日本計量新報の記事より 社説9805-9808
02年 1月/2月/3月/4月/ /5月/6月/7月/8月/ /9月/10月/11月/12月/
01年 /1月/2月/3月/4月/ /5月 /6月/7月/8月/ /9月/10月/11月 /12月/
00年 /1月 /2月/3月/4月/ /5月/6月/7月/8月/ /9月 /10月/11月/12月/
99年 /1月/2月/3月/4月/ /5月 /6月/7月/8月/ /9月/10月/11月 /12月/
98年 /1月/2月/3月/4月/ /5月 /6月/7月/8月/ /9月/10月/11月/12月/
97年 /1月/2月/3月/4月/ /5月/6月/7月/8月/ /9月 /10月/11月/12月/
96年 /10月 /11月/12月/
INDEX
- 社説・職権と個人とを区別できる賢さ(98年8月30日号)
- 社説・計量・計測の可能性への確信と挑戦(98年8月16日号)
- 社説・銀行、証券危機を伝えなかった大蔵省の腐敗(98年8月9日号)
- 社説・計量史学へのかかわりのすすめ(98年8月2日号)
- 社説・関東甲信越連絡協議会の成功を考える(98年7月26日号)
- 社説・国民主権・民主主義の素晴らしさと計量行政(98年7月19日号)
- 社説・販売事業の制度変化と地計協組織(98年7月12日号)
- 社説・地方分権時代の計量行政を考える(98年7月5日号)
- 社説・社会の新しい需要創造と企業行動(98年6月28日号)
- 社説・育てたい時代を担える地方計量協会(98年6月21日号)
- 社説・困難を抱えた計量団体がもつ宿命的な弱点の克服(98年6月14日号)
- 社説・「計量制度は社会の宝」好かれるものになろう(98年6月7日号)
- 社説・計量士、計量管理、計量協会の中央三団体の統合(98年5月31日号)
- 社説・地方分権時代と地域の計量工業振興(98年5月24日号)
- 社説・計量の目的と計量関係者の使命(98年5月17日号)
- 社説・基準不明の公務員汚職国日本(98年5月3日号)
■社説・職権と個人とを区別できる賢さ(98年8月30日号)
ある会合のあとの茶飲み話の席で、ある国家公務員経験者が「今のマスコミは公務員に対して「官僚」という言葉を安易に使い過ぎているのではないか。官僚という用語は死語にすべきである」という、強い言葉を発した。
「 公務員は国民へのサーバントであり、ときにオフィシャルとしての業務を遂行するけれど、どんな場合でも国民の上に立つべき存在ではなく、そのような意識をもってはならない」というのが考えを基本にした意見である。このような正しい姿勢で公務員を勤めあげた人の言葉である。
規制関連の業務につく公務員に対して世の人々はへつらうことを常とするから、公務員としての本来の姿勢を迂闊に見失う人々が少なからず発生する。ある地方公務員経験者が「公務員である私に頭を下げに来る人は、実は私にではなく机に頭を下げに来るのだ」ということを自分への戒めの言葉にしていたと話していた。
今の日本の国民は相当程度の知識と教養を積んでおり、似かよった能力あるいは潜在能力の持ち主であるから、一部の公務員が飛び抜けて高い能力を持っていると考えることは間違いである。強い権能を与えられた公務員のある者は、いつの間にか自分を見失い高慢や横暴といった言葉がそのまま当てはまる状態に陥ることがある。
公務員の立場を退いてみれば皆んな普通の国民である。普通の国民の立場に帰ってみると、あるいはわれを忘れた公務員の姿が目に余るのかもしれない。
世の中、お金がある人も威張り癖が付きやすいもの。一部の公務員と共通する傾向を産むものであると理解されるが、すべては他山の石とすべきものであろう。
■社説・計量・計測の可能性への確信と挑戦(98年8月16日号)
計量の仕事と一口にいっても幅が広い。計量器を造る仕事、計量器を販売する仕事、計量器を据え付けたりメンテナンスしたりする仕事、計量器を使って何かの目的を達成する仕事、計量器を検査する仕事、計量方法を工夫・設計する仕事など様々である。
計量・計測は人類にとって社会認識、自然認識、技術開発のための基礎的テクノロジーであり、すべての知識・技術の基として作用している。物事の大きい小さいなども計量的概念の一つである。また計量・計測はこの基準を決めるなど制度化しなくてはならない基礎的社会システムの一つであり、ここに計量法と計量制度が係わる。
計量器の製造、修理、メンテナンス、販売はひっくるめて計量器産業の世界を形成する。計量器産業は他の産業と相互に作用してきており、計量器産業が脆弱かつ計量・計測技術が未発達であっては今日の世界の高度産業社会は実現しなかったろう。計量器産業は多面性をもっている。単純に計測値を供給するというものから、計測値を複合的に総合して知識化するインテリジェント装置となっているものから、それ自体が生産設備的内容をもっているものなど様々である。
計量・計測に係わる仕事は多様であり産業の発展と強く結び付くものである。計量・計測の可能性は無限であるから、可能性への挑戦は将来にわたって続く。計量・計測の仕事にたずさわるすべての人々が、固定観念を排除して計量・計測の限りない可能性に確信をもち、意欲的に挑戦することが計量・計測の新しい地平への到達をもたらす。
■社説・銀行、証券危機を伝えなかった大蔵省の腐敗(98年8月9日号)
橋本龍太郎自民党内閣は九八年夏の参議院選挙で大敗北を喫した。原因は経済運営の失政が直接的なもの。小子化・高齢化社会に伴う年金や健康保険の先行き不安説は、大蔵省が扇動していると公共放送でエコノミストが唱えていた。橋本首相は退陣に前後して大蔵省からは破綻した銀行と証券の実情の報告がきていなかった、と述べたと伝えられている。
軍部独裁の戦前の日本の政治は、軍人内閣自身が戦線状況の明確な把握をできないでいた。戦前の軍部は大本営等一部の機関が一手に情報を管理・統制したため、内閣に必要な情報が伝えられなかっただけでなく、大本営そのものも参謀の一部が情報を秘匿することが多かったから事態の把握もままならず、大本営自体に戦線が見えなかったということもあったと聞く。こうした結果が招く事態は見えている。今回の橋本内閣の経済運営と酷似している。大蔵省の使命が国の一機関として内閣と大蔵大臣の統制のもとに財政と金融等に関する行政機能を果たすということであってみれば、一方では意図して年金・健保危機を煽り、他方では危機的状況にある銀行、証券の実情を大蔵大臣と内閣総理大臣に伝えなかったというのは「犯罪」以上のものである。大蔵省は消費税の五%への税率引き上げを強引に実施するため橋本内閣を利用し、徴税だけは怠りない。他方ではバブル経済現象の兆候に対しても、バブル現象の沈静とその後始末にも何らの有効な手立てができなかった。こうした大蔵省の無能ぶりは目を覆うばかりである。大蔵省がここまで堕した原因は政治が官僚機構に実質上従属しまったからである。現在の日本の状態は腐敗した大蔵官僚帝国である。
こうした官僚腐敗を背景にした政治からの脱却こそが日本の経済、社会改革の第一歩である。このためには政治が変わらなければならないが、政治が変わるためには、頼りない政治家の変化を待つよりも、国民が変わることである。政治を変える政治家は選挙によって選ばれる。国民は衆愚政治と決別し、旧体制と縁の深い政治家を排除しなくてはならない。
以上、例を大蔵省と戦前の軍部に引いたが、組織の大小は別にして、その組織の目的を実現・達成するためには、末端の必要な情報が組織の中枢に速やかに伝達されるシステムを築き上げなくてはならない。また中枢の意志が末端の組織に伝達・浸透するためのシステムは前者と同一のものである。
行政部門に関していえば、公開されるべき行政情報が一部の人々にだけ伝達されるとか、情報を小出しすることによって国民をコントロールするなどは論外のことである。国民生活に関わる行政には秘密は許されない。行政情報の全面公開が健全で豊かな社会を建設する基本前提になっている。
■社説・計量史学へのかかわりのすすめ(98年8月2日号)
計量史学に関わることを推奨したい。古い計量器の歴史的考察、計量制度の歴史的考察の中に現代計量行政史、現代計量法制史を含めてはどうであろう。計量史学は現代を生きるすべての人々に関わり、また計量の仕事に就く人々にとってはその業務を計量史学的な視点から捉えることは有効である。このような視点に立つには計量史学会の会員になることが早道であり、最近では大手の計量器事業の経営者が入会している。
日本計量史学会は「あなたも『はかる』をモチーフに、歴史を一緒に学びませんか」「当学会は自由な雰囲気で運営されている全く新しい“開かれた学会″です」と入会を呼びかけている。入会資格は特に問わない。計量史学に興味・関心がある者、計量史学を研究している者、関連分野の研究をしている者など、だれでも自由に入会できる。同好会のつもりで入会することでも構わない。学会費は年額七千円 。会員には年一回発行の『計量史研究』、年に何回か発行される『計量史通信』が刊行のつど無料送付される。
入会申込先は次のとおり。
〒175−0082 東京都板橋区高島平4−16−1 TEL・FAX03−3979−9117
日本計量史学会事務局、郵便振替番号00170−9−66974
日本計量史学会は会員百二十名ほどのこじんまりとした学会で、計量器の製造および販売事業者、計量士ほか計量関係者、計量公務員ならびにOB、街の計量器コレクターならびに研究家、学校・研究所等の教員・研究者、図書館や博物館等が会員になっている。
学会の目的は「度量衡を含めたすべての量の計量に関連する歴史的な研究とその普及をはかること」。事業内容は定期刊行物になっている『計量史研究』『計量史通信』の発行、「計量史を探る会」の開催、計量に関する歴史的資料の調査、国内外の学会・団体・機関との協力など。
日本計量史学会の設立は一九七八年。欧州では計量史を近隣諸国で共同研究することの必要性の認識が一九五五年頃から高まり、このうえで地球規模の視点からの研究を目的に一九七三年には国際計量史委員会が創立され、三年に一度の国際会議を開いて国際的な交流をはかっている。日本計量史学会は世界で最初の計量史学に関する地域の学会として、国際計量史学会から公認されており、また計量史学に関する研究や調査に関する事業の業績が高く評価され、『計量史研究』には海外からの研究論文の投稿がある。
計量史学的な視点から計量制度を精察する必要性を説く論調があり、関連した研究では岩手県の会員、吉田和彦氏の地域の計量史研究、近代・現代の計量行政史研究が光彩を放っている。
■社説・関東甲信越連絡協議会の成功を考える(98年7月26日号)
七月十六日に関東甲信越連絡協議会が神奈川県の当番・主催によって、横浜市のみなとみらい地区のヨコハマ・グランドインターコンチネンタルホテルで開かれた。
この関東甲信越計量連絡協議会の神奈川会議(大会)は、開催方式を旧来の方式から大転換したことから戸惑いを見せる参加者が居たことは確かだが、催し全体としてみると新味に富む内容であり、協議議題の議論には熱が入った。
新味の開催方式とは計量協会に関連した議題について三つのテーマを設定して、この議題についてパネリストの発表とパネリスト達の議論と会場の参加者との討論という内容。つまりパネルディスカッションと呼ばれている形式である。
パネルディスカッション形式の三つの分科会方式による連絡協議会は、これまで事例のなかった開催方式である。分科会のテーマは@計量の社会的使命、A経営者の使命感と人材育成、Bこれからの地方計量協会のあり方。
同協議会は国民の計量の安全確保と結びつく参加関連協会の計量運動ならびに計量法令の運用と施行に関連して、計量検定所など計量関連公務所を交えて意見交換する場になっていた。最近はもっぱら計量法令の運用・施行に関連した事項について通産省ならびに計量検定所に考えを聞いて、協会関係者の要望を伝える場として機能していた。
しかしこのような要望が必ずしも計量行政の運営に反映されるとは限らず、加えて関係の公的機関からの来賓としての参加が一時なかったという事情などから、協議会そのもののあり方に疑問の声も出ていた。このような時節に企画されたのがパネルディスカッション形式による分科会方式の連絡協議会開催という「神奈川方式」である。
神奈川方式の核をなす分科会は時節に適合したテーマの設定とパネリストの熱心な意見発表に支えられて、参加者には「参加して良かった」という内容の催しとなった。
また全体会議は各分科会の内容の報告、通産省計量行政室長、計量研究所長、関東甲信越計量行政機関地区世話人、神奈川県商工部長(代理)などの来賓が祝辞を述べ、主催者側の代表として関東甲信越計量協会連絡協議会会長、<CODE NUM=01F6>神奈川県計量協会副会長が挨拶した。これら祝辞に代わる各行政機関の計量行政への取り組みの現状報告と国民の計量の安全につながる適正計量実現のための計量意識の向上を目標とした計量運動を推進するボランティアとしての計量協会活動を推進する当事者の挨拶の全体を通じて、世界と日本の計量制度と計量行政の実態と計量運動の現状が浮き彫りにされた。この結果、会議の全体を通じてそのテーマである「国際化時代における適正計量」の在り方が、現状把握を踏まえたコンセプトとして、参加者には「腑に落ちる」内容となった。
この神奈川方式による地方計量協会ブロック会議は、会議開催者が「自らの問題を自らの頭で考えて前進の方向を探る」という意味では画期のものであり、関東甲信越計量協会連絡協議会は大成功であった。
ここで「神奈川方式」という用語を用いたが、この方式が計量協会のブロック会議としては一つの理想を追求したものであるとはいえ、ブロック会議開催に関する絶対的方法ではないこともまた付言しなくてはならない。
このブロック会議を当番・開催した<CODE NUM=01F6>神奈川県計量協会の場合には、開催を準備する役員ならびに協会員とこれを支援する計量関係公務所といった諸条件が整っていたことが大きい。そのような条件の一つに、新時代の計量運動の在り方に対する確信と情熱を持った若手役員と部会等で活躍する若手部会員の活躍があり、若手の活躍に暖かい目を注いで、自らの主張を抑制して会議の成功を後押しした協会のベテラン幹部役員と協会員の大きな協力の姿勢がある。
若手の活躍の場を提供しながらベテラン幹部役員が次の世代を育成していくという理想の姿がそこに見える。関東甲信越計量協会連絡協議会の成功の背景に、育ちつつある若い新しい計量運動の担い手の姿を見ることができる。
計量の世界と計量運動は老若男女を問わずすべての世代に関わりのあるものであるにも拘わらず、計量協会等の団体にはベテランだけが参集するということで、世代交代の円滑性に欠けるところがあり、このことが協会発展のためのマイナス要素になっている。
次世代を担う若手の育成は世代交代の円滑化につながるものであり、このことはすべての計量関係団体ならびに企業組織に共通するものであろう。
■社説・国民主権・民主主義の素晴らしさと計量行政(98年7月19日号)
この一月に本欄で名をあげて確認した日本の政党名は次のとおりであった。新進党が昨年十二月三十一日解党、四分五裂して六党に分裂した直後のことである。前後して新進党から抜けた羽田孜(はたつとむ)、細川護煕(ほそかわもりひろ)の元首相が率いる太陽党、フロムファイブのほか、小沢一郎元蔵相率いる自由党、鹿野道彦元総務庁長官率いる国民の声、公明グループの新党平和、黎明クラブ、小沢辰男氏率いる改革クラブ、中野寛成氏率いる新党友愛に分かれてしまった。日本の政党はこれに加えて連立政権政党である自民党、社民党、さきがけ、さらに野党の共産党という構成。
さて十二日投票が行なわれた経済失政下の参議院選挙の結果である。さきにあげた政党名はその後、離合集散があって以下のような参議院の勢力配置になった。まずは議席の増減と獲得議席である。自民党はマイナス十六で四十四議席(非改選を含めた参議院の議席は百二)、民主党はプラス九議席で二十七議席(同四十七)、共産党はプラス九議席で十五議席(同二十三)、公明党はマイナス二議席で九議席(同二十二議席)、自由党はプラス一議席で六議席(同十二)、社民党はマイナス七議席で五議席(同十二)、さきがけはプラスマイナス〇(同三)、その他はプラス六議席で二十議席(同三十)。参議院の過半数は百二十六議席である。
選挙結果は経済運営に失敗した橋本龍太郎自民党内閣への国民の審判といってよい。
橋本内閣は昨年四月に消費税の三%から五%への引き上げを実施した。その後も省庁再編成を含む行政改革の実施を打ち出していた。
国の財政を単純に上手く動かすには税率を引き上げて税収を確保する、返す刀で国の事務組織を縮減すれば、一応は帳尻の合う勘定にはなる。この二つの政策は整合性がとれているように見えるが必ずしも結び合わせなければならないものではない。消費税に関しては三%を実施するときにどれほどの国民の反対があったかということを思い返さなくてはならない。
消費税この税は一度導入すると際限なく税率を引き上げたくなる性質をもっているものである。江戸期の生かさず殺さずの状態に国民を誘導する性質と内容をもっているのが消費税である。仮に欧州各国が高率の間接税を課しているからといって、それを単純に模倣するのは間違いである。日本だって消費税がない状態の方が人間の体に例えれば健康状態がよいのである。
税収をあげる特効薬は景気の回復である。企業が利益をあげれば税収はすぐ増える。このことにまともな方法で手を付けないで、国民の懐に乱暴に手を突っ込むやり方の消費税率の引き上げはやるべきではなかった。
若い頃に国会議員として就職したような経歴をもつ橋本龍太郎氏はまた、官僚との付き合いも深く、あるいは同時期に国家公務員となった官僚とはなさぬ仲の思いもあったのであろう。大蔵省の改革を行なうのに税の確保の腕前を見せてやろうと、消費税率に手を付けて見せたとしか思えない。
車を買うにも家を買うにも五%では消費が停滞するのは火を見るより明らかである。このために出る税金の額は大きすぎる。
税の使われ方の疑問はいちいち例をあげたら切りがない。自民党の票田の農村部では田畑の中の道路まで舗装されているのを見るのはたやすい。用のない農道、干拓事業、取水堰建設、コンクリートを消費する幾つものプロジェクトの推進など、税の無駄使いは際限がない。
官僚に案を練らせて自民党あるいは保守政府がそれを実行するという旧来の政治・行政の在り方が否定されようとしているものと判断される。
選挙の結果と連動するが、日本は新しい国家像造りに大きな力を割かなくてはならない。官僚と保守政府とによって運営される日本ではなく、国民総意の国家像を目指しての国民の手による国造りである。国の台所や政策決定の場が見えない密室政治は今の日本国民の了解するものではない。外交と軍事など一部を除いて、国民に情報が開示された透明性の高い政治と行政の実現、つまりより高度な民主国家への第一歩を刻まなくてはならない時である。
国民に真に選挙権が与えられている国は案外に少ない。選挙権が与えられているようでも実質上大きな制限があることが多い。日本の場合には結社の自由を含め、選挙権をもつ側の選択の自由も大きい。参議院選挙で歴史的大敗北を喫した自民党政府は「無党派層」という「気まぐれ」な集団の投票行動が癪(しゃく)でならないであろうが、これは一応の信託を与えた者達の「ノー」のサインなのである。
それにしても国民に選挙権があることは当たり前のこととはいえ素晴らしいことである。
選挙に関連して計量・計測分野への影響を考えてみたい。
参議院選挙の結果は国民に政治の選択権があるという民主主義の素晴らしさを教えてくれた。日本の計量行政は「地方分権」ならびに「地方公共団体」という言葉をキーワードに大変革される。主役は国民、県民(都民、道民)、市町村民である。
国民、県民、市町村民へのサービスとしての計量行政とは何か。全国一律に実施すべき公共的性質と県や市町村ごと特別に実施すべきサービスの在り方を主役を交えて議論し政策を決定することの重要性を説きたい。
■社説・販売事業の制度変化と地計協組織(98年7月12日号)
地方の計量協会等のブロック会議が相次いで開かれている。
ブロック会議開催は定例行事になっている。富山、福井、石川、静岡、愛知、三重、岐阜の中部七県のブロック会議は計量協会と計量管理協会の会議を一つにまとめて中部日本計量協議会として開かれた。この会議では二つの計量管理研究発表があり、協議議題としては体温計・血圧計の販売届出制の廃止が協会組織に与える否定的要素の克服策が議論され、また時代の寵児(ちょうじ)ともいえるISO九〇〇〇シリーズの認証取得活動への計量関係団体の支援的な関与の現状の情報交換が行われた。計量管理関係の研究発表と情報交換に関しては全て前向きのもので、参加者が互いの活動から啓発しあうという内容であり、膝を交えての懇親の場を含めた会合は意義が大きいものと賞賛したい。
他方、地方計量協会という組織が建て前を別にすれば、規制的内容が組織の元になっているだけに、組織されている会員の過半が体温計と血圧計の販売届出事業者であることを考えると、この販売に係る規制が撤廃された現状では深刻さを含んでいる。中部地方の県の事例ではないがある県では販売事業者会員三九九社のうちガラス製体温計およびアネロイド型血圧計の会員の数が二五九社あり、販売事業者会員に占める比率は六五%に及んでいる。会員には他に製造・修理事業者等が含まれてはいるもののいわゆるメーカー県でないところだけにその数は微弱である。従って六五%という数字は全会員に占める体温計・血圧計販売事業者会員と見て大きな数字の誤差はなく、このような会員構成の地方計量協会の組織的な運命は体温計・血圧計販売事業者会員の帰趨に依存している。
地域のブロック会議がこのような組織の死活につながる深刻な案件を協議することは仕方ないとしても、これだけで全体の会議が終わってしまったのでは参集した善意の一般会員は面白くないであろう。
どんな状況下でも、せっかくのブロック会議であるから「参加して良かった」という気持ちをもって散会できる内容にすることが大事であろう。
最後になるが、地方計量協会に致命的な打撃を与えている販売事業の制度変化に対する基本的な対応の処方を確立することは急務である。
■社説・地方分権時代の計量行政を考える(98年7月5日号)
政府は五月二十九日、地方分権推進計画を閣議決定した。政府は平成七年制定の法律第九十六号地方分権推進法に定める基本方針に即しつつ、地方分権推進委員会がまとめた第一次〜第四次勧告の内容に沿って分権を進める。
地方分権は中央集権的なこれまでの行政を地方公共団体に大幅に権限を移すことによって、国と地方公共団体の共通の目的である国民福祉の増進を実現するため、住民に身近な行政を地方公共団体において処理することを基本としている。国と地方公共団体の新しい関係を規定する法律上の措置は所要の法律案として平成十一年の通常国会に提出される。この法律案の成立は地方公共団体の所要の条例制定に連動する。
以上のように地方分権は早足で駆けているので、計量行政の地方分権推進への対応も急を告げている。
地方分権の推進により計量行政が様変わりする。地方公共団体が組織している計量検定所、計量検査所等の計量事務のうち機関委任事務として規定されていたものはこれが廃止され、地方公共団体の事務に属する自治事務となる。地方公共団体は手数料を伴う計量行政の事務を条例を制定して処理することができる。
機関委任事務であった検定、量目取締等の計量行政の事務が地方公共団体の責任において実施される自治事務に移行することになるので、これまで国民の福祉の増進、経済・文化活動の基盤的機能を果たしてきた旧来型の計量行政がどのような取り扱い方になるのかその動向が注目されていた。
国が地方公共団体の組織や職の設置を義務付けていた必置規制が、地方公共団体の自主組織権を尊重し、行政の総合化と効率化を図るという観点から、廃止もしくは緩和される。計量行政の分野では計量教習の必置規制が廃止される。また職員の資格や職名および職員配置基準の緩和と弾力化が実施される。この際、計量秩序の統一と維持に関しては国の重要な責務であり、適正な計量の実施を図るために必要な法律の制定と技術基準の策定を国の事務とする。具体的には@計量法全体に係る企画立案、法律の改廃、法解釈、技術基準、A型式承認、B指定製造事業者の指定、計量士の登録などが国の事務に属する。
地方分権の推進というこれまでの行政の図式になかった新しい試みの進行のなかで、よりよい計量行政の在り方を目指して地方公共団体の計量職員を中心に懸命の対応が行われている。大いなる成果に期待したい。
ここで一つだけ指摘しておきたいことがある。それは適正な計量の実施を確保するためには適正な計量器の供給とその適正な使用ということが基本であるものの、国民の計量への意識が低ければその実効があがらないということである。
計量に関する製造・修理・販売等、計量の仕事に関わる者の全てが善意で結ばれ、良心の力を発揮してこそ適正な計量の実施が一番安いコストで実現される。また検定・検査、量目取締といった内容の行政事務は適正な計量の実施の確保にとって必要なものであるものの、計量・計測機器と技術の最大限の利用・活用とその結果としての人類の豊かさ快適さの実現という計量が本来的にもつ大目標からすると最低限の実現課題であるといえよう。
■社説・社会の新しい需要創造と企業行動(98年6月28日号)
消費動向に改善が見られないまま九七年は日本の経済規模が縮小した。九八年になってもこの傾向に変化が見られていない。お金の大洪水はバブル現象をひきおこし金融機関は不良債権を大量に抱えた状態に苦しみ、金融が本来の機能を果たせない状況が日本の経済にマイナス作用となっている。
対して米国景気は実質GDP成長率が九二年から九七年まで四年連続二%から三%の間で推移しており、九八年は三・二%の見通しである。米国の堅調な内需による輸入拡大は世界の供給力の受け皿となり、世界経済を牽引する構図となっている。
日本の経済指標に良い兆候は出ていない。四月の鉱工業生産指数は九八・三%で前月比一・六%低下。五月の自動車大手五社の国内生産は二カ月連続で全社が前年同月比二ケタのマイナス、輸出は同様に平均すると三・四%のマイナス。五月の工作機械の受注額(速報値)は前年同月比一六・二%マイナスで、三カ月連続してのマイナス、また国内景気を反映して五月の国内受注は同二九・八%の大幅マイナスとなっている。
質量計の九七年度の国内生産は八百五十八億一千三百万円で対前年度比九三・七%(六・三%のマイナス)、輸出が数量で九九・五%(マイナス〇・五%)とほぼ平行移動したのに対して国内出荷数量は九四・七%(マイナス五・三%)であった。比較的堅調に推移していた国内の製造業の設備投資に陰りが出たことがはかり産業に影響したのであろう。
九七年度のはかり産業が前年度比マイナス六・三%でここ数年の停滞状況にあるのに対して、ヘルスメーターの生産額は九三年度二十三億円、九四年度二十九億円、九五年度三十億円、九六年度六十一億円、九七年度八十億円と急激な上昇を記録している。体脂肪を測定する機能の付いた体重計の生産の伸びがそのまま反映されたものである。九三年度から九七年度にかけて三・五倍の伸びを記録している。これまで世の中になかった便利な商品が登場したことによる消費需要の促進という現象の結果である。
産業革命は生産力を飛躍的に拡大させた。同時に消費も飛躍的に拡大し、世界の経済を新しい次元に移行させた。現在の日本とアジアの経済の停滞の原因が何に由来するものかは別にして、世の中が本当に必要とするものが開発されればその分野の需要は創造されるものである。
世界の人間の幸福のために無軌道に襲いかかる大きな景気後退に処方することは国と世界の国の連合の役割ではあるが、個別の企業の立場からは景気後退は従来の商品の陳腐化と受けとめてこれを刷新することが基本的な対処の方法であろう。他力本願になることなく最善を尽くす態度が肝要である。
■社説・育てたい時代を担える地方計量協会(98年6月21日号)
以下はある中堅規模の模範的な地方計量協会の組織と財政内容である。
平成九年度の協会の収入は五千七百八十一万円、会員からの会費収入は四百七十一万八千円で収入に対する割合は八・二%である。事業収入が四千六百八十九万五千円で収入に対する割合は八一・一%に達している。
内訳は証紙売りさばき事業収入五十六万一千円、商店巡回検査指導収入、指定事業場指導収入、自主計量管理指導収入など検査指導事業収入三千二百三十八万四千円、定期検査補助事業受託収入、大型はかり精度確認事業受託収入、巡回計量指導事業受託収入など受託事業収入一千三百九十五万円である。補助金収入が三百四十八万八千円で収入に対する割合は六・〇%、臨時会費収入が(新年会会費)二十五万円で収入に対する割合は〇・四%、雑収入十三万円で収入に対する割合は〇・二%、前期繰越金が二百三十二万九千円で収入に対する割合は四・〇%でる。
この協会の特徴は事業収入が多いことで収入の八一・一%をまかなっている。これに対して協会の総収入に対する会費収入(総会員数二百七十五名)は八・二%の低率にとどまる。部会別の会費収入の総収入に対する比率は工業部会(会員数は二十二社)全収入の二・〇%、同様に販売者部会(会員数は百一社)一・一%、管理部会(会員数は六十社)は二・八%、証明部会(会員数は二十五社)は〇・九%、環境部会(二十一社)は〇・七%、計量士部会(四十一名)は〇・六%、賛助会員(一名)は〇・〇三%である。
この協会は公益法人(社団法人)になっており、事業として県が実施主体となる計量器の検査および指導業務を一部代行している。職員に計量士資格者を擁し、嘱託の計量士を活用して事業収入をあげている。計量協会が県の計量行政のかなりの部分を肩代わりしていることの結果の事業収入である。
会員減少にともなう会費収入の減少が協会財政を直接に脅(おびや)かしている関係の協会からみるとうらやましい限りの財政内容である。しかしこの模範的計量協会にも新計量法の制度改革にともなう影響が出ている。それは指定製造事業者制度による証紙売りさばき手数料の減少である。施行前に比べて三百万円ほどの減額になっている。この会計年度における販売部会の会員の減少はなかった。
この協会は時代を先取りした組織・事業内容を確立しているものといえる。計量協会は計量関係事業に関わる会員によって構成されるものの、会員からの会費収入だけでは体裁のとれた協会事業を実施できない現実を考えるとき、計量協会の自治体の計量行政事務遂行の受け皿としての機能が重要であるからである。
計量の世界をとりまく時代は、地方分権と規制緩和という二つの事項によって大きく動いている。地方分権によって検定・検査等の国の機関委任事務が自治体の自治事務に移行する。また規制緩和政策の進行にともなって協会の組織は会員規模を拡大することが難しい。権限は自治体が保有しながらも実施については民間の力を利用する動きは今後とも大きく広がって行くであろうから、地方の計量協会は事業の内容をここで紹介した一つの模範的な協会に習って行くことは一つの選択肢である。
地方計量協会は会員だけのものではなく計量行政事務を実質的に分掌する社会的に有益な団体であることは疑いの余地がない。従って自治体としてもそのような計量協会の性質をいま一度確認して社会的に有益な団体としての組織・財政の体制を整えるための支援をすることは損のないことであろう。
■社説・困難を抱えた計量団体がもつ宿命的な弱点の克服(98年6月14日号)
地方計量協会の組織・維持の困難性はかねてから伝えられていたが、それがここにきて販売関係企業の脱会の続出で会員数の減少が目立つようになってきた。地方計量協会の会員は組織的な理念と利害が必ずしも強い結びつきをもつものではなく、計量器事業者が計量法令による事業規制があるということから会に参加するという事情がある。販売事業が登録制であった旧法下では、再登録の講習等に計量協会が関与し、手続きの手助けの役目を果たしていたから不満があったり心ここになくても協会会員として留まっているということであった。このような計量協会を世渡りの便宜として利用していた会員が、利便性の欠如を理由に脱会する傾向が出ている。この背景には計量器販売事業が他の一般商品の販売に比べて利益性の面でも有利でなくなったこと、市街にある関係事業者が減少していること、郊外の大型店舗の勢力におされて旧来の会員事業者が苦戦し、一部は弱体化していることなどが考えられる。製造事業者の絶対数が少ない県、県そのものの規模が小さな所の計量協会は、組織体として体をなすだけの会員数と財政の規模を確保できない状態にある。比較的大きな県の計量協会でも会費の長期未納会員を相当数かかえるなど、組織維持に苦悩している。
以上のような事情を考慮すると地方の計量協会は計量器専業の事業者中心の会員数の小さな組織になって行くことは間違いない。したがって今後の地方計量協会は、計量器の専業事業者である販売事業者、製造事業者、修理・メンテナンス事業者、計量士といった人々が中心になって構成され、運営されることになる。この構成員のほかに考えられるのは計量機器の使用者である一般事業所、消費者などであろう。そうした計量協会会員が組織に求めるものは何かといえば、ためになる情報の提供である。このような情報は待っていただけでは獲得することができないものである。会員自らが組織の委員会などに参加してこそ必要な情報、知識を得ることができる。
計量法が広範囲にわたって強い拘束力を持っていた時代で、かつ自治体の計量事務部門の人的・組織的能力が高かった時代にはこうした自治体が関係の事業者に法の実施の細部に及んでの説明等を積極的に行なっており、計量協会に入会していることの利便がそれなりに果たされていた。自治体の中にはこのような能力を以前にもまして備えている所もあるものの、全体としては不十分である。地方の計量協会は見方によれば行政上の便宜から、すなわち自治体の計量関係事業者をまとめて管理することの必要性から組織されていなくもない。事業規制にかかる事業者だけといってもよい会員構成の団体である以上はそのような見方をされても反論は難しいであろう。半分は行政の必要から組織され、半分は関係事業者の必要から組織されている地方の計量協会は必要性の度合いやバランスが崩れてきている。計量法が地方計量協会の構成員割合の高い体温計販売事業会員と血圧計販売事業会員の事業規制を解除したのであるから、本音をむき出しにした会員が退会する動きは自然な現象でもある。
計量協会の組織の現状、実態は以上のようなものであるから計量協会の組織・運営をする当事者の苦労は大きい。組織としての必要事項のたがを外されたうえに「しっかりしろ」では泣くに泣けない。このような悲鳴は新計量法が販売事業の有効期限をもつ登録制から一度届ければ以後の事務はなきに等しいような届出制に移項したときに全国から発せられた。このことに追い討ちをかけるような体温計と血圧計の販売事業規制の撤廃である。半分は行政側の必要から組織されている地方計量協会はこれではたまったものではない。
困難な状態から新しい発展や平衡状態への移行の努力が関係者の間で行なわれている。地方の計量協会が会員の自らの必要によって組織される団体へ移行するために会員を中心に関係者の腹をわった議論が必要であると思う。この組織原理は全ての計量関係団体や組織にも共通することで、会員減少や財政の縮小という難題を抱えている所は他人ごとではないであろう。
■社説・「計量制度は社会の宝」好かれるものになろう(98年6月7日号)
「人に好かれる」ことにはそれなりの訳がある。明朗な人、自分の意見がはっきりしておりその内容をしっかり体現できる人、責任感が強い人、人への思いやりがある人は概して人に好かれる。「人に好かれない人」はこの逆である。隠微で何を考えているのか理解され難く、人への思いやりはなく、責任は全て他人に押しつけるような人物である。
「人に好かれる」原理を組織・団体にあてはめて考えてみよう。
計量関係の組織・団体なども時代が移り変わると何をやっている所なのかイメージし難くなる。自治体の計量組織もその例にもれない。計量協会などはその代表例であろうか。現代という時代は社会における計量のイメージがぼやけた時代である。「計量制度は貨幣制度とともに」といっていたのでは計量の組織が何のための組織なのか曖昧になってしまう。ぼやけに拍車をかけているようでならない。
そのような言葉に自分自身で酔いしれて、自分たちだけは事業内容が明確だと思っていても外からはさっぱり分からないということになる。計量協会の会員になっている人々の一部には「何をする団体に何のために入会しているのか分からなくなって」脱会してしまうことがあるようだ。「私は頼まれて会長に就任しているだけだ」という言葉を平気で口にする地方計量協会の会長がいる。情けない話だ。本当に情けないのはそのような人物を団体のトップに担ぎ出すその組織の役員である。何とした心意気のなさよ。このようなトップをいだくようでは会の将来は危ない。そのトップが「お飾り」として通用するならそれでもよい。しかし、今という開かれたこんな時代はよほどのものでない限り「お飾り」では通用しない。そんな「お飾り」よりも使命感に覚醒したやる気のある若手を起用したほうが会の将来のためになる。
計量の組織にアイデンティティが失われようとしているとき「お飾り」には何の意味もない。体裁だけを考えて本質を忘れた事業運営をしてきた地方の計量協会は形骸化している。こうした組織にはアイデンティティが消失しており、行く末は心許ない。
同じことは自治体の計量事務組織にもいえる。自治体における計量事務の必要を説くことができない組織は衰ちょうするであろう。計量の神髄を理解した計量の仕事に生きがいを感じるような人的資源を持たない自治体は将来的に計量事務を放棄することになりかねない。時流のISO九〇〇〇シリーズやISO一四〇〇〇が品質と計測の確かさを保証するものとしてトレーサビリティを根底においていることを考えれば、公立の保育園一つ程度の計量行政機関の維持は当然過ぎることである。
ひるがえって計量・計測関係企業のアイデンティティの確立の問題である。企業によっては顧客に喜ばれることならなんでもやるという基本精神であるところが少なくない。しかし、これだけではどこに歩を進めれば良いかの迷いが出てくるだろう。「はかる」こととこの結果の利用と活用を通じて産業と人間生活の向上を実現することこそが計量企業は及ばずながら全ての計量計測関係組織と個人の共通の基本理念であるべきものと思う。
■社説・計量士、計量管理、計量協会の中央三団体の統合(98年5月31日号)
計量関係の中央団体のうち日本計量士会、計量管理協会、日本計量協会の三団体の統合の動きがあったことが今次の各団体の総会で発表された。三団体はいずれも社団法人である。
平成八年十一月に上記三団体と通商産業省機械情報産業局計量行政室との間で「団体の強化・統合について」の意見交換を行なって以来、断続的な検討がつづけられてきた結果、今年すなわち平成十年三月一日に「第一回三団体事務局連絡会議」を開いて具体的な統合に向けた検討に入っている。以後三月十八日に第二回事務局連絡会議、四月二十日第三回事務局連絡会議が開かれている。
第二回会議では統合委員会として「三団体統合調整委員会」および「各団体での対策委員会」の設置を決めた。第三回会議では「統合委員会メンバー」として日本計量協会横田初英副会長、高畑光雄常務理事、片岡喜吾総務部長、日本計量士会奈良部尤副会長、松本弘美専務理事、関口幸雄常務理事、計量管理協会蓑輪善蔵副会長、佐藤克哉専務理事が選出された。また各団体の対策委員会メンバーは日本計量協会は渡部勉委員長、岩下貞治、守浩三、鍋島綾雄の各氏、日本計量士会は奈良部尤委員長、須田正一、熊山昭治、松本克一、手木国男、岩田芳、村井久吾の各氏でそれぞれ各ブロック代表、計量管理協会は常任理事会が委員会を担当する。
また三団体統合についての「第一回計量団体統合調整委員会」がこの四月三十日に日本計量会館で開かれ、これには計量行政室馬場秀俊室長、日本計量協会横田初英副会長、高畑光雄常務理事、片岡喜吾総務部長、日本計量士会奈良部尤副会長、松本弘美専務理事、関口幸雄常務理事、計量管理協会蓑輪善蔵副会長、佐藤克哉専務理事が出席。この席上で「計量三団体統合の目的および事業方針」「平成十一年度各計量団体での統合承認」「平成十二年四月新計量団体設立を目的とした統合スケジュール案」を検討している。
計量三団体の統合は平成十二年四月統合という日程が設けられたから明年の定時総会には具体案が提出されて、統合の決議が各団体で行なわれることになる。
さて以上のような日本計量士会、計量管理協会、日本計量協会の統合はなぜいま実施されようとしているのであろうか。この手掛かりになるような文書については現在のところ公表されていない。各レベルでの委員会を通じてその「なぜであるか」ということが徐々に明かされて来るであろう。動きの全体に細心の注意を払いたい。
■社説・地方分権時代と地域の計量工業振興(98年5月24日号)
国の機関委任事務を廃止して自治体の行政権限を拡大して行こうとする地方分権が推し進められている。
計量行政は幕藩体制のもとでは一般に藩ごとに度量衡の製造事業者を抱えたものであり、このため現在の四十七都道府県には地域の有力な計量器事業者が江戸期から事業を引き継ぐ形で存在している。計量機器産業はさし、ます、はかりという限定的な計量器にとどまることなく電気量、放射線量、公害関係の計測量を含めて計測対象を限りなく大きく拡大してきた。生産方式の改善や性能の著しい向上をはかり近代産業として成長する過程で地域的な限定性から脱却している。従って現代の計量機器工業は資金、土地、人、技術といった生産要素を満たせばどこに工場をおいてもよいものとなっている。
計量機器産業が一般的に地域性から脱却しているとはいえ、地域内の計量器の設置、保守・管理に関わる計量機器の事業は消えることがない。地域、地方ごとの計量機器工業は厳然として存在するのであるから、こうした事業者の関連情報の収集、連携、振興策を講じることの重要性は大ききく、このため事業者自らが自発的に結束して必要な共同事業を行うことは大事である。また自治体が地域の工業や産業の振興をはかることを業務にするというのであれば計量機器の地域事業者に便宜をはかることである。
自治体の地域の計量機器事業者への支援ということでは、この間の計量法の改正に伴う情報提供の面ではたとえば新設された型式承認制度、あるいはトレーサビリティ制度に関する説明等においても計量検定所等の対応は無きに等しいものであった。
地方分権という新しい行政の枠組みの中で計量関係の行政においては、地域の保守・管理・サービス事業者を中心にした計量機器工業関係者をいかに支援していくかということの構想を策定すべきであろう。
地域には小なりといえども地域社会にとって欠くことのできない計量器事業者が営みをしているのである。大きな事業者だけが事業者ではないことの理解を求めるとともに地域の計量機器工業の振興策、つまりビジョン作りを訴えたい。
■社説・計量の目的と計量関係者の使命(98年5月17日号)
「計量・計測」という用語からイメージする内容は立場立場で異なることであろう。
機器を使用する立場の人、機器を製造する立場の人、機器を販売する立場の人、計測結果の受取手となる立場の人、機器や計測結果をテストする公的な第三者の立場の人など、「計量・計測」に関わる立場は多様である。
計量・計測機器を製造する立場の人々であっても、電気関係の計測機器を造る人々、精密測定機器を造る人々、はかりを造る人々、ガス・水道メーターを造る人々、ガソリン計量器を造る人々、公害計測機器を造る人々、分析機器を造る人々、理化学機器等を造る人々と、この流通に関わる人々の間には大きな垣根があり案外に互いを知らない。これら多くの機器は一括りに言い表すと「計量・計測機器」ということになり、ある集団が構成される。これが「計量計測業界」である。また「計量・計測」に関わって、消費者等を含む計測結果の受取手、機器と計測結果の検査役等広範囲な役割を持つ計量の公的機関、関係の学会等を交えてこの世界を総称すると「計量界」という用語が成立する。計量協会という中央、地方の計量団体は「計量界」とほぼ同義語であるべきだと思われる。しかし組織の実態は必ずしも計量・計測に関わる全ての関係者を網羅するものとはなっていない。
「計量・計測」とは本来は技術であり、人間が知恵を集積して発展させてきた学術であり、人類の文明は「計量・計測」と同義である「はかる」ことから始まった。「はかる」ことを社会としてうまく機能させるには単位を定めることなど計量に関する社会制度を必要にする。この社会制度は基盤的内容を持つものである。基盤的要素として見るなら鉄道、通信、電気、港湾施設にも増して基盤的要素が強い。中国の古代国家が国家建設のはじめに行ったのが度量衡制度の制定であったのは先の理由による。
現代社会において「計量・計測」に関わる者の使命は何かといえば、計量・計測技術と知識と機器を最大限に活用して生活・経済・文化の向上に役立てることである。そのためには必要な計量器を正しく使い、よりよい計量結果を得ることである。このことは容易に出来そうであるが案外難しいことである。計量・計測関係者の精進に期待する。
■社説・基準不明の公務員汚職国日本(98年5月3日号)
行政機関は国家運営に必要な組織である。地方自治体も市民生活に必要な組織である。こうした公務員の倫理規範に異変が生じている。日本の国は経済の規模拡大に連動して公務員を野放図に増やしてきた。国も自治体もそうである。経済が後退して税収が落ち込むと緊縮財政をうたうもののにわか景気で税収が増えると、それまでの緊縮財政を忘れてバブル行政を平気で行う。それでいま財政難だといって国民生活と産業・文化活動の基盤をなす計量行政をないがしろにしようとしている。これでは困る。
この国は成熟社会に足を踏み入れており、新しい政治と経済と文化の規範をつくり出そうとしている。行政については経済の規模拡大時代の野放図・お手盛り・甘え・癒着体質がそのまま残っており、つい最近の大蔵省の総勢百十二名の過剰接待問題にからむ大量処分がこのことをそのまま物語っている。処分を受けて辞表を提出した長野厖士証券局長は国会では自分が受けた過剰接待はないと明言していた。高級官僚の特権のように先輩後輩と受け継いできた権益としての「接待を受けることは当然」との考えがあったのだろうか。
今の行政機関の職員の行動様式それも高級官僚といわれる人々の思考方法の一切は戦中の軍部のそれと瓜二つである。国民を犠牲にし国を滅ぼすための行動となっている。
日本の経済が規模を拡大してグローバルな展開をしている現在では、国の行政機関が実施する諸政策が果たす効果が著しく薄れてきているようでならない。
このような行政機関を国と国民のための機関に生まれ変わらせるには行政機関が持つ秘密をなくさせることである。情報の公開原則の徹底的履行こそがそれを保証するのではないか。遅れた国、官僚支配の国ほど情報は公開されていない。日本のように国民が高度の政治・経済・文化の知識を持ち、民主主義の面でも相当に訓練を積んできた国では国家は一切の秘密事項を持たないことが国を滅ぼさないための保険である。
日本の国ではこれまで善と悪の境界線が悪に厳しい方向に大きく動いている。善良な公務員は何時でも善と悪ははっきりしていたが、これの区別が付かない悪徳公務員善導の教育を受けて排除されなければならない。
電子メール または このフォーム(クリックしてください) でご意見ご要望をお寄せください。
02年 1月/2月/3月/4月/ /5月/6月/7月/8月/ /9月/10月/11月/12月/
01年 /1月/2月/3月/4月/ /5月 /6月/7月/8月/ /9月/10月/11月 /12月/
00年 /1月/2月/3月/4月/ /5月 /6月/7月/8月/ /9月/10月/11月/12月/
99年 /1月/2月/3月/4月/ /5月 /6月/7月/8月/ /9月/10月/11月 /12月/
98年 /1月/2月/3月/4月/ /5月 /6月/7月/8月/ /9月/10月/11月/12月/
97年 /1月/2月/3月/4月/ /5月/6月/7月/8月/ /9月 /10月/11月/12月/
96年 /10月 /11月/12月/