日本計量新報の記事より 社説9909-9912


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■社説・産業と国民生活の兵站としての計量(99年12月19日号)

 計量という用語には二つの意味がある。一つ社会の基礎的テクノロジーとしての計量であり、これは他のテクノロジーに作用し発達を誘導する。もう一つは社会制度の基礎的要件となる計量制度である。

 計量の役割は軍隊における兵站に例えられる。兵站とは軍隊が軍事行動を全うさせるための後方支援に関する全てのことを意味し、兵器、弾薬、食糧その他の必要な物資の補給や輸送をするための総合的な内容をもつ。第二次世界大戦における日本の軍事行動には兵站思想が欠けていた。日露戦争の兵站作戦はドイツから学んだ兵站思想の模倣ではあったが、上手く機能して戦闘を勝利に導いた。十五年戦争初期の中国戦線の戦闘は兵站が機能していたが、参謀に兵站を執拗に説くものがいたことによる。兵站が機能した軍隊は進軍と占領地での駐留では略奪等はおきなかった。十五年戦争の全体を通じては日本軍の兵站思想は精神主義の台頭もあって大きく後退し、機能しなかった。日露戦争の開戦を前に軍は、桂太郎内閣の内務大臣で事実上の副総理の地位にあった児玉源太郎を大山巌元帥を参謀長とする参謀本部の参謀次長に据えた。児玉源太郎は兵站事務を取り仕切ることによって戦闘を勝利に導いたが、日露戦争では日本軍の略奪行為はほとんどなかった。

 第二次世界大戦における日本軍の中国戦線、フィリピン戦線など多くの戦線では兵站が機能しなかったことは、時すでに国を挙げての物量戦、生産力の戦いであったことへの理解がなかったことと無縁ではない。兵站が機能しない日本軍の戦闘はどこでも惨めなものであったし、日本軍が進軍すると必ず略奪がおこり、物資欠乏により死に追いやられた兵士もいた。レイテ島への進軍と作戦行動は兵站が機能しなかった事例であり、日本兵の悲惨な行動の様子が大岡昇平の記録に残されている。

 計量は兵站に例えると、計量を正しく機能させることが産業の発展と国民生活の向上に欠かせない後方支援であることの理解につながる。産業社会が旺盛に活動を展開するためには、あらゆる計量標準が質と量をともなって安価に円滑に供給されていなければならない。日本の計量標準のトレーサビリティは整備の途上にあり、国は国家的課題として国際社会に通用し誇れるものに仕上げて行く計画であるから、その実現に期待したい。また計量制度は地方分権制度に移行する新しい社会にあっても、国民の消費生活と福祉を直接間接に支えるものであり、とりわけ取引と証明に直結する計量が適正に実施されるための社会機能としての計量制度は確保されなくてはならず、その責任は地方公共団体に属する。直接的住民福祉実現のサービスにだけ目が行きがちであるが、軍事作戦における兵站の重要さを考えるとき計量制度が住民の福祉実現の後方支援の役目を持つものであることがわかる。
 

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■社説・新しい世界観にたった改正計量法の理解(99年12月12日号)

 江戸期七代将軍吉宗の時代に新技術・新製品の開発を禁止あるいは抑制した政策がとられたという記録をもとに関連事項を研究している計量史学者がいる。徳川三〇〇年は封建体制維持が目的の政権であり、人を土地に縛り付ける階級的身分制度は資本制社会における労働力商品の自由市場とも矛盾するものであり、封建制内部で増殖する貨幣経済の進展、生産力の増大は体制を打ち砕かなくては本来的発展の実現をみないものであり、この解決には明治期の到来を待たなくてはならなかった。鉄と金属に関する歴史研究者は、技術開発禁止令のことを聞いて、江戸期の日本は鉄の生産量が欧州の先進国と同等であったことの研究成果を伝えた。

 計量計測機器と計測技術を江戸期と明治期さらに現代と比較してみると、その絶対数量と技術水準の違いを認識することになる。計量計測機器と大きなくくり方をするのが現代であるが、その昔は度量衡であった。この度量衡は昭和二十六年に制定された計量法の時代まで続くのだからつい最近までのことであった。計量法時代も昭和四十一年の計量法大改正の時までは、サシ、マス、ハカリ等について全品検定主義を貫いていたから、一九九九年十二月の現代の目からすると時代的であり隔世の感を抱く。

 計量計測機器の全てを見渡した場合、計量法が規制の対象としている取引および証明分野に用いられる特定計量器の数量割合は多分一〇%に満たないであろう。計量法の検定検査制度と密接な関連がある質量計については、検定と直接関わらない産業用はかり分野が生産金額としてみた場合には五〇%程度である。ここから様々な引き算をしてみても、検定証印あるいは基準適合証印を付して市場に供給される質量計は一〇%を超えることはない。

 計量計測機器は与えられた条件の精密さで測定することが使命であり、その計測機器の精密さを維持することが管理の目的であり、ここに任意の管理と法的規制としての管理の二つがでてくる。法的規制による管理に民間の力を利用する計量法制度が平成十三年四月一日から施行される。ワールドワイドの新しい世界観に適合した新しい計量制度の理解の急務を説くものである。

 計量協会の組織は都道府県ごとにあり、また市に組織されている所もある。組織された訳は当初は専ら行政側の都合によるものである。

 (社)東京都計量協会を事例に引くと、日本度量衡会東京支部が改組して昭和二十三年七月十二日に設立された。主権在民の日本国憲法が公布された五月三日から二カ月の後のことである。設立発起人は業界の有力幹部の高橋勘次(薬業関係)、鴨下辰五郎(度器製造)、赤堀五作(衡器製造)、加藤勝衛(薬業関係)、加藤繁次郎(専業販売)の五氏で、設立当初の役員は会長が東京都経済局長の田中唯重氏、筆頭副会長が東京都経済局総務課長の福富恒樹氏、理事長が東京都経済局権度係長の岩崎栄氏、他の副会長二名は民間人で仁丹体温計の中村竹次氏、東京都医薬品計量器卸商組合の高橋勘次氏。事務局は東京都権度係の事務室の中に置かれた。設立初期は官主民従であったものの、公務員が関係団体の重要役員に就任することは昭和三十一年頃にはなくなった。

 昭和二十六年六月一日に公布された計量法は戦後の憲法体制に適合するよう度量衡ほから変換されたものであるが、計量器製造、修理、販売の各過程の規制制度は踏襲した。こうした関係から計量協会は役所が民間を統御するための組織という性格を持ち、事業規制を受ける関係企業のほとんどが会員になっていた。

 その後計量法は改正のたびに計量器と計量事業に対する規制の簡素化を決め、規制の簡素化はそのまま計量協会会員の減少に連動している。

 このような事情を知ると計量協会の従来通りの運営と存続には困難があることが理解できる。

 計量協会は質量計の定期検査の代行を地方計量行政機関から委託される事例が増えており、また指定定期検査機関として行政機能を代行している所が六県ある。協会の事務員と事務組織は検査事業との結びつきを強めるであろうが、会員数の減少を止める方策は依然として見付かっていない。また計量器の定期検査受検が計量器使用者に義務づけられているものの、受検費用の負担を全て使用者の負担とするような料金設定に移行することがあるとすれば、計量の安全の確保の観点から熟慮すべきである。
 

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■社説・日本の計量制度の素描を計量の任務(99年12月5日号)

 日本の計量制度に変革をもたらす計量法改正が行われる。地方分権制度と、基準認証関係の「緩和策」を主な改正内容とする新法律であり、近く政省令等の肉付けをして施行される。基準認証関係の見直し作業はこの先引き続いてなされ、計量法関連の規制は全体として緩められる。

 その国の計量制度が何を目的にし、どのような制度内容となるかは、その国の国づくりと深く関わるものであるから、計量制度はその国の文化をつくるものであるともいえる。

 日本の計量制度は欧米等世界の計量制度を視野に入れて、規制内容の同一化を図る考えのもとで、形づくろうとしている。従って、「日本的」規制は廃除の方向で、見直しが続けられる。

 世界の計量制度が同一であることは理想であり、この理想実現のための努力が計量に関係する国際機構によって重ねられている。日本と世界の計量制度が同一であれば、交易、学術、文化の交流の面でも便利であり、それは世界の言語が一つになることの利便性を想像させる。

 国際度量衡委員であった田中館愛橘博士は、ローマ字論者であり、推奨者としてよく知られるが、計量制度の世界的統一も哲学的に前者と同じものであるのだろう。田中館愛橘博士の理想主義があってこそ世界の計量制度は統一の方向で動き出すのであるが、それはまた一朝一夕にしてなるものではなかった。

 国際的な計量制度のうち、重要なものの一つにOIML(国際法定機関)があり、日本の計量制度における規制内容は、OIML準拠の姿勢で通されている。
 わが国の計量制度づくりの以上のような素描から将来の方向性はある程度はつかめることになるが、確たる未来像とまではいかないことに大きなうらみが残る。それでも計量制度がなさなくてはならないことのいくつかは明らかである。

 一つは社会と産業の基礎的要件の一つとして、計量標準を供給すること、あるいは計量のトレーサビリティを確保するための制度(システム)を築いておくことである。また社会に刑法、民法等法律が必要なのと同じ理由によって、計量に関する取引と証明分野において適正な計量の実施を確保するための規則を定め、その規則を確実に守らせることである。

 規制(ルール)を守らせることは計量行政機関の任務の一つであり、ルールを守るためのモラルを育成することは計量計測関係者共通の任務といえる。

 計量に関するルールを守るための心を育むことの任務は重要であり、この仕事は計量協会等の計量ボランティア団体と会員がなすべきことでもある。

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■社説・文明における計量の役割と地方行政(99年11月28日号)

 日本計量史学会会長の岩田重雄博士は十一月十八日、東京都計量検定所が主催する「計量の歴史講演会」で、西アジア地域に紀元前五〇〇〇年から二五〇〇年ほどの時代に栄えた西アジア最古の文明の存在を発見した計量史学の研究成果を発表した。この文明は東はパキスタンから西はアラビア半島まで、北はトルクメンから南はアラビア海までの地域に及ぶもので、岩田重雄博士の古代文明における質量標準体系研究の成果をもとに、古代オリエント博物館研究部長の堀晄氏がイラン、アフガニスタンを中心とする西アジア一帯で発見された分銅の質量との関係から「先インダス文明」と名付けて、その存在を証明している。

「先インダス文明」の中の最古の遺跡はトルクメンのダシリィ・テペとアナウでその年代は紀元前五〇〇〇年から三五〇〇年である。遺跡の発掘は費用の工面がつかないため試掘段階にあり、歴史教科書への記載はまだない。

 「先インダス文明」は、インダス川流域に南下する間に、チグリス川・ユース川流域にシュメール人のメソポタミア文明(三二〇〇B.C.〜)と、ナイル川流域にエジプト人のエジプト文明(三一〇〇B.C.〜)が起こっており、質量標準としての分銅の体系から「先インダス文明」が影響していることが判明している。

 大河はその流域に肥沃な大地を形づくることから文明の発生要素であるが、岩田重雄博士はこれに加えて計量制度(度量衡制度)の発明と成立をあげている。計量制度がなければ文明は発生しないという。すべての古代文明には計量制度が敷かれており、このことによって人類のあらゆる知識と技術が体系づけられ、文明の発展の要素となっている。

 日本における計量制度は地方分権制度への移行に伴い、国と地方公共団体の間での責任の分掌ということで新たな対応が求められている。住民福祉の向上と地域産業の振興・発展のための基本となるものの一つが、「文明の前提は確かな計量制度の確立」という人類の歴史が証明している普遍の真理を踏まえるなら、地方における計量制度と計量行政の確立という答えが導き出される。確かな計量制度と計量行政が敷かれてこそ地域の文化と産業は発展する。

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■社説・ISOの品質保証と品質工学の対比(99年11月21日号)

 計量することの前提は基準が定められていることである。はかることは基準と比較することである。基準の大もとは国際標準器であり、日本の国家標準器は国際標準器と確かな計測値でつながっている。はかることの中には精密さの度合いが含まれており、必要な正確さの度合いを定めて、目的に従った計測をすることこそが、はかることの神髄である。

 人類はより精密にはかることを追求する技術を発展させ、文明を起こし、文化を育んできた。より精密にはかることの技術は、他方でははかることを産業や生活などの場面でより広く実施することを可能にした。航空機、自動車などは見えない部分で数多くの計測が行われており、自動車などはエンジン性能の向上、ブレーキに用いられたセンサーと計測の働きは見事である。

 品質保証システムのISO九〇〇〇シリーズの認証取得が、日本の企業にとって技術と品質の証のシンボルのようになっており、製造業と流通業を問わずどのような事業所においても計測が何らかの形で関わっているため、計測のトレーサビリティの再構築のための動きが顕著である。

 計測のトレーサビリティとは、その事業所が必要とする計測の精密さに応じた体系のことであり、必要な精密さを超えた社内標準器を設置し、計測器を配置することではない。大事なことはその場面の性質に応じた合目的的な計測が実施されることである。現在のISO九〇〇〇シリーズの認証取得に関わって、計測のトレーサビリティ体系構築のための、計測器に対する需要が盛り上がっていることそれ自体は、計測を盛んにしてよりよい製品やサービスを提供することにつながるから良いことであるのは間違いないが、計測の場面の必要を超えた設備配置があるとすれば改めなければならない。

 必要を超えた場違いな高額な計測のための設備を配置するよりも、どのようにしてうまくはかるかに心を配ることこそ大事である。品質工学の田口玄一博士は「いかにはからないではかったと同じ効果を得るかだ」と品質工学の神髄を語っている。ISOの品質保証にからむ日本の事業所の行動様式と田口博士の言葉を対比してみた。 

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■社説・21世紀の国の形を先取りした計量法(99年11月14日号)

 計量記念日行事が十一月一日の記念日当日を中心に国と地方および事業所内など様々な組織・集団の単位ごとに、いろいろな形態で実施されている。
 国の計量記念日式典では深谷隆司通産大臣が式辞のなかで、計量制度が重要な社会の基盤的制度として心して維持し、育成しなければならないものであることと、この制度を利用しながら計測技術を一層前進させること、また広く多様に活用することこそ産業と文化の発展につながるものである旨を述べて、通産大臣表彰ならびに感謝状を授与する人々へのはなむけの言葉とした。式辞は同時に計量・計測関係者へ向けられており、激励でもある。

 国の計量制度の骨格をなす計量法がこの夏二回の改正をするという手続きを踏んで、新世紀の経済・社会への対応態勢を整えた。想定されている二十一世紀初頭の経済・社会体制は、第一が地方分権制度下の計量行政であり、地域の実情に合わせた地方の自主性を高めた計量行政の実施である。第二が旧来の行政分野に民間能力を広く活用する社会体制であり、計量制度の重要な部分である検定・検査の実施機関に株式会社等の営利法人の参入を認め、効率化促進の可能性を広げている。第三が経済活動のグローバル化の一層の進展であり、国際整合のとれた計量制度として計量法を位置づけていることである。

 産業を興し、科学と文化を興す需要な精神活動が計量思想と計量精神や計量意識であることを理解している途上国の指導者は、二十一世紀に対応する国造りの手始めに計量制度の再構築をはかっており、日本など計量先進国に技術移転等の援助を求めている。

 日本も明治の中期にメートル条約に加盟し、国際度量衡委員に選ばれた田中舘愛橘博士、長岡半太郎博士など科学立国を理想とする博識の理想主義者が日本の計量制度造り、国造りに大きな役割を果たしてきた。

 計量行政の大部分を占めていた国からの機関委任事務が、地方の自立的な責任の自治事務に変わる新しい計量制度にあって、主体者になった地方公共団体が計量行政を広く大きな観点から位置付けすることの必要を説きたい。

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■社説・地方分権と新しい計量行政の構築(99年11月7日号)

 日本国の行政の在り方は、地方分権一括法の成立によって大きく転換している。計量法は一九九九年夏に連続して二回の法律改正が行われた。地方分権一括法に連動した分権化計量法と、自己認証思想を背景とする民活型基準認証制度に内容を変えた計量法関連の基準認証制度としての民活型基準認証計量法の法律改正であるが、短い期間にほとんど同時に実施された改正であるから改正された計量法は「九九年改正計量法」ともいえる。

 計量法を骨格とする計量行政は「九九年改正計量法」によって大きく転換する。その多くが機関委任事務であった計量行政の事務が自治事務となったことから、地方公共団体の主体性が要求される。

 したがって、すべての地方公共団体は、計量行政が住民生活の向上と産業振興ならびに文化発展のために必要な社会基盤であることを確認し、制度を運営するための自治体憲法の一つとして「計量憲章」のようなものを築くことが必要になる。それを条例の中に不文律として盛り込むのか、別のところでうたうのか、形式は問わないにしても計量法の地方公共団体版の制定が求められる。地方公共団体に計量憲章のようなものを築き上げるその主導的な力は計量行政職員である。計量制度が持つ意義と役割を誰よりもよく知っている者が地方公共団体職員であり、現在そのために働いている者だからでもある。

 地方公共団体は法人税収入の大幅減少に起因する歳入不足の辻褄あわせのため、不定見な行政放棄に動こうとしているので、計量行政がこのような動きに巻き込まれないよう関係者が知恵と力を集めなくてはならない。分権化された新時代の計量行政の実際を計量法理念のもと理論化した教本を作れないものであろうか。検査業務の実務に追われる職員が多い自治体では、分権化時代の計量行政を築く重要な時期に十分な対応ができずに禍根を残すことのないことを望みたい。

 計量行政が国民生活から環境分野にまで係わり、また国民生活の基になる産業と文化に基盤的役割をもつものであるから、このような基礎を抜きにしては自治体の使命である住民福祉の向上などあり得ない。知恵ある自治体の長がなすべきことは、国の興りに際して計量制度を整備した歴史的事実に学ぶことである。

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■社説・地方計量協会と定期検査代行事業(99年10月31日号)

 計量協会の組織は都道府県ごとにあり、また市に組織されている所もある。組織された訳は当初は専ら行政側の都合によるものである。

 (社)東京都計量協会を事例に引くと、日本度量衡協会東京支部が改組して昭和二十三年七月十二日に設立された。主権在民の日本国憲法が公布された五月三日から二カ月の後のことである。設立発起人は業界の有力幹部の高橋勘次(薬業関係)、鴨下辰五郎(度器製造)、赤堀五作(衡器製造)、加藤勝衛(薬業関係)、加藤繁次郎(専業販売)の五氏で、設立当初の役員は会長が東京都経済局長の田中唯重氏、筆頭副会長が東京都経済局総務課長の福富恒樹氏、理事長が東京都経済局権度係長の岩崎栄氏、他の副会長二名は民間人で仁丹体温計の中村竹次氏、東京都医薬品計量器卸商組合の高橋勘次氏。事務局は東京都権度係の事務室の中に置かれた。設立初期は官主民従であったものの、公務員が関係団体の重要役員に就任することは昭和三十一年頃にはなくなった。

 昭和二十六年六月一日に公布された計量法は戦後の憲法体制に適合するよう度量衡法から変換されたものであるが、計量器製造、修理、販売の各過程の規制制度は踏襲した。こうした関係から計量協会は役所が民間を統御するための組織という性格を持ち、事業規制を受ける関係企業のほとんどが会員になっていた。

 その後計量法は改正のたびに計量器と計量事業に対する規制の簡素化を決め、規制の簡素化はそのまま計量協会会員の減少に連動している。

 このような事情を知ると計量協会の従来通りの運営と存続には困難があることが理解できる。

 計量協会は質量計の定期検査を地方計量行政機関から委託される事例が増えており、また指定定期検査機関として行政機能を代行している所が六県ある。協会の事務員と事務組織は検査事業との結びつきを強めるであろうが、会員数の減少を止める方策は依然として見つかっていない。また計量器の定期検査受検が計量器使用者に義務づけられているものの、受検費用の負担を全て使用者の負担とするような料金設定に移行することがあるとすれば、計量の安全の確保の観点から熟慮すべきである。 

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■社説・ISO品質保証制度戦略の成功に学ぶ(99年10月24日号)

 佐川急便が十月十九日の日本経済新聞に全面広告を出したときのコピーは次のようなものである。「ISOの取得は、つまり、『荷物への責任は必ず果たすぞ』という意味なんです」「佐川急便では昨年の取得(本社・全支社、三十営業所)に加え、今年、百九十二の営業所でISO9001を取得しました」

 同社はコピーのなかで「輸送商品の管理や取扱い、サービスなどの品質をISO(国際標準化機構)が保証するもの」と述べているが、これはいい過ぎであり、認証を受けた企業等が品質保証システムの手順に従った作業をしていることを宣言しているに過ぎないものであり、品質は必ずしも保証されているものではない。

 ことの当否は別にしてISO9000シリーズの認証取得が商品性を持つことを意識しての新聞広告であり、その意味ではISOの品質保証システムの戦略的試みは見事である。

 ISO9000シリーズの品質保証システムを実施に移すとき、計量計測は計測技術と計量標準のトレーサビリティ等は基盤的要素になっていることを強く意識させるはずであるが、このISO戦略は成功している。翻ってその計量計測技術を対比して見ると計量管理技術とその手法の生産と流通等産業への利用と活用は広く普及しているものの、人々の意識に訴えかける力はISOの品質保証システムには及ばない。

 計量管理理論が人々に訴えかける力を後退させているその一方で、品質工学理論は産業関係の現場技術者から生産技術を革新する助けとなる理論として期待が寄せられ、その理論と手法を学ぼうとする機運が大きく広がっている。品質工学は英語で表現すればQuality engineeringであるが、現代の品質工学理論が田口玄一工学博士の理論を元にして発展していることから米国ではTAGUCHI METHODSと呼ばれている。田口メソッドは「出来るだけお金をかけずに、効率よく成果を上げる」ことを技術力としており、この考えのもとに技法と理論を組み立てている。

 ISOの品質保証システムのブームがおさまったときに残るのは確かな計測技術であり、計量管理理論であり、品質工学理論であることは間違いない。

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■社説・改正計量法と指定定期検査機関(99年10月17日号)

 計量法の改正はこの夏地方分権関連の一括法と基準・認証一括法の二つがあり、基準認証関係は平成十一年八月六日に法律第百二十一号として成立、計量法の基準認証関連の一部が変わった。施行は二〇〇一年四月一日だから、一年半ほど先になる。

 基準認証関連の改正はトレーサビリティ制度も含めて幾つかの分野で緩和的措置がとられているが、この項では指定定期検査機関に限定して改正内容を確かめる。

 改正計量法では指定定期検査機関になれる者を特別に限定していない。従って、個人であっても任意団体であっても社団法人等の公益団体であっても株式会社、有限会社等の営利法人であっても「通産省の定め」等の規定を満たせば指定定期検査機関の指定を受けるための申請を当該行政機関に出すことができる。

 指定定期検査機関制度は、平成四年五月一日公布、同年十一月一日施行の新計量法で制度化された。この法律では、指定定期検査機関の指定の基準を第二十八条三項で「民法(明治二十九年法律第八十九号)第三十四条の規定により設立された法人」と規定していた。民法三十四条が規定する法人とは公益法人であり、実際には社団法人のことである。平成十一年八月六日に公布された改正計量法では指定定期検査機関の指定の要件から「民法三十四条の規定により設立された法人」であることを削除している。

 指定定期検査法人になれる者を法人格等で特別に制約せず「経理的基礎」と「知識経験を有する者」として規定しており、当然、検査設備を整えていることが加わる。

 今回の改正は、国際的に開かれた経済社会の実現のため、自己責任原則と市場メカニズムに立脚した経済社会の構築を狙いとして、官民の役割分担の適正化および民間能力の積極的活用を見直しの視点にしている。指定定期検査機関制度についても「自己確認、第三者認証への移行等による政府の直接的な関与の必要最小限化」が基本的方向性として作用している。

 改正計量法では指定の更新の定めを新設した。指定の更新の定めはこれまではなかったものである。

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■社説・災害予知・予防のための計測のすすめ(99年10月3日号)

 日本の国土に人が住むとなると条件の良いところにだけ家屋を建てることはできない。海辺に、崖下に、崖の上に、川べりに、風の通り道の丘の上にと悪条件下にある住居は少なくない。悪条件下にあって自然災害から逃れることは難しい。

 高い山に登らなければ人間は雪崩などによって死亡事故を起こすことがないが、高所登山は常に危険と背中合わせであり、植村直巳さんは北米最高峰のマッキンリーに消え、山田昇さんもマッキンリーで強風が原因で命を落とした。事故をなくす手だてとして日本山岳会科学研究委員会の大蔵善福さんはマッキンリー(六、一九四b)に設置し気象観測をつづけてきた機材をアラスカ州立大学の国際北極圏センターに寄贈した。測ることによって自然の状態や動きを観測し解明することをつづけてきていたものの、十年間という国立公園内の設置許可期限が迫り、撤去を余儀なくされたことから、観測機材を寄贈することにより観測が継続されることになった。十年近くの観測の結果、冬のマッキンリーは気圧が低下してヒマラヤの七、〇〇〇b峰に匹敵する環境であることがわかり、八四・五bの最大瞬間風速の記録が取られている。

 九月二十四日早朝、熊本県北部に上陸した台風十八号によって発生した高波は、熊本県不知火町の松合地区で満潮時の水面からの高さが二b(干潮時は五b)の堤防を越えて十二名の死者を出した。接近した台風十八号により付近の気圧が下がった結果、大潮の満潮に重なったこともあり、海面が大きく持ち上げられて高波が発生し、堤防を越えて民家を襲ったのである。気圧から計算される高波は五十aから六十a程度であるものの、不知火町松合地区が湾奥部にあること、台風の進路の関係で風が沖合から海岸に向かって吹いたことによる吹き寄せ効果が重なったため、堤防を越える高波が発生した。

 台風十八号の北上に備えて青森県のリンゴ農家は熟した実の採り入れを急ぎ、秋田県の米農家は収穫を急ぐなど対策を講じたが、勢力が弱まったこと等から被害は少なかった。この行動の動機付けには一九九一年の台風十九号による被害経験がある。

 北海道倶知安町の羊蹄山(一、八九八b)では二十五日、台風十八号の余波が残るなか京阪交通社(大阪市)が十六名ツアー客を引率して登山を強行、二名の遭難死者を出した。

 過ぐる八月には神奈川県の丹沢山系で川の増水による二件の水難死亡事故があった。
 人間の自然の猛威への警戒感は希薄になる傾向にあり、先に挙げた日本での事故は全てそのことが原因である。

 自然現象を知ることが事故防止につながるので、自然災害防止は自然現象の解明から始まる。自然現象の観測は計測と同じであり、計測を通じてこそ自然現象は解明される。冒頭とりあげた日本山岳会科学研究委員会の大蔵善福さんによるマッキンリーの気象現象の機器による観測は、山仲間だった山田昇さんの死亡事故後に開始され、マッキンリーの気象現象の解明に寄与している。

 農産物や建物等の被害は共済制度等の保険制度によって補償できるとはいえ、被害はない方が掛け金も少なくて済む。人身事故も保険制度によりお金でカバーできる面は補えても、肝心の生命は戻らない。

 以上のことからの結論は、被害をなくす手だてこそ最善であり、そのためには災害に強い街づくりとあわせて、自然災害の予知のための観測と計測が強化されなければならないということである。災害予防のための観測網の整備に要する費用は、壊れたものを補償する保険の掛け金の総額と復旧のための費用として投じられる国費を考えると比較にならないほど小さいものであり、社会コストの面からも考えても、広い意味での保険費用の面から考えても投資効果は大きい。

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■社説・情報化社会では「情報がない」のだ(99年9月26日号)

 「情報がない」という言葉をよく耳にする。その多くは計量関係の行政情報が計量士や計量関係事業者に以前ほどよくは伝わらないという意味のことである。確かに行政機関は福祉サービスの制度を整えていても、利用者が利用のために働きかけないと分からないことが多く、せっかく制度があっても不親切であるという印象は拭えない。計量行政機関にも似たような印象をもたれているので、計量行政サービスのPRにもっと力を入れてもらいたい。

 ところで「情報がない」という場合の多くは、情報がないのではなく「情報に接する方法を持たない」ということのように思われる。現代社会では「情報」という用語を曖昧な概念のまま使うため、かえってコミュニケーションがとれなくなる嫌いがある。

 国語辞書による「情報」の説明は次のとおりである。{岩波の国語辞典}@ある物事の事情についての知らせ、Aそれを通して何らかの知識が得られるようなもの。informationの訳語。「データ」が表現の形の面を言うのに対し、内容面を言うことが多い。

{旺文社の国語辞典}@事柄の内容・事情の報告。事件などのようすの知らせ、Aある意味をもった文字・記号などで、それを受けた人間や電子計算機などの機械の動きに何らかの変化を与えるもの。

{三省堂の実用新国語辞典}@物事の内容・事情についての知らせ、A言語・文字・数値・信号などにより表現され伝達される事柄、B英語はinformation。

 情報と類似の概念に知識および思考がある。「情報」とは五感を通じて人間の脳を刺激するもののことであり、広くは機械等の動きに変化を与える信号も含む。「知識」とは様々な形で蓄えられて情報を分類整理して体系立てたものである。「思考」とは知識を様々に組み合わせてさまざまな概念等を作り上げることである。

 情報と知識は近い関係にあり、かなりの部分で混同して用いられ、画然と区別することには意味がない場合が多い。知識も情報になり、情報も知識になる。知識は一般に体系づけられており、知識を構成する要素は整った秩序を形成している。情報は必ずしも体系づけられてはおらず、一般に情報は分子的であり、知識は総合的である。

 「情報」の概念は軍事の中で形成されており、ドイツの軍事学者クラウゼヴィッツの『戦争論』の中に現れる。その一つの章に「戦争と情報」があり、ドイツ語の「ハナリヒト」を森鴎外は一九〇三年に「情報」と訳している。ここでは「情報とは敵と敵国とに関するわが知識の全体をいう」となっている。諜報行為と情報取得は区別され、諜報は極秘の性格をもち、斥候は軍隊の公式行為であることが認識されている。日本陸軍はフランスの軍事書の用語「ランセーニュマン」を「情報」と訳している。英語の「インテリジェンス」を一九〇二年に軍事辞典は「情報」と訳している。

 情報に関係した各国語は、英語のインフォメーション、インテリジェンス、ドイツ語のハナリヒト、フランス語のランセーニュマン、アンフォマルマシオンがあり、情報、知識、報知、諜報などとして訳され、現在の状態に概念定義されるまでには時間を要している。中国語には「情報」という用語はなかったが、現代中国では情報を日本と同じ意味として使用している。

 現代社会を「情報化社会」と規定したのがアルビン・トフラーである。「情報化社会」を国語辞書から引くと「情報の生成・伝達・処理など、商品としての情報を中心に構成された社会」(旺文社の国語辞典から)となるが、米国の未来学者、アルビン・トフラーは情報化による社会システムの変容を文明論の視点から論じており、一九八〇年に発表した『第三の波』で「情報革命が人間の社会生活のありようを根本から変革する」と述べている。アルビン・トフラーは農業革命を第一の波、産業革命を第二の波とし、第三の波として情報革命を挙げている。情報が経済・社会システムのなかで大きな価値をもつようになると予言している。

 「情報がない」というのは弱者に共通した傾向であり、マスメディアが発達するほどに強者と弱者の間の「情報ギャップ」が拡大する傾向を生むことを、ティチェナー、ドノヒュー、オリエンの三人が一九七〇年に「知識ギャップ仮説」として発表している。情報能力の格差はある程度は仕方がないにしても、計量行政にからんで行政側が提供すべき連絡事項の周知には遺漏のないような配慮は必要であり、数年前の計量法の改正のおりに地方在住の小規模計量器事業者の間に関係事項の周知が不徹底だったことを考えれば、地方分権時代になった今日、地方公共団体がなすべき行政の仕事の一端が見えてくる。

 情報化社会という現代においては一般的な技術力とともに顧客ニーズにフレキシブルに対応するコミュニケーション能力が大事であり、ヒット商品を生む企業がいつも同じであるということは情報戦略からきているものと思える。

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■社説・計量単位SI切り換えと今後の対応(99年9月19日号)

 計量法は計量の基準を定めることと、適正な計量の実施を確保することを使命にしている。計量の基準を定めることは適正な計量の実施の確保の前提になる。計量の基準となるものは計量単位のことである。
 計量単位は国際度量衡総会の決定に従い国際単位系(SI)を用いることとなっており、計量法はこれを法定計量単位として定め、取引または証明のための計量に用いることを強制している。

 現行の計量法は一九九二年(平成四年)五月一日に公布、一九九三年(平成五年)十一月一日に施行されたが、旧法の全部を変えた法律になったその要点の一つが計量単位のSI(国際単位系)化促進である。つまり取引・証明に使用できる計量単位から非SI単位を排除することを決めており、非SI単位使用の猶予期限を三段階に分けていたが、その最終の猶予期限がこの九月三十日である。移行の難易度に応じて実施時期が定められていたものの最終年の最終月が今月であり、改めて切り換え完了の確認を関係者に求めたい。

 今月末で使用の猶予期限が切れる計量単位は重量キログラム等に関係した単位で今後はニュートン、パスカル、ジュール、ワットなどを用いなければならない。圧力分野のトル、血圧測定分野の水銀柱ミリメートル、栄養分野のカロリーは例外として使用が認められる。

 猶予期限後の非法定計量単位である非SI単位は取引・証明に使用できない。ただし非SI単位による製造設備ならびに計量器の使用に関しては猶予期限後でも計測値をSI単位に換算するのであれば使用ができる。

 非SI単位の目盛りの付いた計量器の修理に関しては、猶予期限以前に製造したものであれば必ずしもSI単位の目盛りの付いた計量器に替える必要はないが、修理証明書はSI単位に基づく数値に換算していなければならない。なおSI化の完全実施という精神に立つ場合には、修理の際にSI単位の目盛りに替えることが望ましい。

 また法定計量単位から削除された非SI単位が付された計量器は、猶予期限以前に製造されたもの以外は販売できない。つまり猶予期限以前に、削除対象計量単位が付されたままで製造された計量器は、猶予期限後でも販売はできる。

 猶予期限後のもう一つの取扱いの例外として次の事項が挙げられる。
 猶予期限以前に削除対象計量単位が付された文書情報、商品その他の物件は、変更がない場合に限って猶予期限後も取引・証明に使用できる。

 SI使用に関連して多くの困惑が伴うのがカタログに記載する計量単位の表記である。カタログそのものは取引・証明の概念から外れるものであるから、計量単位に法定計量単位であるSIの表記は強制されない。しかし工業界ではJIS等にSIを採用していることから大概はカタログにもSI単位で表記されている。単位が非SIからSIに移行する場合には商品の購入者の混乱を少なくするために法定計量単位に従来単位を参考として併記することは許容される。
 参考事例は次のとおりである。

例 暖房能力3.5kW{3000kcal/h}
 {}内の数値及び単位は、参考として示したものです。 計量法の非SI単位の使用を禁止する猶予期限は一週間ほどを残すのみとなったが、SI採用についての努力は今後とも怠ることはできない。またSI採用の優等国である日本が今後とも世界に誇れる計量先進国、計量模範国であることを願う。
 (参考のため本紙面別項(下段)に計量単位関係の計量法本法の条文を記載する。)

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■社説・分権化・基準緩和計量法の公布と今後の対応(99年9月12日号)

 地方分権の推進と基準認証の規定を緩和した二つの法律案が七月と八月にそれぞれ国会を通過したため、計量法が自動的に改正される。

 今回の計量法の改正は地方分権の推進ならびに基準認証の規定を緩和するという政府の方針を具体化する作業の副産物のような形で実施されたものではあるが、計量法の改正には違いなく、地方分権推進を基本とした計量法は平成十二年四月一日の施行であるから、地方公共団体は条例の整備等を含む計量行政運営の整備に追われることになる。

 国会を通過してすでに公布されている計量法は、従来のように計量法単独で国会審議に付されたものではなく、国の行政の在り方の大枠を決める部分の改正に付随・連動して改正されるものである。国の新しい行政の形としての地方分権と、基準認証等法規制に係る分野の大幅な緩和策という二つの新しい枠組みに調和するために改正されたのが公布された計量法である。

 地方分権法の成立により、計量行政分野の機関委任事務は廃止され、国と地方は対等な関係の規定となっている。

 公布された改正計量法の地方分権関連の中身を整理すると、@国と地方との関係が変わり、国と地方は対等・協力の関係になる、A機関委任事務の廃止により、従来の機関委任事務が自治事務および法定受託事務に移行する、B検定・検査等の計量関係手数料は国が一括して定める形式を廃止して、各地方公共団体が独自に設定する、C検定検査等に従事する計量関係公務員の計量教習所の教習受講を義務付けていた教習の必置規制を廃止、地方公共団体が独自に教習することができる、という内容である。

 また通産省関係の基準認証改正一括法案の改正による改正計量法の、基準認証制度の整備および合理化の中に規定の緩和を含むその中身を整理すると、@定期検査機関ならびに指定検定機関等の指定の要件が民法三十四条の公益法人に限られていたものが、条件が大きく緩和され株式会社等の民間機関でも諸要件を充足すれば指定を受けることができるようになる、A計量標準供給制度の基準が緩和され、そのなかで特定二次標準器の保有義務が除かれ、校正事業範囲が拡大される。という内容である。

 両法案の成立で現行の計量法は、骨格はそのままではあるが書き換えられることになる。改正された計量法の施行の時期は二段階に分かれる。国の権限を大幅に地方公共団体に移管した地方分権化計量法は平成十二年(二〇〇〇年)四月一日の施行である。検定・検査等の計量関係の法的業務が株式会社等民間企業でも実施できる基準認証関係の大幅緩和を内容に盛り込んだ条文は分権化計量法施行一年後の平成十三年(二〇〇一年)四月一日の施行となる。

 計量法の本法は現行法が二〇〇〇年三月三十一日まではそのまま施行され、二〇〇〇年四月一日から二〇〇一年三月三十一日までは地方分権化された部分が施行となり、二〇〇一年四月一日からは大幅に緩和された基準認証を内容に含んだ部分も施行となる。現時点から考えるとこの二年の間に三つに姿態変換する。

 したがって三段階姿態変換であり、繰り返すと第一段階が現行計量法の施行時期で、二〇〇〇年三月三十一日まで、第二段階が地方分権化計量法の施行で二〇〇〇年四月一日、第三段階が大幅に緩和された基準認証を内容に含んだ計量法の施行で、二〇〇一年四月一日となる。

 計量法は法律の本法の規定だけでは運用できる内容になっていないため政令、省令、施行規則などを含めた計量法令を形づくって機能させている。
 地方分権と基準認証に関する規定を緩和した内容を盛り込んだ計量法であっても計量法のその本来の目的と骨格に変化はない。計量法は商取引分野を中心にした計量の適正な実施の確保を目的としており、このため計量の基準を定めているほか、幾つかの創造的制度を内容に盛り込んでいる。

 通産省は国の規制緩和方針を受けて政令、省令等の改正で処理できる検定・検査等の基準の見直し作業も進めている。計量法という法律の二段階改正に伴う政令、省令、その他関係規則の見直しと改正が順次行われる。

 計量法と関係規定を含む計量法令が変わることに連動して、計量関係事業者ならびに計量器使用の一般事業場も制度内容に適合した対応をしなければならない。

 なお今回公布された改正計量法とは別に、現行計量法が移行期限を定めて使用を禁止している一部の例外を除く非SI単位(非国際単位系の単位)の使用期限は一九九九年九月三十一日である。多くの一般の事業場は取引関連計量器の表示と計量単位の記載から非SI単位を除いているはずであり、そうでない場合には計量法に違反することになる。

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■社説・計測情報の活かし方とインターネット(99年9月5日号)

 コンピュータは計量・計測結果を多様に利用する道具として機能し、様々な新しい価値を産み、この三十年の間、関係産業の発展の方向性を規定してきた。今後はコンピュータのさらに巧みな活用ということで方向性が規定されていくといってよいであろう。

 コンピュータに関連しては今最も急激に動いているのがインターネットである。インターネットは世界中にあるコンピュータ・ネットワークを結ぶネットワークであり、それぞれのコンピュータには個別・専門分野の情報が盛られているから、大変な事態が現在進行形で進展中である。インターネットの急激な普及がどの程度のものかというと、わが国における主な情報通信メディアとしては異例の速さでということである。一〇%の世帯普及率を達成するまでの所要時間は、インターネット五年、パソコン十三年、携帯・自動車電話十五年、ファクシミリ十九年、無線呼出し二十四年、電話七十六年である。だからインターネットは爆発中であり、その本質的な機能のことを考えると情報革命であり、社会の大変革につながる。インターネットがエンターテイメントとして家庭に入っていくとなると、その普及速度はさらに加速する。

 企業の業務にパソコンを用いることは当然のことになっているように、今後はインターネットを利用すること、関連して企業がホームページを開設することは当然の
ことになる。これは家庭や企業が電話回線を引くことが当然であるのと同じことである。
 計量・計測は測定結果としての情報を取り扱うものであるから、コンピュータとの関係を抜きにしては考えられないし、情報の加工を含めた利用と活用をいかに上手にこなすかが関係企業のビジネスでの成否を分ける。

 思いもよらない展開を示しているインターネットを中心とする社会インフラとの接し方、利用の仕方が計量・計測関係企業の方向を決めることは間違いないが、そのタイミングの取り方は企業ごとに異なる。ビル・ゲイツは「コンピュータを扱えるかどうかは、近い将来、識字率と同じ意味を持つ」と述べている。つまり、コンピュータを扱い、インターネットを利用できない企業や人々は世界と正しく接することができなくなるということである。

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