日本計量新報の記事より  社説9801-9804


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■社説・平成消費不況とその打開策(98年4月24日号)

 デパート、スーパー等小売り大手の売上げ不振が続いている。商店街等で小規模小売り店の廃業が続出、商店街の衰退現象がはっきり出ている。大手小売店も業績不振、小規模小売り店も業績不振、鉱工業生産がそこそこの動きを続けてきた状態の中にあって小売店の売上げ低下であるから、今の不況は消費不況であり、名付ければ産業構造転換期の「平成消費不況」である。

 解決策は原因が分かっているから基本的には簡単なこと。消費者の消費マインドを高めることである。老後対策、住宅、福祉その他の社会政策をしっかり構築し、この国でしっかり働けば未来の幸福を勝ち得ることができることを政府が自信を持って提唱することである。この間政府は財政難を理由に濡れ手に粟をつかむような根性の悪さそのままに消費税率の三%から五%への引き上げを行った。政府自らがまともな努力をせずに簡単に税収を増やすための「魔法のスイッチ」を無造作にひねった結果「平成消費不況」が始まったのである。政府の経済政策の失敗が「平成消費不況」の原因である。「平成消費税不況」といっても良いかも知れない。

 この景気後退は消費税率引き上げの一月後の九七年五月に景気の山を打っている。鉱工業生産指数や製造業の稼働率指数はこの月を境に低下傾向をたどっている。

 計量計測機器産業の生産動向と連動する規模の大きな産業である工作機械産業は九三年を谷に九四年、九五年、九六年、九七年と順調に上昇を続けている。しかし九八年に移ってからは対前年比と同等もしくは回る生産となっており、ここにも景気のかげりがうかがわれる。しかし工作機械は欧米に最新鋭機を大量に輸出してきており、こうした欧米の最新鋭機を設備した製造業に対して国内製造業が競争に打ち勝つにはこの上を行く新鋭機を設備しなければならないことから、当分は工作機械の生産額が急激に落ち込むことはないという見方もある。

 日本の国内総生産は人口の減少傾向が原因して横這いか低下傾向を示すという観測が出ている。個人所得を維持・拡大させながらの成熟社会への移行するという大きな課題に対して国の構成員が知恵と力を出して協力しなくてはならない。

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■社説・社会資源としての計量士の活用の方策(98年4月19日号)

 まずはエピソードである。計量士国家試験を東京大学工学部計測学科卒業生で品質管理の現場経験を持つ若手が受験した。受験対象は一般計量士であり、初回は十分な学習を積まなかったので不合格となった。「面子に掛けて」の二回目で合格。学科・教科などの学習の理解度では日本一の秀才と折り紙付きの東京大学卒業の技術者にしてこのとおりである。理工学の一般常識だけで合格する試験内容ではない。

 だからといって計量士国家試験がとんでもなく難関な国家試験ということではない。所定の学習をしっかり積めば合格する内容のものであることは経験上分かる。

 計量士国家試験の合格ラインはこれまでも試験実施の当局から発表されたことはない。試験に関係する様々な立場の人々の意見を総合すると合格には全科目六十%以上の正解率であればよいようだ。合格ラインは試験問題の難易度によって多少は変動するもようである。問題が難しかった年は合格ラインが下がるし、易しかった年は引き上げられる。

 受験する側からは合格ラインを設定して学習に取り組まなくてはならない。百%の正解率を要求されると合格は非常に困難である。どの程度の正解率で合格にするかは社会事情を含めて総合的に判断されることであろうが、受験者の側からは過去の事例を十分に参考にすると七十%正解率で合格という目標設定でよいであろう。

 計量士国家試験は環境計量士(濃度と騒音・振動に分かれる)と一般計量士に区分され、受験者および合格者は圧倒的に環境計量士が多く、昨年度の合格者は環境計量士が濃度関係三百十五名で合格率は十二・五%、騒音・振動関係百四十四名で合格率は二十三・〇%、一般計量士が百八十四名で合格率は二十・五%である。近年の資格ブームの影響で計量士国家試験の受験者数は増加傾向にある。今年度の出願者総数は六千三百九十二名で、実際に受検した者は七十・二%の四千四百九十名であった。

 合格者の感想として「せっかく頑張って資格を取得してみたものの、資格を生かせる仕事の場がない」という内容のものをよく耳にする。

 そのとおりである。計量士国家資格を活用する社会環境をつくって行くことは試験制度を創出した側の責務でもある。

 計量士の資格を生かせる仕事の場としては公務員は別にして、民間の場合には環境計量士にしても一般計量士にしてもごく限られた分野である。環境計量証明事業所の登録要件としての環境計量士の配置義務のほか、質量計の定期検査の代行検査、適正計量管理事業所における一般計量士の配置義務などが資格に係わる事項である。

 行政簡素化とこれに連動する民活が時代の要請となっているにも係わらず計量士の資格を生かす方策が具体化されないのは資源の持ち腐れと同じことである。

 「適正計量の実施の確保」が計量法の目的であり使命であるが、この目的・使命達成は計量法上の諸規準を単純に緩和することとは相入れないことがある。諸規準の緩和が行政の簡素化を主要な動機にしているのであれば、国家に代わって計量器の検査等の業務が行なえる有資格者の計量士の大いなる活用を考えるべきではないのか。

 「規準が緩和されると緩和されただけ管理がルーズになる」計量器があることは事実なので、一般的な規制緩和政策に誘導されて、計量器とその検定・検査等、適正な計量の実施の確保に影響する分野に単純に適用することの弊害を恐れる。計量器とそれを使用しての計量結果に対する国民の信頼、平たく言えば計量の信頼確保は一朝してかちえたものではない。

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社説・計量計測の社会機能と計測器産業(98年4月12日号)

 近代の産業社会における計量計測の社会に果たす役割はテクノロジィー一般の重要性が強く語られるのに比べると陰にかくれがちである。自動車、鉄鋼、化学、機械、電機など基幹産業は現代産業社会の骨格をなすものである。こうした産業の骨格は通信、電力・ガス、サービスなどの産業によって肉付けされ、現代産業社会の全体が構成される。

 計量計測産業は現代産業社会でどのように機能しているだろうか。自動車、鉄鋼、化学の各産業は、統一的に定められた計量単位とこれに基づく計量標準の確立と産業界をはじめ科学・文化・学術の各方面への計量標準の供給という社会基盤としての計量制度があってこそ成立しうるものである。標準の元は基本的に国家が管理している。そして標準の供給が一般に公的機関を中心に行われているほか、私的企業によって利潤を目的に行われる場合もあり、今後は制度的な網をかぶせた上で民間が標準を供給する割合が高まるであろうが、標準の供給は全体としてみれば公共的性質を持つ。

 計量の標準の供給は全産業に共通して行われている。産業分野が違っていても、生産活動を行う場所や地域が違っても、出来てくる物や、行う事などの全てに辻褄が合うのは基礎に計量計測の社会制度があるからである。これが社会基盤としての計量計測制度である。公共的性質は絶対に消せない。
 他方、テクノロジーとしての計量計測は産業社会を牽引する。

 基幹的産業は繊維、石炭、鉄鋼と時代とともに移り変わってきた。鉄鋼が産業の米といわれたものだが、今では半導体がそのようにいわれている。パソコンの進歩・発展は基本的に半導体技術に依存する。その半導体の性能はそれをつくり出すための微細加工技術に依存し、微細加工技術は計測技術に依存する。ハイ・テクノロジーの実態を分解して見て行くと計測技術に行き着くのである。その意味からも計測技術は時代を超えたキー・テクノロジーである。

 計測技術というキー・テクノロジーは華やかさを欠くとはいえ、この進歩・発展の意義を正しく理解できることこそが文明人といえ、文化国家である。あだや疎かにしてはならないものである。

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■社説・役所が威張らない社会こそよい社会(98年4月5日号)

 タレントの植木等の「等」(ひとし)は人間みな平等という考えで名付けられたとテレビの「波乱万丈伝」が伝えていた。寺の伜(せがれ)に付けられた名前である。

 このことから考えを馳せよう。日本の社会は平等な社会であろうか。米国などにあったそして現在もその存在を否定できない黒人差別などと比較した場合には、日本の社会は「まずは平等な社会である」といえる。一応は平等な日本の社会も人々の意識の深い所を探ると、決して確かな平等思想が確立しているとは思われない。

 社会には「かっこいい」職業や会社がある。ということは「かっこわるい」職業や会社があるということである。法政大学の総長であった労働法の権威の大内兵衛氏は「労働に貴賤はない」と訴え続けた。この考えは人間の労働は様々な機能の労働が集積して社会が構成される、ということに由来するものであろう。どんな労働でも社会が必要としている。

 労働を行政機構の上部から順に尊いものであるという「錯覚」を世の人々地が持ち、このような錯覚が自治体の職員にも少なからず伝ぱんしている。自治体の職員が中央官庁やその職員を「偉く」「尊い」ものであると思うことは「自由」であるようにみえるが、このことが地方を中央に従属するものにしてしまう遠因になる。

 自治体の職員がどこかで自己が中央官庁の職員に劣り従属的なものと考えるとするその考えは、民間を役所の下に置く考えに通じてしまう。

 役人が顔を効かせる社会はよい社会ではない。官僚主義の社会とは未成熟な社会である。こうした社会は必ず道を誤り崩壊することは歴史が証明している。ソヴエト連邦の崩壊など「社会主義国」の消滅傾向がそのことを物語っている。計量の世界が役人が顔を効かせ過ぎる社会であるとすると、この世界は未成熟な社会であるということになる。その結果は計量の役所の存続の苦境となって現れるであろうし、社会の基盤機能を持つ計量制度と計量計測の苦戦につながる。

 誰が何をどのように反省すべきか。計量計測が社会で最大限に利用・活用されることを願いとし、報道を業務とするわれわれはこの願いを実現するための気迫と勇気の面で反省するところが大きい。叱責の通信を目にしてこのことを強く思う。

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■社説・理のある意見を受けとめられる行政を(98年3月22日号)

 ある計量行政機関の長が次のような話をした。「皆さまからのご要望とご意見については私どもとしてもその通りと思う事が多くあり、すぐにでも実現したい。しかし組織体制等を整えるのに時間を要する性質のものが少なくないので、しばらくのお時間をいただきたい。理に適うことについては是非ともそのような方向でご要望に沿った対応をいたします」

 私たちも読者の皆さまから様々な意見と要望を寄せていただくものの、力不足なこと、組織体制を再整備しなければ応えられないことがある。スイッチをひねるようにすぐ応えられる内容のものであればいいが、組織等をいじらなくてはならないものであれば時間の猶予を求めることになる。

 時間を必要とする要望、不可能と思われる要望についても、思わぬ所から解決の糸口が見つかることがある。「なるほど」という意見・要望は当事者の頭から離れない懸案事項になる。懸案事項が潜在意識に作用し、いつの間にか熟成し、あらぬ所から要望を実現する解決策が見つかることがある。
 だから、よいと思ったことは話すようにするとよい。話さなくては伝わらない。話せばすべて伝わるものではないけれど、話すことを怠ると意は伝わらない。

 計量行政の運営は地方分権、国と地方との財政困難に伴う機構改革などで嵐のなかにあるといってよい。出費削減を至上命題にした地方自治体の財政部局からのヒヤリングの内容は熾烈で、やりとりのなかでは「計量行政はいらないのではないか」という言葉も出ると聞く。これに答える自治体の計量行政担当者の苦心の対応が目に見える。気構えが足りないと簡単に言い負かされるので決死の覚悟を要することであろう。

 計量行政が産業・文化・生活等を基礎で支える社会の基盤的性質を持っていること、また消費生活に直接に係わり生活と社会の商取引の安全確保に重要な役割を担っていることに確信がなくてはならない。このことに揺らぎがあると「お金がないんだから計量行政も削減するんだ」という「不当な攻撃」に屈服してしまう。自治体の計量行政機関では所長をはじめ中堅幹部職員の計量行政の本質に関する理解の程度が実質上その自治体の計量行政の質と内容を決める。

 計量関係の民間の人々も行政機関に対しては疑問や要望は話さなくては伝わらない。不当な言い掛かりや反社会的な要望は受け入れられない。住民サービスの向上につながる計量行政の新時代への対応などは時間をある程度かけた後に実現をみるものだから、矛盾、不備等問題箇所の指摘等ははばからずにするべきであろう。行政に物言うに遠慮はいらない。

 最近は薄れてきたとはいえ計量行政に連結する民間の人々は行政機関とその職員を恐れるあまり卑屈な一面を残している。本紙上への匿名希望の投稿などにも「役所怖い」という意識が働いている。匿名投稿はどうしても筆が荒れるので記名を願う。匿名の投稿では表面に現れない社会の矛盾が表現される有為性を持っていることを否定しない。

 冒頭で引用した計量行政機関の長の言葉に期待する。不当な言い掛かりや反社会的なことでない限り、行政には意見と要望は遠慮なしに伝えるべきである。行政機関はそのような意見・要望に正しく対処する体制を整えなくてはならない。話しても伝わらないのでは、その機関なり当事者に事務執行能力がないと思われても仕方がない。「打てば響く」といかないまでも理のある意見・要望を受けとめられる組織・機構づくりは時代を超えて大事なことである。

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■社説・インターネットの社会性と計量制度の符合(98年3月15日号)

 インターネットという言葉の普及は目を見張る。そのインターネットの意味するものと受け取り手の理解の度合いとの乖離が大きいと思われる。

 ことインターネットについては「群盲像をなでるがごとし」のことわざがそのまま当てはまる。ある人はインターネットを電子メールであると思っているし、ある人はインターネットを面白い画像を見るための秘密の通路だと思っているし、ある人は趣味の情報を入手するための情報バンクだと思っているし、ある人は自分のホームページを通じて世間に自分たちの幸福な生活を報告する手段だと思っているし、ある人は自己の企業のPRの手段だと思っている。以上のようにインターネットに関する理解と認識は千差万別である。インターネットはそれだけ多色の内容を持っている。

 私たちにとってインターネットはどういうものかということの理解を述べよう。

 計量・計測の社会的機能のためにインターネットを最大限に活用して行こうというのが私たちのインターネットへの接し方である。インターネットを計量・計測情報のバンクとして利用するということである。計量・計測情報の情報バンクがあるのかといえば、インターネット上で各機関、企業、個人のホームページをリンクさせることを通じて質の高い内容の情報のバンクが構築されつつあるといえる。

 これは何故かというと、インターネットが各機関の頭脳、知識、情報をつなげてしまう機能を持っているからである。各機関のコンピュータに打ち込まれた情報がつなぎ合わされてしまう。

 計量研究所が持っている全ての情報、通産省計量行政室が持っている全ての情報、都道府県ならびに特定市等の計量行政機関が持っている全ての情報、計量関係事業者が持っている全ての情報が、各機関と事業所のホームページに掲げられているならば、これが巨大な計量・計測の情報バンクを形成するのである。

 計量・計測は社会システムとしてみると、計量法を骨格とした社会制度として構築されている。この制度は計量・計測が社会において円滑に機能するための計量標準の設定と標準の供給、また経済社会における商取引等の安全を確保するための検定・検査制度等で構成されている。計量法が産業等で用いられる取引・証明以外用の計量・計測機器には直接には関与しないので、この方面の計量・計測機器の性能の維持・確保は供給者と需要者の自主性に委ねられる。必要な精密さと確かさに対応した計測方法と計測機器の自主的な選定と購入、使用という一連の行為が間違いなく実施に移される行為の全体は計量文化といってもよい。これの実現こそ社会システムとしての計量・計測システムの使命である。計量・計測の情報バンクはこれを支援するものである。

 計量・計測情報バンクは時が経てばいずれ出来上がるものではある。しかし、いま必要とされている社会的需要に応えるには、各機関、各事業所、各企業のそれぞれが職域としている社会に公開すべき計量・計測関係の情報をホームページに掲載しなくてはならない。計量・計測に関する制度が基礎的・基盤的な社会システムであることを考えると、全ての計量・計測関係機関、事業所、企業がホームページを開設して、これをリンクして壮大な計量・計測の情報ネットワーク、つまりは計量・計測情報バンクをつくりあげなくてはならない。

 計量行政サービスの需要者は国民であるから、国民は計量行政サービスの全体を知る権利を持ち、計量・計測機器のユーザーはその機器の校正サービス等についても必要な情報を受け取る権利を持つのである。だから全ての計量・計測関係機関と事業所と企業は関係情報をインターネット上にホームページを通じて掲載しなくてはならないのである。

 私たちのインターネットとの関わりの重要な事項はここにある。だから私たちの持つ計量・計測情報をホームページに掲げなくてはならない。私たちの力は小さいけれど小さいなりにホームページに関係情報を載せてゆくことが、社会的に有用なのであると理解する。

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■社説・試験結果の国際相互承認の第一号(98年3月8日号)

 通産省工業技術院計量研究所(今井秀孝所長)は二月十六日、オランダの国立計量標準機関であるNMiと「非自動はかりに関する型式承認試験にデータの相互承認」の覚書を交わした。

覚え書きの合意内容は次の三項目。

 @「オランダNMiが日本国内以外の製造事業者に対し、日本の技術基準に適合する型式承認試験成績書を発行した場合は計量研究所がこの試験成績書を受け入れる」(前号@面報道では「日本国内の」となっておりましたが「日本国内以外の」の誤りにつき訂正致します)、A日本の計量研究所(NRML)が日本の製造事業者に対し、国際勧告に適合するOIML計量証明書を発行した場合は、NMiはこの試験成績書を受け入れる」、B「付属書:非自動はかりに関する型式承認試験データの相互承認に限定」。

 この合意書によって日本とオランダのそれぞれの国が国際勧告に適合するOIML計量証明書を発行した場合はその試験成績書を受け入れるというもので、日本にとっては計量データの国際的な相互承認の第一号になる。日本の企業は例えば輸出仕様の非自動はかりの型式承認試験に関するデータに基づいて国際勧告に適合する計量研究所のOIML計量証明書の発行を受ければ、オランダNMiは自動的にこの試験成績書を受け入れるというもの。同じ理屈で日本以外の非自動はかりの製造事業者がオランダNMiで、日本の技術基準に適合する型式承認試験成績書の発行を受けた場合は日本の計量研究所はこの試験成績書を受け入れる。

 計量・計測試験データの世界の国々との相互承認は早期に実現すべき懸案事項であった。日本の計量行政機関は日本とヨーロッパ国立計量標準機関との型式承認試験データの相互承認を実現していくための準備を進めてきた。このため一九九五年秋に通産省計量行政室長と計量研究所部長が渡欧してヨーロッパ各国機関と最初の接触を行った。この後一九九六年四月にオランダNMiおよびイギリスの計量標準機関であるNWMLの両機関を日本の型式承認相互承認プロジェクトチームが訪ねて、第一回目の相互承認プロジェクトの推進会議を開催、この席上では@対象計量器の範囲や相互承認のレベル、Aプロジェクトのスケジュール等について合意を見ている。

 日本の計量研究所とオランダNMiとの間でわが国としては初めての型式承認に関する相互承認の合意書を締結するに至ったもので、今回の覚書の対象は非自動はかりであるが、NMiとの間ではこの後ロードセル、燃料油メーター(ガソリン計量器)の型式承認に関する相互承認を実現させる。

 イギリスNWMLと日本の計量研究所との間では燃料油メーター(ガソリン計量器)の型式承認に関する相互承認を実現させるべく諸準備を進めており、これに続いて非自動はかり、ロードセルの型式承認試験データの相互受け入れを行う計画である。

 日本の計量研究所とオランダNMiとの非自動はかりの相互承認は懸案であった計量計測データに関する国際間の相互承認に関する取り決めの記念すべき第一号である。先に述べた経緯から今後ガソリン計量器などでこのような取り決めが順次行われる。

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■社説・合格率二割の計量士資格への挑戦(98年3月1日号)

 第四十八回の計量士の国家試験が定例実施日の三月の第一日曜日、今年の場合は三月一日に札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、四国、福岡、沖縄の全国の九会場で一斉に実施される。

 願書出願者は環境計量士の濃度関係が三千九百三十八名、騒音・振動関係が千二百三十名、一般計量士千二百二十四名である。出願者はこの数年増加傾向にあり、今回の増加率は順に七・七%、二四・一%、一一・二%。前回の合格者数と合格率は同様の順に三百十五名(一二・五%)、百四十四名(二三・〇%)、百八十四名(二〇・五%)であった。受験者の増加率は受験者の絶対数の少ないものほど多い結果になっている。つまり分母が小さいほど変動率が大きく出る傾向はこの数年変わらない。

 日本はいま資格ブームである。資格は労働能力のものさしになるものだけに、労働者が自己関連分野の資格にチャレンジすることは健全な行為である。日本の労働事情が実力主義に移行していることの現れでもある。このような事情が計量士資格への強い関心となっており、今回の計量士国家試験の受験者の前年比一〇・二%増という数字になって現れている。

 計量法では計量士を「計量器の検査その他の計量管理を的確に行うために必要な知識経験を有する者」と定義的に規定している。キーワードとして登場する「計量管理」の内容は、計量法の諸規定を読み合わせると、「計量管理」とは「計量器の正確さを確保するための検査を中心としてそれに付随する管理」ということになる。計量法が取引と証明の安全を実現するために適正な計量の実施を確保するための法律であることがこの規定の枠組みになっている。

 従って「計量士の計量法に関連した職務の内容」は「特定計量器の性能の確保のための検査を主体にした限られた意味での計量管理」ということになる。

 しかし「計量管理」の本質は計量法の規定に従った計量器の検査を中心とする管理でないことは計量士を始めとした技術者・管理者の常識である。だから計量士の本来的使命は環境計量士の場合は、環境計測技術と知識を総動員して環境に関する計量管理を通じて公害を出さない人と地球にやさしい生産等の環境システムを構築することである。同様に一般計量士の場合は、計量・計測技術を総動員して生産・流通システムの最適化をはかり、構築することである。

 計量管理の手法が日本に本格的に導入されたのは戦後の復興期である。この時期、大企業を中心にしてこれを自社の生産システムにインストールする作業が盛んに行われた。戦後復興を支えた基礎的な技術関連のフィロソフィーが計量管理である。この計量管理の手法の可能性を見抜いたのが昭和二十六年六月七日公布の計量法の立案作業の中心的存在であった初代の通産省計量課長だった高田忠氏である。行政は計量管理協会を設立して計量管理の普及に努めることになる。また計量管理を普及・推進する意図から、計量法に「計量管理」、「計量士」の用語を盛り込んだ。このうち「計量士」の方は高い水準の技術・知識能力を確認する関門を設定して、これを突破したものに与えられる資格となっていることから、計量士すなわち計量管理に関する国家公認の技術者として今日の社会認識と評価を得るに至っている。

 また「計量管理」の方も、日本の大中小にかかわらずあらゆる企業が品質管理と同義語として受けとめ、一定の計量管理手法を利用・活用するに至っている。

 計量管理が計量法の中で規定された法的内容に限定されたものと考える人々はいない。計量士が計量法に連動した国家資格であるからといって、計量法の上での職務内容に仕事を限定せず、計量管理、計測管理の本務が計測理論・計量管理理論と計測技術を元にして工場・各種事業場等での計量の最大限の利用と活用であることを正視しなくてはならない。こうして生まれてくるものが品質を創り込む計量管理であり、コストダウンを実現する計量管理であり、儲かる計量管理であり、公害を出さない計量管理であり、ブランド力を創り出す計量管理であり、消費者・生活者に信頼されるお店づくりに結びつく計量管理である。

 計量管理と計量士ならびに計量管理技術者の本来の任務と使命が計量法から離れた総合的な内容を持つ計量・計測管理であることは、皮肉な一面であるがこのことこそが計量法の立案作業者たちの最大の念願であったのである。

 品質管理に関する国際規格であるISO九〇〇〇シリーズの認証取得が企業の信頼性証明につながり、環境に配慮した企業であることの実質上のライセンスになっているISO一四〇〇〇が世間の注目を集めているとき、これに関連した国家資格の技術者である計量士の資格保有者が、いま以上に知識と技術を磨き気概旺盛に活躍することを期待する。

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■社説・地方計量行政の健康維持と本質の理解(98年2月22日号)

  日本の計量行政は計量検定所、計量検査所など自治体が中心となって世界に誇れる質の高い内容で実施されてきた。計量行政の主体は自治体であるけれども、自治体の機関と職員だけではカバーしきれない分野を適正な計量の実施の確保を自らの事業の使命とする計量関係事業者の行政ボランティアに依存して補ってきた。この組織の中心が地方計量協会である。

 計量行政の基本目的は商取引等に関する計量の安全確保、つまり適正な計量の実施の確保である。計量の安全を確保するには適正な計量器の供給とあわせて「適正に計る心」が社会に植え付けられていなければならない。この社会観念を一般に計量思想あるいは計量観念あるいは計量意識と呼んでいる。計量思想という社会観念が醸成されていなくては適正な計量器が供給されていても適正な計量の実施は十分に確保できない。

 地方計量協会は計量行政を支援する計量ボランティアとして特に計量思想の普及・啓発に大きな役割を果たしてきた。行政機関が直接に動きを取りにくい行政分野の受け皿として地方計量協会が機能し、計量の安全の確保に貢献してきた。計量行政を国民、市民に親しみやすい護民官として育ててきたのは官民一体の計量思想普及運動のたまものであるといってよい。

 地方分権時代が叫ばれ始めた今日において、地方計量協会が担うべき役割は何か。新計量法は地方計量協会が、計量検定所あるいは計量検査所が実施の主体となっている特定計量器(現在は主として質量計)の定期検査の代行機関になる道を拓いている。自治体における計量行政のフレームワークをどのように取るかの裁量がいま以上に自治体に委ねられることが地方分権の特質の一つである。

 自治体財政が困窮し打開の道を探らなくてはならないとき、その策として計量事務(計量行政)を放棄することは市民のための行政を実施しなくてはならない自治体の自殺行為といってよい。少ない人員と予算で大きな効果をあげることは行政といわずどのような分野においても同じ事で普遍的な原理である。こうした前提にたって地方計量行政を考える場合、計量ボランティアとしての社会的信用を築いてきた計量協会という組織を活用することは時代の要請である。

 地方における計量行政が財政難を理由に大きく後退して消費者・生活者に不安を与えることがあるならば、これまで積み上げた行政の成果、効果を投げ捨てることに等しく、賢者のなすべき行為ではない。計量行政が社会基盤であることの理解が何より大事である。

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■社説・健康科学と計測技術の応用(98年2月15日号)

 いま温泉ブームである。自治体が温泉を掘って公共の温泉場をつくることがブーム に連動する。お金のかからない小さな旅に公共の温泉場を結ぶと幸せ度が上がる。

 二月二十一日の休日、三時間六百円、一日九百円の公共の湯で遊んでいると、山登り帰りの中高年の一団があり元気な裸体を見せていた。この人々と運動抜きの生活らしい肥満の人々の肉体を対比して観測して「肥満大敵」を思い知った。休日にお金のかからないレクリェーションが出来ることは心の健康を証明するものであり、こうしたレクリェーションが健康を増進する適度なスポーツであればこの上ない。

 先ごろ茨城県出身の超肥満を絵に描いたような衆議院議員が心臓発作で死亡した。この事例ほど肥満と心臓病を図式的に物語るできごとはなかっただけに、誰もが肥満の恐ろしさを覚えたことであろう。

 糖尿病はお金持ちの病気、痛風は帝王の病気といわれていたにも関わらず、この二つの病気はいまでは庶民の病気になってしまった。原因は過食と運動不足である。その結果の一形態が肥満だ。肥満は成人病の温床になっているのであるから「肥満大敵」である。社会からなくすべき対象である。

 人間の健康の度合いは血圧値、血糖値などの数値で示される。

 これらはすべて医療用の計測機器で計られている。医療のなかに占める計測は大きな要素である。人間の健康も病気の有無も計らなければ分からない。医療と健康科学の分野ではたす計量計測機器と計測技術の役割の大きさの認識が計量計測関係者に案外に低い。計量計測関係者の計量計測に対する認識が、自分が作りあるいは扱う計測器の分野に限定されがちだからだ。個人としての人間の意識や認識の範囲が意外に狭いことに由来する。

 少子化・高齢化社会に突入する日本は国民・生活者の介護および医療に関わる支出が増えて行く。国民の介護と医療の支出を可能な限り小さくすることの努力は必至である。

 健康の状態を計り、病気を予防するための施策が政策として実施に移されなくてはならない。病気予防は健康観念が基本であるものの、健康状態を計り、知るための計量計測機器と計測技術の利用と活用もまた大事である。

 人間の健康も含めて物の状態は計らなければ分からない。計るための機器と技術の開発・応用の可能性は大きい。計らなくても分かるということがあるが、これは計っていても計らないでいると思っているだけのことである。

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■社説・計量士制度と計量士の活用の道(98年2月8日号)

 計量士の国家試験は定例三月の第一日曜日として定着しており、今年度は三月一日に実施される。日本の労働事情が労働者個々人の実力に依拠する方式に移行しているのにあわせて、それを証明する根拠になるのが資格であることから資格ブームが起きており、これに連動して計量士資格への関心が高い。

 計量士は「計量器の検査その他の計量管理を的確に行うために必要な知識経験を有する者」と計量法で定義的に規定されている。計量法の諸規定を読み合わせると、ここで述べられている「計量管理」とは「計量器の正確さを確保するための検査ならびにそれに付随する管理」の域を出ない。このことは計量法が取引と証明の安全を実現するため適正な計量の実施を確保することを目的とした法律であることに由来する。

 従って計量士の計量法に関連した職務の内容は特定計量器の性能の確保のための検査を主体にした限られた意味での計量管理ということになる。この職務は「われわれの職務は役所の行う検査を代行するものである」というある計量士の言葉になって現れる。これは計量法に規定された内容と同等以上の検査を中心とする管理を実施した計量器についてはその管理の内容が計量法の定める内容に一致していれば役所が実施する定期検査を免除する、ただしその計量器の検査を中心とする管理は登録した当該計量士が責任を負う、という意味でもある。  計量士を始めとして計量管理、計測管理技術者は計量管理の本来の意味が計量法の定めにある計量器の検査を中心にした管理でないことは知っている。工場・事業場での計量管理、計測管理の本務は計測理論・計量管理理論と計測技術をもとにして計量の最大限の利用と活用である。この結果は品質を造り込む計量管理であり、コストダウンを実現する計量管理であり、儲かる計量管理であり、公害を出さない計量管理であり、ブランド力を創り出す計量管理であり、消費者・生活者に信頼されるお店づくりのための計量管理である。

 計量管理と計量士ならびに計量管理技術者の本来の任務と使命が計量法から離れた総合的な内容を持つ計量・計測管理であることは皮肉な一面である。

 品質管理への世の中の関心が高まり、品質管理に関する国際規格であるISO九〇〇〇シリーズの認証取得が企業の信頼性証明のセールスポイントになってテレビコマーシャルになる時代である。計量管理の国家資格である計量士による検査が無条件にISO九〇〇〇シリーズの計量管理要求に応えられる内容となる、証明性を持つことが出来るようにすることは計量士の間での念願である。計量士がISO九〇〇〇の要求する計量管理項目を満足させる条件を設定し、検査を実施するなら社会がその検査の正当性を認めるようになるであろうから念願成就は夢ではない。夢を実現する可能性を探ってみることは意味があるだろう。

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■社説・知的情報空間としての「計量計測情報」(98年2月1日号)

 インターネットのホームページを開設することは事業をするものであれば「事業登録」と同じ意味を持つようになってしまった。日本のインターネット利用者が昨年末現在で八百八十四万人になったからだ。利用者の増加率は十カ月で五割増え、九九年末には二千万人になる。

 計量計測機器の購入の意志決定者がインターネットを利用して基本情報を入手するのが一般的になってくるのは時期的にはもうすぐである。計量計測機器のメンテナンスについても使用者の情報の入手経路は同じであり、このような情報源がインターネットになる。企業の側からは使用者の情報源に自己の企業の情報をまんべんなく盛り込んでおくことをしておかなくてはならない。

 ユーザー(使用者)の情報源に自己の企業をインプットしておくことの最低限度の作業は各企業が作成している「会社概要」をそのままホームページにしてネットにつなげることである。新時代の「事業登録」はこれですむ。ここからどのように先に進むかは企業の力にかかわる。われわれがインターネットの利用、ホームページの開設を計量計測企業に強く働きかけるのは計量計測の社会的役割が大きいからである。とりわけ産業がISO九〇〇〇シリーズとISO一四〇〇〇に関連して計測標準のトレーサビリティを体面上からも必要としているときであるから、全ての計測標準の入手と維持の方法を明らかにしたいのである。

 計量計測機器の校正についても計量法上の手続きと、一般的な計測器の校正ならびに管理についてどんなユーザーにも簡単にわかる解説をともなう情報の提供をすることが必要であり、このことを立派に行うことが計量計測関係者の使命であると思う。

インターネット機能のうち電子メールとニュースグループ(いわゆる電子掲示板)にだけ関心を寄せてこれをもってインターネットであると考えている人も多いが、われわれが注目し活用しているのはウェブ(WWW=ワールド・ワイド・ウェブ、略称ウェブ)である。ウェブこそインターネットが生んだ情報メディアであり、これが巨大な知的情報空間として拡大を続けている。ここに計量計測の情報空間を主体的に築いて行こうというのがわれわれの構想であり、このような情報空間の足場となるべく本紙が開設し運営するホームページ「計量計測情報」の質・量の拡大に力を入れたい。

 この計量計測情報空間の発展的創出はわれわれの力によるものではなく、ホームページを開設することを手始めとして、全ての計量計測関係者の協力によってこそなしとげられるものである。

 巨大な計量計測情報の知的空間は時間の進行とともに自然発生的にでもいずれは出来上がるものであることは間違いないが、意識的に取り組むことによってこそ社会的任務を強く持つ計量計測の知的情報空間がより完成されたものになるであろう。

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■社説・インターネットによる計測情報サービス(98年1月25日号)

 通信を用いた情報サービスの有用性は高い。情報を売るというビジネスと離れた分野、つまり情報サービスが社会事業となっている分野での有用性は殊の外高い。例えば日銀の景気短観はかつては日銀の窓口に行かなくては入手できなかったが、現在ではこれを通信情報サービスで受け取ることができる。情報の入手速度と伝搬性を考えるとその効果は絶大である。

 通信情報サービスという言葉、概念に関連して計量計測のことを考えてみたい。計量計測は産業と学術・文化を成立させる基礎を構成する社会システムである。計量計測機器に関連した産業が成立することは確かであるが、この産業が振興することは日本の産業あるいは世界の産業が振興・発達していることの証左でもある。産業革命以前の各時代にどれほどの数量と内容の計量計測機器が流通したかで分かるであろう。

 計量計測の社会システムは社会の計量計測の正確さと安全を保証するためのものであり、このシステムの確立と維持、とりわけその内容、水準がその国の産業と学術・文化の水準を規定する。

 計量計測の社会システムを構成する組織としては国の統括部局、関連する技術部局、自治体の部局など公的機関のほか、計量計測機器等ハードウエアの供給機関、付随する技術等ソフトウエアの供給機関などからなる。人によってはこの組織・機構を計量界と称する。

 産業と学術・文化成立の基礎的要件をなす社会基盤(ソフトインフラストラクチャ)としての計量計測の社会システムは計量計測の正確さと安全をもたらさなくてはならない。この実現を確かなものにするにする要件の一つに計量計測の社会システムの内容を利用者、国民一般に開示する必要がある。「計量思想の普及・啓発」の必要がさまざまな方面で説かれている。計量思想は計量計測を産業と学術方面に活用すること、必要な正確さで計ること、ごまかさないことなどを内容にするものであり、これを実現するためには利用者、国民一般に計量計測の社会システムを開示することが大事な要件になる。

 通信による情報の伝達が著しく進歩した今日の社会においては、利用者に通信によるインフォメーションの方法を講じなくてはならない。通信による情報の伝達の方法はいろいろあるが、利便性等を総合的に考えるとインターネットを利用するのがベストであり、今後はインターネット上に世界の計量計測システムが描き出されることであろう。
 日本の計量計測の社会システムはインターネット上に「計量計測情報」として構築・開示されている。この「計量計測情報」のプラットホームに、このほど日本計量士会や東京科学機器協会のホームページがリンクされ充実の度合いを高めている。今後は計量計測に関係する全ての機関、団体、企業、個人が持つホームページがリンクされて巨大かつ強大な情報ネットワークが成立することになるであろう。

 「計量計測情報」のうち大事なものの一つに計量標準のトレーサビリティ情報がある。ISO九〇〇〇シリーズ、ISO一四〇〇〇シリーズに関連しての標準の確保と維持・管理の適正を期すためのトレーサビリティ情報である。本紙が運営する「計量計測情報」に対するアクセス割合から推測される。本紙のホームページへのアクセス数は月に三〇〇〇件ほどになっており、この割合からの推測であるから確度は高い。

 計量標準のトレーサビリティに対する産業と社会の関心と実際の需要は大きい。この体系整備は重要度を増している。利便性、利用性の高いトレーサビリティ体系を確立することは社会の強い要請である。トレーサビリティの社会機能からすれば体系確立の重要度と同等なものが利用者へのインフォメーションサービスである。あっても利用しにくい、あるいは知られない制度では宝の持ち腐れになるからである。

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■社説・地方分権時代と計量行政への確信(98年1月18日号)

 時代の転換点の先にあるものが定かでないとき、未来の予見につながる情報ほど貴重なもの、価値あるものはない。計量の世界では地方分権の推進が具体化してきたところであり、計量関係の自治体職員の関心事項は自治事務としての計量行政の実際である。

 現在の都道府県と特定市町村の計量事務は、地方分権推進委員会の勧告に従って再構築したらどのような姿を見せてくるかということへの関心は当然のことであるが、第四次勧告までの内容から将来あるべき自治体における計量行政の全体像を探ることは容易ではない。それよりも受け身で勧告を待つのでは計量行政は水準を下げ、後退するであろう。計量行政のあり方、将来ビジョンの策定については、地方分権推進委員会の勧告待ちという姿勢では望ましくない。

 なぜなら地方分権の推進そのものには大義があるにしても計量行政が他の自治体事務と同じ性質のものでない要素が大きいからである。国の枠組みの中で統一的に実施しなくてはならない行政事務を地方分権の推進のなかにどのように盛り込むかは重要なことである。国の側から、あるいは地方分権推進委員会から計量行政の細部に及んでの具体的な内容が示される前に計量行政に関係する全ての人々が知恵を結集して「あるべき姿」を造り上げることが望ましい。

 計量行政の基本的任務は何か。それは適正な計量の実施を確保するための諸施策を講じることであるから、計量の基準となる単位を定めることを始めとして、取引・証明の安全を確保することに通じる計量器の性能の担保など様々な制度を敷かなくてはならない。また計量制度は産業・経済・文化活動の基盤をなすものであり、今日の日本においては高度産業社会が円滑に動くための体制が築かれていなければならない。産業・経済・文化の基盤をなす計量制度は「インフラストラクチャ」そのものである。計量制度は社会基盤である。

 社会基盤としての計量制度は性格的には目に見えない「ソフト」であり、それは「ソフト・インフラストラクチャ」である。こうした計量制度の運営に関わる専任の自治体職員の総数は一千名に満たない。福祉事業の保育事業と対比した場合、職員十五名の保育園六十七個所と同じである。計量行政がこれだけの専任職員数で果たしている行政効果は絶大である。

 計量の信頼が失われたときに発生する商取引を中心とする社会混乱はどうであろうか。昨年静岡県伊東市で発生したガソリンメーターの不法改造が、この一件だけでなく十件、二十件と発生したならば全てのガソリンメーターに疑いの目が注がれ、ガソリン販売に大きな支障をきたしたことであろう。

 正確であることが当然のように行なわれていることは日本の計量行政の素晴らしさである。手を抜けばこのことは後退する。

 地方分権時代の計量行政の理念と実際を構築して行かなくてはならない今日こそ、計量の根源に遡った議論を重ねて、全ての関係者が計量行政に揺るぎない確信を持つことを期待する。

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■社説・政治の無機能と国際基準のあり方(98年1月11日号)

 日本の政治と経済はどのように動いてゆくのか。政治に関連しては、保守二党の間での政権交代を可能にするかに見えた新進党が昨年十二月三十一日解党、四分五裂して六党に分裂した。前後して新進党から抜けた羽田孜(はたつとむ)、細川護煕(ほそかわもりひろ)の元首相が率いる太陽党、フロムファイブのほか、小沢一郎元蔵相率いる自由党、鹿野道彦元総務庁長官率いる国民の声、公明グループの新党平和、黎明クラブ、小沢辰男氏率いる改革クラブ、中野寛成氏率いる新党友愛に分かれてしまった。日本の政党はこれに加えて連立政権政党である自民党、社民党、さきがけ、さらに野党の民主党、民改連、共産党という構成になる。世界の各国の政治、ことに先進諸国の政治が自国の経済の発展のためにできることの最大の可能性を模索しているなかでの日本の政治家と政治の実態は、実施しなくてはならない「この国のかたち」づくりに対して無機能の観を呈している。

 なぜこのような日本の政治家と政治の実態ができあがったのかといえば、主な原因は国政を担う政治家が、選挙区の利益だけを代表するような選ばれ方をしているからである。理念なき政治家が理念があるかのごときふるまいをして当選しても、その「理念」は空疎なものになってしまう。空疎な「理念」をもって選出された議員達がある「理念」のもとに結集して統一会派をつくってもその理念は空疎で偽りに満ちたものになる。これの打破には小選挙区制度の見直し、一票の重みの格差是正、政党助成金の撤廃等、真の民主選挙実現に向けた制度改革が必要である。

 その国の政府から「地方分権」の政策が打ち出されているが、これは悪化した財政の責任を地方に押しつけるための策略ではないかとも思えてくる。確かに日本の地方政治、自治体行政は三割自治の克服が念願であったが、それをやるなら財政にゆとりがあるときに実施に移すべきではなかったのか。小さな政府実現への要望を逆手にとっての福祉切り捨ての「財政再建」では政治の貧困というしかなく、国民は納得しないであろう。全ての政策が国の財政事情の都合というのではそれは政治ではない。

 日本の政治への圧力は国際化した経済活動の障害となる諸規制の国際標準(ワールドスタンダード)への統一である。国際社会でアメリカに次ぐ経済の規模にある日本が貿易障壁になる経済規則を持っていることは許されないことである。諸規則のワールドスタンダードへの統一は当然であるとしても、ワールドスタンダードそのものが確かなものであることを確かめる作業は慎重でなくてはならない。

 「ワールドスタンダード」が絶対化されている今日の落とし穴は、この言葉が一人歩きして、あるべきワールドスタンダードからずれてしまう恐れがあることである。政治の本来のチェック機能が働かないときに極めて政治的な決め事をすることには慎重でなくてはならないだろう。

 「この国のかたち」づくりに民意を確かに反映させるための工夫と努力にはし過ぎるということはない。国民に真実を明らかにせず、明らかにしても考える時間を与えず、民意を問わない政治と行政が行なわれてはならない。国民を信頼しての政治と行政こそが民主政治であり、高度に訓練された二十一世紀の政治と行政と国民のあり方であるといえるであろう。

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■社説・計量・計測技術の可能性を考える(98年1月1日号)

 「文明は計ることから始まった」と計量史研究者の岩田重雄氏が、計量史研究の講演で話している。現代の文明においても「計る」ことがキー・テクノロジーであることに変わりはなく、計量・計測に関わる者の立場からは「計る」ことのテクノロジーを科学・産業・文化を牽引するものとして如何に用いるかという気概こそが大事である。

 科学・産業・文化を牽引することになる「計る」技術(テクノロジー)は時代が要請する水準になければならず、牽引するだけのパワーをもっていなければならない。計量計測機器産業の技術水準と規模がそれに相当するものであり、現在の水準で事足りるものと思ってはならない。計量・計測技術は幾つかの技術要素と連結されて、社会の生産力を革新する主要なテクノロジーとなる。

 現代の産業社会の発展はコンピュータ技術とりわけパソコン技術の発達と連動している。パソコン技術の発達に記憶容量の拡大が絶対的な役割を持っていたが、チップの集積化には精密測定と制御の技術が大きく貢献した。ここでの論点はそれではなく、産業社会を発展・革新させる基本技術であるパソコン技術と計量・計測技術との融合こそが大事であり、この融合に様々なアプローチがなされるということである。計測そのものを目的とする機器にパソコン技術が取り入れられて久しく、これが旧来の機械式(メカニカル)の計測機器を電子式の計測器に置き換える需要として作用し、計測機器そのものを革新してきた。このようにして生み出された計測機器のほとんどはパソコンと連動する技術要件を獲得しているので、これをシステムとして組み上げると、ここには計測機器であったものが総体としてみると「価値情報センサー」「価値情報システム」として形成される。

 パソコンは基本ソフトウエアの「ウインドウズ95」の出現でパソコン・インフラが整備されたといってよく、計量・計測機器の産業への応用の可能性を大きく広げている。計量・計測機器には様々な使われ方があるが、生産される計量・計測機器の金額を見ると生産機械、産業機械、合理化機械に分類されるものが過半である。
 こうしてみると計量・計測機器産業の進むべき方向が明らかになってくると思うがどうであろうか。

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