十一年四月十一日に度量衡法を改正(メートル法度量衡法)を公布。メートル法を基にして、法の骨格を組み替える改正が行われた。すなわち度量衡法第一条では「度量はメートル、衡はキログラムをもって基本とす」とし、「メートルは国際メートル原器の示す長さとし、キログラムは国際キログラム原器の質量とす」(以上現代文に訳)としている。そして「度」(長さの単位)、「面積」、「量」(体積)、「衡」(質量の単位)を規定している。取引・証明には法定単位以外のものを使用することを禁止する規定を初めて設けた。

 明治四十三年(一九一〇年)「電気測定法」制定。ロンドンで電気標準会議が明治四十一年(一九〇八年)に開かれ、電気標準関連の採択をした定義に従って、二年後に日本で「電気測定法」制定される。内容は電気の単位と電気計器の検定。昭和四十一年(一九六六年)七月の大改革により、電気測定法と計量法が統合。世界各国は電気関係の標準と取引と度量衡関係の標準と取引を一つの法体系でくくっているのにならってのもの。

 昭和二十六年六月七日、計量法公布。戦後の憲法を下敷きにした計量法時代が始まる。ここに地方分権の発端をみる。

 昭和四十一年(一九六六年)七月の計量法大改革。電気測定法と計量法が統合。世界各国は電気関係の標準と取引と度量衡関係の標準と取引を一つの法体系でくくっているのにならってのもの。同時に計量器に対する規制を大幅に簡素化。

 平成五年十一月一日の新計量法の施行。指定製造事業者制度、指定定期検査機関制度など自己認証、第三者認証制度を創設。また産業界等への標準供給制度ともいえる「計量法トレーサビリティ制度」として、認定事業者制度(JCSSトレーサビリティ認定事業者)を創設している。

 そして現在新しい計量法として国会で審議されることになっているのが地方分権計量法(便宜上の仮称)である。

 平成十一年の通常国会に提出される計量法案は現在の法の骨格を地方分権時代に対応する内容に変更している。地方分権計量法は、国民への法の規制の全体は変わらないが、検定と検査に係る規制の主体を国から地方公共団体に移管させる内容になっている。

 地方分権で計量法の骨組みがどのように変わるかというと、機関委任事務としての計量事務が全面的に廃止されて、地方公共団体が責任の主体となる「自治事務」に移管する。現行 地方公共団体で実施している機関委任事務が次の三項目に分かれる。@国直轄事務(国が直接実施する行政)、A地方公共団体の事務としての法定受託事務(進達事務等経由事務等)、B地方公共団体の事務としての自治事務(法定受託時事務以外の事務)。

 計量行政(事務)が機関委任事務から地方公共団体の事務に移管されることの意義は今後時の経過とともに増大すると考えられる。

 国の下請けとしての機関委任事務から地方公共団体による自分たちの事務・仕事に変わること。国の指揮監督、命令、知事罷免が勧告のみとなり、国に第一義的責任があった、つまり地方公共団体は国の下請け的機関にあったものが、地方公共団体に第一義的責任が移管されることは、地方公共団体(自治体)の裁量権が増大することでもあり、この裁量権を上手く活用することによって、地域経済の振興、地域住民の消費生活の安全と利便の向上、ひいては地域福祉の向上につながる。

 計量検定所および計量検査所の業務は、消費者および計量関係事業を含む各種事業者から信用され、頼りにされる計量行政として新しい法の理念のもとに再構築を必要とされる。この中には計量法令に基づく規制行政に加えて、計量関係事業者の支援行政と消費者利益の確保のための監視行政の充実などがあり、東京都などでは、このビジョン造りに取り掛かっている。

 ここで注意を要することは、計量検定所等地方計量行政機関の業務の方向が、検定・検査中心の行政から、監視と指導中心の行政に力点を移すことになるのは当然としても、問題はその財政措置をどのように講ずるかである。

 計量行政は社会基盤的性質が強いだけに、このための住民福祉と地域経済への波及効果を説くのはコツがいり、自治体の財務当局に計量行政を説くことが仕事の一番目にしなければならない重要事項にもなっている。

 計量行政に従事する者ならびに計量関係者は計量の行政も含めた振興が、日本の経済と国民生活の豊かさと快適さを実現する道であることへの確信を持ちたい。

 計量の歴史、計量制度の歴史は社会の歴史でもあり、現代を生きる者は、豊かな現代の計量の繁栄に邁進したいものである。

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■社説・古代のもう一つの文明を確認した計量史学(99年3月7日号)

 計量の歴史研究に関する学会「日本計量史学会」が一九七八年に発足して二十年が経過、二十一年目に入っている。当初十九名で発足した学会会員は現在約百三十名である。地味な存在ながらたゆまぬ努力によりこの二十年間には以下に紹介するような貴重な成果をあげてきた。

 計量史学は計量に関するあらゆる分野の歴史学的な調査と研究と考察をする学問である。

 歴史学的には考古学や技術史学も含まれ、計量には度量衡を含み、その周辺にも及ぶ。学問の対象には古代史、中世史、近代史、現代史のほか未来学も含まれる。計量史学の究極の目的は「計る行為から見た人類とは何か」である。人類を知る学問といってもよい。

 計量史研究の成果の一つに世界の四大文明の前史ともいえる「前インダス文明」の存在の確認がある。

 「前インダス文明」は発掘が進んでいないので詳しいことは分からないが、この文明が衰えた後に西アジアにメソポタミア文明、アフリカにエジプト文明が起こったものと考えられている。

 どのようにして「前インダス文明」の存在が確認されたかというと、西アジア一帯で発見された分銅をメソポタミア文明およびインダス文明の数量の扱い方および質量の標準との比較によって、その文明はインダス系統であることが分かり、しかもその歴史年代がインダス文明よりも古いことが分かったからである。

 「前インダス文明」の分布する範囲は、トルクメン、イラン、イラク、アフガニスタン、パキスタンに及ぶ広大な地域で、最も古い遺跡はトルクメンのダシリィ・テペとアナウで、紀元前五〇〇〇年まで遡る。遺跡が発掘されるに従い全容が判明してくるが、経済困難をかかえる旧ソ連領にあるため発掘が進んでいない。

 同研究は計量史学会会長の岩田重雄博士と古代オリエント博物館研究部長堀晄氏の共同研究による。

 調査や観察等を通じて事実をよく知ること、事実の中から法則のようなものを見いだせれば、未来に向かって正しい進路がとれる。

 古代史、現代史、未来史を含めた計量史研究の今後の研究成果に期待したい。

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■社説・計量法の定期検査と指定定期検査機関制度(99年2月28日号)

 平成五年十一月一日施行の新計量法が新しい制度として採用した計量器の規制に係わる検定および検査に関する自己認証制度としての指定製造事業者制度と、第三者認証制度としての指定検定機関制度および指定定期検査機関制度等が機能している。

 自己認証制度の指定製造事業者制度は量産型の計量器の「自己検定」の経済効果が大きいことから、時の経過とともに指定を受ける事業者が増大しており、今後はこの制度の少量生産品への対応、また技術的制度的側面として同軸上にある「指定修理事業者」制度の検討が課題になっている。
 第三者認証制度としての指定検定機関制度、指定定期検査機関制度、指定計量証明検査機関制度の運用は今後の課題といってよい。

 指定検定機関制度によって指定を受けて業務を実施しているのは(財)日本品質保証機構(JQA)と(財)日本ガス機器検査協会の二機関であり、同二機関による検定実績は平成七年度三〇九八九個、平成八年度三二三二〇個、平成九年度三五五七四個で、通産大臣、都道府県知事、日本電気計器検定所なども含めて実施する検定に対する割合は、いずれの年度も〇・一%台の実績でしかない。

 指定定期検査機関制度に基づいて指定を受けている団体は(社)兵庫県計量協会、(社)愛知県計量団体連合会、(社)佐賀県計量協会の三つ。平成十一年二月一日付けで(社)山形県計量協会が指定を受けており、平成十一年度から指定定期検査機関として検査業務を開始する。平成十一年度には静岡県、滋賀県でも同制度の運用が開始されると伝えられている。

 指定定期検査機関による定期検査の実績は平成七年度一八一一〇個、平成八年度三七一四〇個、平成九年度三五五五八四個で、都道府県および特定市町村を含む定期検査実績に対する割合はそれぞれ二・二七%、四・五二%、四・五六%。

 指定計量証明検査機関の指定はまだない。指定計量証明検査機関は計量証明検査を都道府県知事の指定を受けて実施する。計量証明検査とは、計量証明事業者が計量証明に使用する特定計量器の都道府県知事が実施する検査である。指定の要件は公益法人であることなど指定定期検査機関とほぼ同様である。計量証明検査を受けることを要する特定計量器は政令で定められており、それは次の各器種である。@非自動はかり、分銅およびおもり、Aベックマン温度計、B皮革面積計、Cボンベ型熱量計、D騒音計、E振動レベル計、F濃度計(ガラス電極水素イオン濃度検出器および酒精度浮ひょうを除く)。

 以下、指定定期検査機関制度の指定と業務等に係る諸要件である。

 指定定期検査機関とは、都道府県知事または特定市町村の長の権限である定期検査について、計量法で定める一定の条件を整えた民法三十四条(公益法人の設立)に基づいて設立された法人の申請により、都道府県知事または特定市町村の長が指定し、定期検査を実施させる制度である。

 指定の基準は定期検査を実施するのに必要な設備があること、計量士等一定規模の検査要員を備えていること、公益法人であること、公平性を確保できる要件を備えていることなどである。

 このほか業務規定を定め、帳簿を記載すること、事業計画を立て、報告書を提出しなければならない。指定は検査業務を行おうとする公益法人の申請により、都道府県知事または特定市町村の長がする。

 都道府県知事および特定市町村の長は指定定期検査機関の指定の権限とあわせて指定の取り消し、また検査業務の停止命令の権限を持つ。指定定期検査機関は業務に係わる諸事項について指定権者の許可を受けることが求められる。何らかの事情で指定検査機関が検査業務を実施できない場合には、指定権者が検査業務を引き継ぐ。

 指定定期検査機関は都道府県知事または特定市町村の長が実施主体となっている定期検査を委託されて行う組織である。対象となる特定計量器は質量計のうち検定の対象となる非自動はかり、分銅およびおもり、皮革面積計である。検査実績的には実質上は質量計だけと考えてよい。

 指定定期検査機関が実施する定期検査の料金は法定手数料で定められた額となっている。従って検査に要する器具、機械、設備が整えられていたとしても、法定手数料に基づく検査事業の収入では、検査事業の全体に要する支出と収支が均衡することがない。収支の差額、つまり赤字分は県民生活や市民生活に欠くことができない基盤的な行政上の費用として、地方公共団体が委託費の形で補填することになる。経費的問題に関しては計量検定所あるいは計量検査所で実施する定期検査とたいして差異はない。しかし地方公共団体は専門職ともいえる定期検査のための職員を常時必要な人数を雇用することが困難になっていること、直接的な雇用職員を減じることの社会的要請など、諸事情があり、将来的には指定定期検査機関制度を利用して行くことになるものとの判断もある。

 地方公共団体の計量事務職員は、指定定期検査機関の監査、指定製造事業者の監査のほか、適正な計量の実施の確保のための立入検査等に職務の力点が移行することになる。

 地方分権制度の推進計画に基づく計量法の改正で、検査手数料の制定権限が地方公共団体に移管されるが、指定定期検査機関の採算条件まで引き上げることは実質上不可能である。改正される計量法では指定定期検査機関等第三者認証制度に株式会社等営利法人も加えることにしている。

 計量器の検定検査等に係る計量事務は機関委任事務であったが、今国会に上程され改正されることになっている計量法では、全ての機関委任事務を自治体が主体となり責任と権限を持つ自治事務に変更する。計量に関するほとんどの事務が地方公共団体の権限に基づく事務に移管されることになるが、全国統一的に実施されなければならない計量行政の統一性を確保することで関係者の意見が一致しており、統一性確保のための仕組みが講じられる。

 地方分権制度と計量行政との融合には一部に難問もあるものの、国の下請け的行政の色彩から脱却して、住民サービスと地域経済の活性化と発展に結び付く行政施策として実施することが望まれる。従って旧来の機関委任事務という制約から解き放されたのにふさわしいアイデアに富んだ計量行政の創出が課題になる。

 住民サービスや地域経済の振興と発展に結び付かない行政は淘汰されるという環境の下に計量行政は置かれるので、自治体は計量行政を本質を見極めたうえで再構築することになる。

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■社説・日本の望ましい計量制度と計量関係者の知恵(99年2月21日号)

 いま日本で実施に移されている諸制度の改革は、新しい経済社会システム構築の一環としてのものである。

 望まれている新しい経済社会システムとは次の事項に要約される。

 @政府を巨大化しないこと、現状からは縮小させること、A地方のことは地方でということで自治体への政府権限の移管としての地方分権とその新しい財政の在り方の策定、B商品、サービス等の国際間の流通の障害となる規制はなくすこと、C高コスト社会の日本を国際競争力を備えた低コスト社会に移行させること、D政府に頼らない自主的・独立的で健全な産業社会に移行させること、Eベンチャービジネスが旺盛に展開される社会環境を整えること、F人間を中心にした暮らしやすい自然環境を創出すること、G世代間相互扶助が実現できる世代間の調和を図ること、Hよく働き、よく稼げば老後、余生の心配がない老後資金作りができる社会体制を築くこと、I自助努力を前提とした社会福祉の総合的実現の体制を築くこと。

 計量法を骨格とした計量制度の改革は上記各事項と深く関わり、@地方分権、A規制緩和、B基準認証制度の三項目について、その促進を基本として検討されている。

 日本の計量制度は、地方自治体の計量事務組織である都道府県計量検定所と計量検査所等の公的計量機関を計量行政の核あるいは拠点として実施・運営されている。

 これら組織は国民の消費生活における計量の安全の確保のため決定的に重要な役割を果たしている。これは計量法の規定の実現のために、全国的に統一的に一定の規模をもって実施しているから効果があがる性質のものである。

 自治体の計量事務部門と計量事務職員は一定規模を維持することが出来なければその機能は大きく低下する。現時点においても計量事務部門は十分に小さなものになっているから、これ以上の削減は機能停止に直結する自治体が少なくない。

 計量法が制定した指定製造事業者制度は計量検定所の検定業務を縮小させるなど大きな影響を与えた。

 これから質量計の定期検査周期の延長が検討されることになっているが、現在二年の定期検査周期が三年に延長された場合には、計量検定所ならびに計量検査所の組織の縮小は必至である。日本の計量文化の重要な一翼を担い、健全な経済機能と消費機能を支えてきた組織、適正な計量の実施の確保のための最重要な組織が、そのような事態に立ち至った場合には、後からの修復は不可能である。

 計量検定所、計量検査所は地域の健全な経済活動、消費活動、文化活動を支える基盤的組織であるから、単純で表面的なコスト計算によって是非を論ずるべきではない。計量検定所と計量検査所は計量の安全の確保、適正な計量の実施の確保のための護民官的組織であり、消費者が計量について安んじていられるための守り神でもある。特に計量検定所の職員は特定市以外の市町村の職員の計量行政事務についての教育係でもあり、このような人々と手を携えて地域の計量の安全を守ってきていることも見落としてはならないことである。地方分権は国から都道府県への権限委譲でもあり、これは同時に都道府県から市町村への権限委譲でもある。都道府県の段階で計量行政職員が削減されることは、さらにその向こうに居る市町村段階の計量事務の崩壊につながり、計量の安全は大きな不安をかかえることになる。

 自治体関係職員の奮起と法制定に関わる関係者の懸命な対応に期待したい。

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■社説・計量中央三団体の統合を考える(99年2月14日号)

 今年度の総会で(社)日本計量協会、(社)計量管理協会、(社)日本計量士会の三団体は組織統合のための議事を可決、次年度には組織を一つにする。

 この三団体は発祥的には日本計量協会を母胎とするものといってよい。日本計量協会の計量に関する活動のなかから計量管理協会が生まれ、計量管理協会の部会活動から独立して日本計量士会が生まれた。

 三団体それぞれに栄枯盛衰があり、かつてあれほど華やかであった計量管理協会の活動は別の姿に活動形態を変えている。日本計量協会にしてもメートル法運動のときのあふれる情熱は今はない。日本計量士会は検査法人としての事業活動に活路を見いだしており、ここからの収入をもとに安定した財政基盤を築いている。

 日本計量協会は地方計量協会などの他、中央の計量関係団体が会員となっている団体会員組織であり、計量管理協会、日本計量士会がともに会員となっており、この他(社)日本計量機器工業連合会など有力団体が会員となっている。

 三団体統合のための打ち合わせのなかで、一部の中央団体がこの統合に相乗りすると伝えられている。

 三団体の組織的統合ということになると計量関係の中央団体の活動の在り方が大きなテーマとして登場してくる。

 計量の世界は計量法という法律を中心にして構成されているおもむきがあるものだから、計量関係の役所に関係団体が従属するという事業運営上の形態が生まれてしまう。団体が補助金に頼っての事業を実施していると役所従属の形態が助長されることになる。

 事業についてはその団体が会の目的・使命につながる本来的な事業を実施しようとする場合には補助金など要らないはずである。補助金に頼らなければならないような事業については実施順位を下げて事業計画を策定すべきである。

 事業の全ては会員のため、全ては会目的のためにあるものであり、役所が実施すべき事業を補助金事業として永続的に実施していると、自己の本来の目的を見失い、組織的弱体化を来すことの危惧がある。

 計量法があるとはいっても計量法は計量制度の骨格をなすものの、計量が持つ社会的機能の全てを計量法が充足するものではない。従って計量関係団体は計量法の枠にとらわれることなく自らの目的と使命を定めるべきであり、有意義な事業活動を歴史的視点にたって振り返るとこのことは明確である。計量管理の本来的性質は計量法による規制とは縁が薄いし、計量士会が実施する各種の検査事業も計量法の外側の性質を持っている。計量協会の歴史的事業のメートル法運動はむしろ役所を励起させる作用をもった自主的なものであった。

 「政策提言の能力を備えた計量団体」が組織統合される三団体に求められる機能の一つであるということだから、志高く全てを運ぶことを期待したい。

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■社説・計量法改正法案の国会提案と自治体の対応(99年2月7日号)

 計量法の全部が変えられた後五年強を越えた現在、新たな計量法の今通常国会に上程される。国会は百五十日間の会期で既に開会しており、国会側の条件が整ったところで計量法の改正法案が他の地方分権に対応する何本もの法案とともに一括上程される。

 計量法の改正内容は基本的には旧来の機関委任事務を、自治事務に移すためのものであるので、この改正計量法は「分権化計量法」の性格を持つ。

 計量法は併せて政府の規制緩和政策を受けての改正内容を含み、また国際的な規制に統合するための内容なども盛り込まれている。

 規制緩和政策の路線上での計量法令内容の見直しは今後とも検討が続けられることになっているため、今後の検討の方向次第では旧来の計量法の概念がさらに大きく変わる。

 分権化計量法の国会上程と歩調を併せて都道府県段階、特定市町村段階でそれぞれの自治体ごとに計量事務を遂行するための条例等の制定が求められている。

 計量制度の全国的統一性を確保するための計量法案の策定に、立案作業に幾多の工夫がなされ、当初懸念された自治体ごとの計量制度の骨子の不統一という事態は回避されたことは評価されてよいだろう。

 今後の自治体における計量行政は住民サービス、地域振興の観点から、地域の実情を考慮した独自の業務が工夫され、独自性が打ち出せることになる。

 この際に注意すべきことは日本の商品流通と商慣習にとって障壁となるような自治体の計量業務を作らないことである。

 世界がワールド・スタンダードを求めて懸命の努力をしているとき、これに逆行するような自治体の制度を作らないことは自治体にとって最低の理性と知性である。同じことであるが計量事務が地味に見えて自治体の長や議員の選挙対策にならないからといって、軽んじることは許されない。 すべての社会制度の基盤的内容を持つ計量制度の施行の主体が自治体に移管されたことは、自治体そのものが社会基盤となる行政事務にも大いなる責任を持たなくてはならないということである。

 目先の利益追求やエゴイズムが自治体に及ばない保証が全くないわけではないので懸念材料の一つである。

 他方、これまで国の事務であったものが自治体の事務に移されることは、「三割自治からの脱出」を標榜してきた自治体関係者の悲願の過半が実現したわけだから、それ自体はめでたいことである。事務が移管された内容に付随する税金の配分、すなわち財政的配分がまだ明確になっていないことが、自治体の計量行政プランを策定するための妨げになっている。

 これまでは中央官庁の計量公務員を中心にした法改正作業であったが、今後は自治体の計量公務員の奮闘の場が待っている。

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■社説・日本人のアイデンティティーと計量の世界のそれ(99年1月31日号)

 日本人の現在の姿に疑問を持つ人が増えてきた。仙台市における成人式での講演の様子が日本人の現代の姿を象徴的に物語る事象として引き合いに出される。考古学者吉村作治早大教授の講演は会場にそれを聞く状況が創出されなかった。

 成人式に参加した青年達は少しの悪気もなかったようであるが、具合の悪い事態が出来上がった。不具合発生の原因は、入場の場所が一つであったこと、晴れに着飾っての会場入りは着付けのこともあって全員が定刻に間に合うことが難しいこと、着席が続く中での講演には無理があること、新成人は講演を聞きに集合しているとの意識が希薄であることなどが挙げられる。自治体の主催によるこのような形式の成人式が成り立ちにくい社会に移行していることを考えておかなくてはならない。

 成人式を迎える前から働いている人々にとって、今のような形での催しは意味が薄い。このような儀式は学校でやってもよいし、家庭でやってもよいし、職場でやってもよいし、気の合う仲間内でやってもよいことである。

 千葉県計量協会の新年会の席上で仙台市の成人式が話題になり、成人になった儀式なら「親が子の頭を拳骨で殴ったらよい」と誰かが冗談を述べた言葉に、大正生まれの人が「私たちの頃には二十歳になれば徴兵検査が行われ、二年間の兵隊教育でしっかり仕込まれたものです」という言葉で応じた。現代の青年を取り巻く社会環境との対比が明確であり、会話を聞いて感嘆の声をあげる人がいた。

 席上、千葉県計量協会会長の守浩三会長は会長挨拶で「日本の現状を空恐ろしいことだ」としたうえで、「大中華主義に屈せず、自立の道を歩んできた過去の歴史をもう一度評価して自信を取り戻すことが大事。そして自らの文明文化に誇りを持つことが肝要である」と述べ、昨年末来日した中国の江沢民国家主席が日本について語った以下のような言葉を引用した。

 「日本は独立国家ではない。政治の貧困、子供の教育が駄目で極端な物質主義に変質した。社会全体の倫理と道徳の堕落が目に余り、とくにエリート中のエリートである大蔵官僚の不正と堕落は最悪である。そのようなことで日本ではおよそ誰も国家について考えていない。日本という国が漂流しているように見える。もし戦争が起きれば自ら戦ってこの国を守るとは思えない。実は軍国主義どころか外国の植民地になりかねない」。

 京都府計量団体連合会の染山孝雄会長は新年会での挨拶で「日本人も企業や個人的レベルでも結局は自分で考え、自分で行動する他にない、と覚悟を決めた人が多くなってきた。すべての日本的なシステムを改革してグローバル・スタンダードと整合する道を選ぶ機運が官民問わず醸成されて来ている」と述べている。

 日本人のアイデンティティーについては小渕恵三総理大臣も国会の首相施政方針演説で語り「この国の形」作りにわずかながらに言及したものの、その演説の全体にはこの国の形はなかった。

 日本という国の形としては「平和主義と福祉社会の実現と発達した産業社会の実現」が、憲法とその後の社会活動の経緯から見えてくる。テクノロジーとしての計量・計測と社会システムとしての計量・計測の自律的な機能発揮や活動がなくては発達した産業社会の実現はない。そのような関係が見えてくると計量と計測の世界で働く人々の社会での役割がはっきりしてくる。計量・計測の世界でもアイデンティティーが確立していることが大事である。このことは「計量のマインド」が近い言葉でもある。

 計量と計測のすべてを通じて産業と社会の発達に貢献することが計量・計測の世界に従事する人々の責務であり、責務実現の過程と結果は喜びや誇りにつながるものでなければならない。なお責務実現の全過程においては任務の軽重の差はあってもそれ以外の何らの差があるものではない。

 国民のアイデンティティーとともに計量の世界のアイデンティティーの確立の必要を説いてみた。

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■社説・日本最古の通貨「富本」銭発見と計量制度(99年1月24日号)

 現代は考古学的発見の時代であり、古代に対する歴史的認識や常識を覆す事実が幾つもでてきている。

 天武天皇が「今より以後、必ず銅銭を用いよ」と指令を発したとされる日本書記の六八三年四月一五日の項の記述を裏付けるように同年代(七世紀後半から八世紀はじめ)の地層から幻の通貨「富本」銭が見付かった。「富本」の文字のある銅銭やその破片および鋳造途中を現す湯道と枝先の富本銭など三十三点が奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土したことから、この場所が天武天皇の造幣の場所であったと推察されている。

 これまではわが国で最初に造られた通貨は和同開珎(わどうかいちん=わどうつうほうと同じ)とされていたことに大きな疑問を投じることになる。ただし富本銭はこれまで奈良県の平城京遺跡と藤原京遺跡で二点ずつ、大阪市の難波京遺跡で一点見付かっているだけであり、通貨として流通させようとしたもののこの目的が達成できずその任は和銅元年から五十年間造られた和同開珎に委ね日本の貨幣制度が完成したものと考えられる。

 日本の古代国家が名実ともに完成するのは大宝律令が成立した七〇一年といわれており、古代国家成立には律令制度、貨幣制度、宮都、国号などが必要であり、天武天皇はこのための準備を押し進めた。富本銭が流通しなかったのは通貨の流通対策を講じなかったためと考えられている。またこの時代は唐の制度を真似ても日本では物物交換が主流で、支払い、購買等に貨幣を必要とする条件がまだ整っていなかったものと考えられる。富の蓄蔵の手段も含むものとしての貨幣は金、銀、銅等の貴金属類であり、在位六六八年から六七一年在位の天智天皇の頃の直径三センチメートル、重さ約十グラムの「無文銀銭」が大津市の崇福寺遺跡などから出土している。最近の相次ぐ考古学的発見により、日本の古代は大陸との交流が想像以上に活発であったことや、これまで考えられていた時代よりも早くから稲作があったことなども分かってきた。

 今回の富本銭の出土は経済史や貨幣史へのインパクトを持つが計量の歴史に対してはどうであろうか。

 計量の歴史は文明の起源とともにあるから、その意味では何らかのインパクトを持つことに間違いはないものの、貨幣史への影響がそのままに計量史へ及ぶものではない。

 計量制度が社会基盤であるからといって、貨幣制度と同一のものではない。計量のテクノロジィーの側面は貨幣制度以前のものである。貨幣制度は貨幣を秤量する意味からも計量のテクノロジィーと関わりが深く、アダムスミスの著書にも計量と貨幣を併記している部分が多く、社会システムとしての計量制度がここに被さってくるから、これを同質のものと見なしてしまう勘違いが生ずる。テクノロジィーとしての計量を別にして見ておくことが「計量」を勘違いしないためのキー・ポイントである。

 取引にあたっては取引対象物を計量してそれに見合う価値を持つ通貨(貨幣)と交換することから、計量制度と貨幣制度の同一視観が生ずる。この二つの制度に対する賢明な考察を計量・計測関係者に対して求めたい。

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■社説・計量計測の社会機能を実現するための夢(99年1月17日号)

 分権化計量法が具体化する年になった。計量法は併せて政府の規制緩和施策を実施に移す。

 このような図式のもとの計量法の姿が一般の計量関係者に見えてこないことから漠然とした不安が広がっている。地方自治体の計量公務員の間で計量の仕事に誇りと夢と生き甲斐を託せることが必要であるから、地方分権時代の計量行政についてのビジョン作りが大事になる。

 人間どんな仕事でもそれを続けていると愛着がわいてくるものである。計量の仕事に長く従事している人こそその愛着を次世代に夢や誇りや生き甲斐のある仕事としてのビジョンの形で残して貰いたい。

 計量法の歴史を度量衡法時代を通じて概観すると一定の法則が見えてくる。その一つは普遍のものでもあるが計量の基準を定めることであり、また商取引と証明のための計量の正確を期することである。もう一つは産業が発達して経済規模が大きくなるに従って計量器に対する国の規制の方法を変えてきていることである。古くは取引や証明の対象となる計量器の種類は少なかったが、これが増えて絶対数も飛躍的に多くなってくると、役所が実施する検定や検査で対応することに無理が生じるようになったからである。

 現代の資本主義社会は信用を前提とした社会であり、信用を逆手に取ったような商売あるいは行為は基本的には排除される。そしてまた計量器の信用を確保するために検定等のために役所の手を一品一品煩わすことの非効率と不経済もはっきりしている。

 産業が発達すると計測が広範囲にわたって行われるようになるから、ここに法が細かにいちいち咬んで交通整理することは大きな困難を伴う。計量計測の正確を期することは本来それを製作しあるいは使用する者の自主性に依存するものである。工作機械を例に引くとそこでの計測は目的でなく手段である。

 計量計測は産業社会と人間生活等ほとんどの分野で目的ではなく手段として機能する。そして人類の豊かさや快適さを実現するのが人間活動の目的であるとすると、計量と計測の創造的な利用と活用は目的実現のための欠かせない大きな手段となる。

 昭和二十六年六月七日公布の計量法は近代行政制度に適合する計量制度の骨格をなすものとして制定され、このとき一つの夢を法案の中に盛り込んだ。

 それこそが計量管理であり、その後の日本の産業の発展をもたらした品質管理思想を誘導する大きな役割を担った。計量管理の本来の姿を計量法に盛り込むことには法の目的が制約となり成功しなかったものの、計量管理活動の推進を目的とした団体として計量管理協会が設立され、経団連等の経済団体がこの協会を後押ししたことなどもあって日本における計量管理と品質管理の普及に決定的に大きな役割を果たした。

 この分野の活動は計量法の規定の施行・実行というものではなかったが、計量計測が本来的に持つ社会機能を実現させる活動であった。

 計量法改正作業の伸展にあわせて計量法と計量制度の歴史を考察する中から先のことを思い浮かべた。法が全てでないことの一例であろうか。

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■社説・「初夢は規制強化の計量法」(99年1月1日号)

 新年号の計量時事川柳の入選句に 「初夢は規制強化の計量法」 がある。

 分権化・規制緩和を基本前提にした計量法の骨子を定める計量行政審議会の動きのもどかしさをズバリと衝いた直情句である。

 計量行政審議会は政府の方針である行政簡素化を推進することと連動する規制緩和路線から逸脱することを許されず、なおかつ計量事務が国から自治体に移管される分権化の道筋をつけるための審議であるから、計量行政の夢を自由に吐露できない苛立ちを川柳に読んだのがこの句である。計量関係従事者が営々として守ってきた秩序が一朝にして覆されることへの戸惑いがよく現れている。

 計量法と付き合うための今までのスタンスを変えること、法に対する認識を新たにすることは容易ではない。

 質量計等一部の事業者にとっては事業継続に型式承認その他の法令事項で多額の費用を投ぜさせられ、その一方ではこれまでの事業収入の道を削減させられる定期検査周期の延長などで、踏んだり蹴ったりで悪戦苦闘を強いられている。

 本年には質量計の定期検査周期の見直しが開始されることになることになっているのに対して、より正確に質量計の使用実態、管理実態を把握して欲しい旨の声が起こっている。

 新年時事川柳には 「不良率 下げる努力が災いし」  「はかり屋の調整行為闇の中」 の二句が見えている。この二つは確かな事実であることが質量計関係者の資料と証言で明らかになっている。

 事例を飛躍させよう。朝鮮労働党の金正日総書記を元首とする北朝鮮こと朝鮮人民民主主義共和国では、金正日国家元首が国の経済や国民生活の実情がわかっていないらしい。法が存在し、その法に罰則規定があるところでは法規に違反する行為は闇の中に隠れてしまう。守れない法がこの世に多いのは事実で高速道路の速度規制がその一つである。

 守ろうとしても守ることができない計量法の規定に違反した事業者は摘発を恐れて事実を監督の役所に向かっていうことはない。

 あるべき社会正義と法が乖離しないのが正しい法治国家の在り方であると思う。

 現代の技術力で負うことができる義務を課すことに不服はないが、事実を無視した法規があれば法規自体を改めるべきであろう。それこそが正義である。

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