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■社説・基礎学力と人間力が不足している日本人(02年4月28日2443号)
基礎学力というものがあり、中学校の課程をしっかり理解している日本人はそれほど多くない。ある工業大学の入学者の1割程度は国語知識が小学校卒業にも満たないという。これで大学教育をしてどれほどの成果があるのか疑問である。
国語が小学生並あるいはそれ以下というのは恐ろしいことであるが、総じて日本人の言葉あるいは国語力は低下している。昭和30年代の女性アナウンサーに抱負を語らせた録音があって、それをラジオが放送していたが現在の女子アナウンサーとは言葉の出来が違っていた。言葉の量のこと、発音の仕方、その他で、その違いが大人と子供ほどあるのには驚いた。
ある民族がまともな言語を使えなくなると、それは民族が滅ぶ前兆でもある。征服者に言語を奪われる期間が長くなると、その民族は滅ぶという事例を歴史は物語っているから、日本語を日本語らしく使えない日本人がふえることはいいことではない。
現在の日本人に一番不足しているのは生きる力の一つとしての気力である。挑戦する気力、頑張る気力や精神力を米国人や韓国人や中国人と比較したら現代の若者ははるかに劣っていることは共通した認識になっている。
学力が不足している、元気がない日本の若者を象徴するのが、就職活動用のリクルートスーツを着込んだ学生の姿である。学ぶべきときに学ぶことをせずに4年に進級する前から企業訪問を繰り返す様子をみていると、日本という国はなげかわしい状態にあると思わざるを得ない。東大の卒業式で総長は卒業者に対して「マニュアル人間になるな」と諭していたが、そうした人間をつくってきたのは日本の社会であるし、教育制度であるから、総長は卒業者に向けた言葉を自分と所属する大学に向けるべきである。
日本の学校制度は工業社会に必要な、規律があってある程度の知識をもった人間を意識して生み出したのであるが、さらに高度な学問知識を大量に要求される現代にあっては教育の成果は現状では不十分である。米国が数学教育に力をいれ、日本を凌駕しようとしているとき、日本では大学に通わずに企業訪問を繰り返すような状態にあっては、一層遅れを招くことになる。
企業に限らず社会が必要としているのは、中学程度の基礎学力を備えた、精神力のたくましい人間である。専門知識があるには越したことはないが、学ぶ意識と土台がしっかりしていれば何時でも学ぶことができるのが現代の高度情報化社会である。ある国立大学の工学部の卒業年次者の相当数は中学校の数学が解けない。
日本人の基礎学力というのはことほど左様な状況にあるから、企業は人間を再度作り直さなくてはならない。日本の経済が低迷し浮揚力が不足しているのは日本人という人間の力が弱いからであると思えてならない。
■社説・地方分権と計量行政の在り方(02年4月21日2442号)
地方分権化一括法の施行のもと計量行政の大方が自治事務となったこともあって、現在の計量法では計量行政における地方公共団体の権限が大きくなった。地方分権を基本として計量行政の大方が自治事務化された。計量法は国と地方公共団体の関係を対等・協力の関係に変えている。住民に身近な行政をできるだけ身近な地方公共団体で処理することにしたのである。
立入検査や検定、検査などはそれまで国の事務に属し、地方自治体は国にかわってこれらの事務を実施していた。いわゆる機関委任事務として処理されていたのである。
地方分権を基本にした分権化計量法では、立入検査、検定、定期検査、計量証明検査、適正計量管理事業所の指定、自主計量管理の推進、計量の重要性などの啓発などを地方公共団体が担う。立入検査や自主的な計量管理推進に関して、地方公共団体として主体的な取り組みが十分になされていないのが現状であり、この分野に関して全国的な連携をどのようにとって、適正な計量の実施を確保して行くのか、分権化された新しい時代の計量行政の在り方が求められている。
現在の計量法のもとでは国は計量行政の透明性を確保するために、通達を廃止し、告示やガイドラインとして明示することになっている。通達と、告示やガイドラインがどのように違うのか、行政運営の舵の取り方では実質上同じものになってしまう。
行政機関だけに専権的に保有される取り決め、約束ごとといったことは計量行政には無用のことである。もしそのようなことがあると、新しく着任した計量行政担当者は行政機関の秘め事を学ぶことから業務を始めなければならないことになり、地方公共団体の情報開示という現代の行政における原則と背理することになる。計量行政に秘め事は不必要である。
取引の公平性を確保するための仲立ちをする計量に行政機関だけの秘め事があってはならない。ことを公明正大に推進するために計量法があるのだから、計量法は解りやすい法律である必要があるが、現状はそうなってはいない。
■社説・計量法と計量行政の仕組みの変更(02年4月14日2441号)
計量行政など計量をとりまく世界の仕組みに変化が目立っている。その項目をあげると4つであり、以下順にとりあげる。
1つは、計量法の新たな計量ニーズへの対応ということであり、ダイオキシンの計量証明のための計量法の改正を行った。平成14年4月1日施行の「改正計量法」がそれで、環境汚染の問題等でダイオキシン類等の極微量物質の計量証明事業の信頼性を向上させるため、新たな規定が設けられた。改正計量法は、平成13年6月20日に公布されていたもので、改正内容は、@ppt、ppq等の計量単位を追加した、A特定計量証明事業者認定制度を創設し、ダイオキシン類の計量を実施するためには、認定の取得が必要になった、B計量証明事業者が発行する計量証明書については、事業者によって記載している事項がまちまちであり、計量証明を依頼した者にとって情報不足の事例等も発生していたことから、計量証明書の記載事項を明確化した、等である。
2つは、計量行政の執行体制の変革である。地方分権および省庁再編によって計量行政の執行体制が大きく変わった。変更事項を列記すると次の通り。
@地方分権の推進により、計量行政事務の多くが、従来の機関委任事務から、地方自治体が自主的、自立的な責任のもとで実施する自治事務へ変更されている。
A行政改革による中央官庁関連の組織変更があった。通商産業省は経済産業省となり、法定計量を担っていた計量行政室と計量標準を担当している知的基盤課が合体し、統一して業務を遂行している。計量研究所、電子技術総合研究所など15の研究機関が統合して、独立行政法人産業技術総合研究所が誕生した。産総研の計測標準研究部門、成果普及部門の計量研修センター及び計量標準管理部、国際部門の国際標準協力室の4つの部署を一括して、計量標準総合センター( NMIJ)を構成する。NMIJは、4つの部署が互いに連携を取りながら、計量標準や計測分析技術に関する研究開発、標準供給業務、型式承認などの法定計量業務等をおこなっている。JCSS認定校正事業者を認定する製品評価技術基盤機構(NITE)も独立行政法人である。
B基準認証制度の見直しで、指定検定機関、指定定期検査機関等への民間活力の導入、JCSS認定校正事業の校正範囲の拡大等がなされている。
C電子申請の導入もはかられる。
3つは、国際的な法令、規格の統一化の動きが急であり、これへの対応を迫られていることに由来する仕組みの変更である。動きのある事項を列記すると次の通り。
@1999年10月に、メートル条約に加盟している38カ国の国家計量機関の間で、国家計量標準の同等性の承認及び校正証明書を相互に承認することを目的とした、グローバルMRA(国際相互承認協定)が署名された。
A計量規制(技術基準)の国際整合化を進めている。
B計量標準を2010年までに米国並みの水準(物理系の計量標準250種類、化学系の標準物質250種類)に整備する。
C日本は、1999年1月からアジア太平洋計量計画(APMP)の議長国(事務局も)を引き受けており、2002年1月から法定計量分野のアジア太平洋法定計量フォーラム(APLMF)の議長国になった。
4つは、今後の計量行政課題とその展開の予測に関することである。計量制度を取り巻く環が境変化は大きい。経済・社会は複雑化、高度化しており、適正計量に対して新たなニーズが発生してくる。すなわち@経済社会の基盤たる適正計量の確保、A効率的な計量行政の施行、B国際整合化、の課題であり、これを達成するための動きが活発化する。そのために国、独立行政法人、地方、産業界が的確に役割を分担し、連携して取り組んでいくことになるであろう。
社会の仕組み、経済の仕組みには基本となるものがあるが、日本の場合には政治の世界の混迷、行政機構と官僚体制の旧弊などがあり、国際化した経済とのミスマッチが目立つようになってきた。GDP世界第2位の位置をいつか中国やインドに明け渡すことになるかも知れない。どのようにすれば活力ある経済と国民生活を維持し作り上げることができるのか。そのための政治と経済と行政機構の仕組みづくりが強く求められている。
■社説・計測トレーサビリティ制度と計測の確かさ(02年4月7日2440号)
計測機器と測定の正確さは法が関与しない状況でも釣り合いがとれるようになってはいる。計測という行為はさまざまな目的を実現するための手段として営まれることがほとんどである。計測がさまざまな技術の基礎をなしていることからくるものである。
計測をうまく行わせようとすると、計量制度という社会制度が必要になる。計量制度の骨格をなすものは計量法であり、計量法は基本的には2つのことを規定している。1つは、単位の基準を定めることである。このことによって世の中に1つのことに対して2つの単位があったり、また基準が曖昧であることからくる計測結果への信頼性欠如を排することができる。2つは、取引と証明のための計測結果の信頼性確保であり、このことは「適正な計量の実施の確保」と表現され、はかり、電気計器、水道・ガスメーター、環境計測機器など特定の分野の計量器に関して計量法が規制の形で関与している。
計量法は以上のような構造のものであるが、ここにもう1つの仕組みを加えていわば3重構造にした。もう1つの仕組みとは「計量法トレーサビリティ制度」のことである。
計量法トレーサビリティ制度は、社会の計測へのニーズを背景に誕生したものである。先端技術分野における生産管理や適合性評価分野における計量計測の信頼性付与といった高精度の計量に対応するために、計量計測器に対し、国内において最上位の計量標準(国家計量標準)を基準とした校正を行い、それとのつながりで計量器の精度(不確かさ)を対外的に証明することが求められるようになったのに対して「計測のトレーサビリティ」を法の援護のもとに確保するために「計量法トレーサビリティ制度」が創設された。
計量法トレーサビリティ制度はJCSS制度とも別称される。これはこの制度に基づいて実施した校正証明書にJCSSのロゴマークを付することができるからである。計量法トレーサビリティ制度(JCSS制度)は1992年に公布、93年11月より施行された計量法に内容が盛られており、この規定に基づき、計量計測分野の発展と向上を目的として発足した。
計量法トレーサビリティ制度とは、国家計量標準の供給及び校正実施機関の認定を行う制度ということである。校正実施機関(認定事業者)は、計量法、関連法規及びISO/IECガイド17025(校正機関及び試験所の能力に関する一般要求事項)の要求事項に基づいて審査され、(独)製品評価技術基盤機構により認定された分野における計量器の校正等の事業を行われている。根拠条文は計量法第134条〜第146条である。
計量法トレーサビリティ制度の創設から現在までに次のような制度見直しの経緯があった。@1992年計量法トレーサビリティ制度の創設。A1999年計量標準の供給を(独)産業技術総合研究所、(独)製品評価技術基盤機構が行う規定の整備、認定事業者の認定を(独)製品評価技術基盤機構が行う規定の整備(01年1月施行)=(独)製品評価技術基盤機構はJCSS発足当初、通商産業省の一組織であった。しかし、01年1月の省庁再編成に伴い通商産業省から経済産業省へ、続いて同年4月の独立行政法人化により(独)製品評価技術基盤機構へと名称が変更された。それと同時に、大臣による校正事業者の認定権限が(独)製品評価技術基盤機構(NITE)の理事長に移管された。B1999年指定校正機関の公益法人要件撤廃、より現場レベルの計量器までを対象とする認定事業者の階層性の導入(01年4月施行)=これまでJCSS標章付き校正証明書は特定2次標準器により直接校正された計量器のみに付することができたが、99年の計量法の改正により、01年4月より特定2次標準器から連鎖的に校正された標準器を用いて校正を行うこと、言い換えれば実用標準レベルの計量器の校正までJCSS付き証明書を発行することができるようになった。
99年のAPLAC/MRA、00年のILAC/MRAへの参加をはじめ、JCSS制度の国際的な連携のための作業が進められている。ILAC2001京都会議はその1つである。01年10月29日から11月5日にかけて、国立京都国際会議場でILAC2001京都会議が開催された。ここではJCSS及び同じくNITEで運営しているJNLA(工業標準化法試験事業者認定制度)がJAB((財)日本適合性認定協会)、JASC(工業標準化法指定認定機関指定制度)とホストを務めた。
同会議では、世界40カ国・経済地域65機関から約120名の認定機関・試験所関係者が参加し議論が交わされた。韓国(KOLAS)、中国(CCIBLAC)、インドネシア(KAN)、タイ(TLAS)、イスラエル(ISRAC)、スペイン(ENAC)、ドイツ(DASMIN)、スロバキア(SNAS)の8認定機関がILAC/MRAに署名を認められ、参加機関は32カ国・経済地域の43機関までに発展した。ILACはCIPM(国際度量衡委員会)とMoU(協力覚書き)を取り交わし、試験所認定における測定のトレーサビリティを適切に確保するため計量標準供給との連携を更に強化する。
以上のように計測のトレーサビリティのための骨格となる計量法トレーサビリティ制度(JCSS制度)は確実な発展のための歩みを進めている。
関連する事項に関しての課題となっているのが、日本の計量標準の設定の遅れである。行政機関もこのことを率直に認めており、計量標準を2010年までに米国なみのレベルに整備する計画である。
日本国の計量法トレーサビリティ制度(JCSS制度)は、校正サービス業務が資格要件、校正作業その他が、法が規定した内容を満足する場合に、校正証明書にJCSSロゴマークを付することができるというものである。しかし、現状ではすべての標準分野の校正業務に関してJCSSロゴマークを付することができるように制度を立ち上げられているわけではない。厳しくいえばJCSSロゴマークを付することができる標準分野は限られており、この限られた分野でもすべての校正業務にJCSSロゴマークを付しているわけではない。ロゴマーク付きの校正証明書を得ようとすると費用がかさむからである。ロゴマーク付きでなくても国家標準と技術的に確かなトレーサビリティがとれていれば、その標準や標準器や計測器が機能を満足するという事情があるからである。
計量と計測器に関して計量法が関与する状態を小さくしてきたのが近代計量法と計量行政の歴史であった。計測の標準とその校正業務に計量法が援護する形で関与することの限界ははじめから明白である。確かな計測を広く実施することが産業はもとより科学と文化が発達する元になっているのであるから、手軽に安く計測標準とその校正証明書を入手できる方法を講じることは大事である。
■社説・ ダイオキシンの計量証明のための計量法改正の内容(02年3月31日2439号)
平成14年4月1日に「改正計量法」が施行された。環境汚染の問題等でダイオキシン類等の極微量物質の計量証明事業の信頼性を向上させるための法改正で、(1)極微量物質の計量ニーズへの対応のため、(2)計量証明事業の信頼性向上のための、2つの観点から計量法に新たな規定が設けられた。
(1)極微量物質の計量ニーズへの対応のために3つの措置がとられた。1つ目は、従来の計量証明事業の登録区分を分割し、@大気中のダイオキシン類、A水中又は土壌中のダイオキシン類、の濃度の計量証明事業という区分を追加した。2つ目は、上記のダイオキシン類の計量証明事業において、製品評価技術基盤機構又は指定認定機関の認定を受けていることを、登録の際の要件とした。3つ目は、新たな計量の単位として@一兆分の一の濃度(ppt)、A千兆分の一の濃度(ppq)など4つを追加した。これはダイオキシンなど極微量物質の濃度計量に必要な4つの単位で、新たに法定計量単位として追加したもの。、その4つは、(イ)質量一兆分率(ppt)=物質中にその質量の一兆分の一の質量のある成分を含有する濃度。(ロ)質量千兆分率(ppq)=物質中にその質量の千兆分の一の質量のある成分を含有する濃度。(ハ)体積一兆分率(vol ppt 又はppt)=物質中にその体積の一兆分の一の体積のある成分を含有する濃度。(ニ)体積千兆分率(vol ppq 又はppq)=物質中にその体積の千兆分の一の体積のある成分を含有する濃度。である。
(2)計量証明事業の信頼性向上のためのに3つの措置がとられた。1つ目は、計量証明書に記載すべき事項を明確化した(登録と認定の2種類の標章を導入)。2つ目は、事業規程の記載事項を明確化した。3つ目は、虚偽の計量証明書を発行するなど、不正な行為の禁止規定を導入した。
計量法改正の背景となった事情として、(1)極微量物質の計量ニーズの増大、(2)計量証明の信頼性の確保の必要性の2つがある。(1)に関しては、@新たな環境問題の高まりや製造業における生産管理工程の高度化等により、一兆分の一の濃度レベル(ppt)などの極微量物質(ダイオキシン類等)の濃度の計量ニーズが増大してきたこと。A極微量物質の計量では、従来のハード(計量器)とヒト(計量士)の確認に加え、新たなシステム全体にわたる工程管理が適切に行われていることについての確認が必要。という2点がある。(2)に関しては、計量証明事業者が発行する計量証明書については、事業者によって記載している事項がまちまちであり、計量証明を依頼した者にとって情報不足の事例等も発生していたことへの法の必要な対応である。
計量法は国の計量制度の骨格をなすものである。経済活動、産業活動、国民生活にとって、適正な計量の実施が確保されることは不可欠な要素であり、計量制度はその信頼性を確保するための技術的な社会基盤である。環境汚染の問題等でダイオキシン類等の極微量物質の計量が必要とされている今日、計量証明事業の信頼性を向上させるための法による明確な措置が急務であった。今回の改正はこうしたニーズに応え、計量証明の信頼性を確保するために行われたものである。
今回の法改正により、ダイオキシン類の計量証明は、製品評価技術基盤機構、又は指定認定機関の認定を受け、都道府県の登録を受けた事業者以外はできなくなった。経過措置に関する規定により、法律施行時にダイオキシン類の計量証明の事業を行っている計量証明事業者は施行後一年間は、認定を受けていなくても事業を引き続き行うことができる。猶予期間終了は平成15年3月31日までである。認定の取得は全くの任意であるが、DDT 、クロルデン、ヘプタクロルの計量証明事業についても特定計量証明事業の認定を受けることができる。
表現をちがえてくりかえすと、ダイオキシン類の計量証明の事業区分で認定され、登録を受けた特定計量証明事業者は、ダイオキシン類の計量証明書に標章(認定ロゴ)を付すことができる。ダイオキシン以外の計量証明事業者であれば、計量証明書に標章(登録ロゴ)を付すことができる。計量証明の標章が認定ロゴと登録ロゴの2つになった。
また、計量証明における不正な行為に対する規制が追加された。計量証明に関する事業規程の記載事項が変更され、実際の計量結果を改ざんして、故意に虚偽の内容を記載した計量証明書を発行する行為や、実際に計量することなく、架空の計量証明結果をねつ造する等の不正の行為を行った事業者は、計量証明事業の登録取消の対象となった。事業規程に記載すべき事項として、標章に関する事項および業務の下請け等に関する事項が加えられた。計量証明書に標章を付する者や、業務の一部を下請け等に出す事業者については、標章に関する事項を付け加える等の事業規程の変更を行い、都道府県知事に登録をする必要がある。 標章は、計量証明書以外のものに付すことはできない(名刺やパンフレット等への表示も許されない)。登録を受けている旨の標章は、認定を受けている事業者の標 章とはデザインが異なる。
改正計量法の所管は、制度全般に関しては経済産業省産業技術環境局知的基盤課計量行政室(tel 03−3501−1688、fax 03−3501−7851、E-mail:qqgcbha@meti.go.jp)。認定に関しては(独)製品評価技術基盤機構適合性評価センター試験所認定課(tel 03−3481−1633、fax 03−3481−1937、E-mail: mlap@nite.go.jp URL : http://www.nite.go.jp。
ダイオキシンなどの計量証明に関する計量法の規制強化は、計量証明の数値に関して信頼性の問題が浮上した埼玉県所沢市の産廃施設まわりの土壌のダイオキシン汚染のテレビ報道に端を発したといってよい。この問題を契機に環境に関する計量証明の信頼性確保に関して計量法の在り方が再検討された結果、ダイオキシン類の計量証明事業において、製品評価技術基盤機構又は指定認定機関の認定を受けていることなどが、事業要件に追加された。事業認定を受けるためには、事業所の測定技術に関する能力の判定も行われる。計量制度の骨格をなす計量法に環境関係が取り込まれて久しいが、計量法に関する国際的な動向をみると、人の健康と医療分野の計量を含めようとする機運がある。
計量法は平成5年11月1日施行の事業規制の緩和とトレーサビリティ制度ならびに指定定期検査機関・指定計量証明検査機関制度などを取り込んだ改正、平成12年4月1日施行の地方分権化と民間事業者の指定定期検査機関などへの指定を認めた改正、などがあり、今回またダイオキシンなど極微量物質の計量証明に関して信頼性確保のため規制強化を内容とした改正が行われた。
■社説・ デジタル情報通信革命の進展と計測技術(02年3月24日2438号)
鉄道による輸送が自動車道路によって置き換えられていることを否定する人は少ない。モノの輸送は人の輸送でもあり、情報の輸送でもあった。電信技術の発達によって情報の輸送は相互間の距離をつまり時間の飛躍的な短縮をもたらした。いまではインターネット技術に端を発して、巨大な情報通信網が整備されてきている。これは情報ハイウェイともいわれるもので、自動車道路の建設と同じようなことで情報インフラである。情報ハイウェイだけが情報インフラではないが、日本においても情報インフラの整備は急速に進行しており、この結果がインターネット関連の通信費用の急激な低下となって現れている。
産業や生活・文化のなかに占める情報のもつ価値は日を追って高まっており、このことから現代が情報化社会といわれ、また情報社会ともいわれる。現代は情報文化社会であるので、情報のもつ意味が決定的に大きい。別の言葉で表現すると、デジタル情報通信革命が進行しているのが現代の社会である。
医者も患者の診断にコンピュータを用いている。問診してその答えを医者がパソコンに打ち込み、類型分けした結果から病気を診断する。日大病院でこれを見た。診断の捕縄にコンピュータを用いているのであるが、うっかり診断を防ぐ手立てになり、便利であるからだ。介護保険の85項目の設問もコンピュータに回答を入力する方法をとっている。全国一律に実施すべきことに関しては、この方式が便利であるからだろう。コンピュータは人の作業を補助する重要な働きをしており、今後は情報インフラの発達とデジタル情報通信革命の進行でその働きの場を広げることになる。
コンピュータの発達がどのような速度をもって進展するであろうか。インテルの創始者のゴードン・ムーアがワンチップ・マイクロ・コンピュータのなかに集積するトランジスタの数が1年半ごとに2倍になることを見つけ出したことから、これをムーアの法則といっている。急速度で発展するコンピュータのハードウエア技術は社会に影響し、デジタル情報通信革命を呼び起こしている。産業革命によって導き出された工業化社会が情報化社会に移行中である。コンピュータの発達に端を発して情報通信技術革命を引き起こし、情報化社会(情報文化社会)を導くことになる。
「先んずれば人を制す」ということは、知るべきことで人に遅れをとれば競争に負けてしまうということにつながる。人より先に、正確に、より深く知ることは、産業社会を生き抜く鉄則といってよく、情報収集とそれにもとづく事業への対応は企業に欠かせない。ここには知恵や知識が含まれ、そこから生まれる判断が加味される。判断するに足る材料が不足していたのでは、はじめから戦いにならない。
デジタル情報通信革命が進行しているという意識はおぼろげに働いていても、実際には旧体制の意識に横溢されているのが普通の人の実際である。情報や知識は本や新聞など紙の上に書かれたもの、あるいは賢人の言葉、すぐれた人の言葉のなかにあると意識されがちなのである。人の意識がデジタル情報通信革命に馴染むには時間を要することになるが、早く切り替えた方がよい。企業で働く人はとくにそうである。遅れているのは役所で、企業の人々より5年は確実に後を歩んでいる。予算が足かせになって情報化が進まない上、人の頭も古いままでいることが多い。
デジタル情報通信革命の進行にはパソコンの発達とあわせて情報インフラの整備が必要である。情報インフラのなかにはテクノロジーインフラが含まれており、テクノロジーインフラには計測テクノロジーインフラが含まれている。計測テクノロジーインフラとは何であるか。のちのちの解明課題として、現在の状況でデジタル情報通信革命に対応すべきことを連ねる。
計測技術は基礎技術をさらに根底で支える技術であり、同時にまた先端技術と対をなして新技術、新商品を生み出す役目も果たしている。計測技術は計測機器といいかえてもよい。ナノ技術が次世代産業を創出するための国家的課題として取り組まれているが、産業総合技術研究所の計測標準部門では、原子間力顕微鏡(測長AFM)を開発し、サブナノメートルのオーダの実現に成功し、ナノ寸法スケールの校正サービス業務を始めている。計測技術は国立天文台がハワイのマウナケア山頂に建てた有効径8・2mの一枚鏡を用いたすばる望遠鏡の鏡を歪ませないようにするために用いられている。音叉振動式の力センサーを利用した鏡の支持機構によって狂いのない鏡が実現した。これによって、これまではできなかった領域の宇宙観測が実現している。基礎技術の支援技術と実際的な科学への応用技術という計測技術の2例を取り上げて計測技術の機能分けと多用途性を説いた。
支援技術と応用技術の両面をもつ計測技術が社会でもっと活用されるための基盤となるべきなのが計測情報インフラである。ここには計測テクノロジーインフラの概念が重なる。
計測機器はコンピュータネットワークと結びつくとそれ自体センサーとして機能することもある。コンピュータとネットワークされた計測システムは、センサーとしての機能を飛び越えて、課題解決システムを形成することになり、計測企業の一部は今後この方面のビジネスを開拓することになるであろう。
進行中のデジタル情報通信革命を意識して計測器企業はどのような身構えをすればいいのか。意識をどのようにもてばいいのか。そして社会基盤であり、基礎技術のそのまた基礎をなす技術であり、先端技術を支援し、また先端技術と結びついて新技術を生み出す計測技術を存分に機能させるためのインフラ整備をしなければならない。
本紙が基盤となって計測機器メーカー、関係事業者、その他と結んで構築している『計量計測データバンク』は、計測情報インフラとして機能しており、利用性が高い。今後ともデジタル情報通信革命の進展にともなってその存在と機能は高まる。
■社説・計量行政の実務を分掌する神奈川県計量協会(02年3月17日2437号)
地方の計量協会が苦しんでいる。会員の退会傾向が平成5年11月に施行された「新計量法」の下で顕著になり、会員の退会は会費収入の減少に結びつくため、組織の弱体化が目立つようになっている。地方計量協会には社団法人になっている組織が20前後ある。民法34条の定める法人(つまり社団法人)ということではそれ自体立派なことであり、それぞれに社会貢献度の高い有益な事業を実施している。新計量法が当初、指定定期検査機関の指定要件を民法34条に定める法人としていた。そのため各地の計量協会は社団法人になることを理想として、それにふさわしい組織になるよう努力を重ねている。しかし会員数の激減、財政規模の縮小、事務局体制の圧縮などにより、各都道府県の社団法人に関する規定を充足できない状況にある所が少なくない。
計量法はその後、指定定期検査機関などの指定対象に株式会社など民間の営利企業を加えている。計量協会が指定定期検査機関に指定される場合には依然として民法34条に定める法人である規定に変わりはないことから、今後とも社団法人化の推進努力は怠ることはできない。その一方で、経営基盤のしっかりした民間の営利組織である株式会社などが指定定期検査機関、指定計量証明機関に指定される動きが出ている。
地方の計量協会組織のうち神奈川県は小田原のモノサシに象徴される計量のメーカー県であり、このことから今でも流量計、質量計ほかの計量器産業が盛んである。また自動車産業、電機産業はじめ近代的産業が結集している地域である。このため製造技術に関連して計量管理、品質管理などの管理技術が発達し、計量管理研究会などの技術研究活動が組織的になされてきており、計量管理先進県としてその名が全国に聞こえている。計量器のユーザー関連、計量器の販売関連その他も協会に加入することを通じて、神奈川の生活と産業の振興・発展に貢献している。
神奈川県計量協会はすでに社団法人化されており、神奈川県計量検定所、横浜市、川崎市、横須賀市などの計量検査所、その他特例市と連携して神奈川の計量行政にリンクして、県民の計量の安全に実際に関わる質量計の定期検査業務などを行っている。今後とも計量器の検査業務を中心に計量行政機関が実施してきた計量業務を委託等の形で代行することが多くなることが予測されるため、県の計量行政に関わって計量協会が果たす役割は多くなる。
以上のようなことであるから、協会会員は自らの加入している組織を信頼し、自身が加入していることに自負心をもってもらいたい。また世の中もそのように評価する。他方で協会は加入会員の要求を満たす研究会、研修会、講習会、その他の事業を多面的に実施すべきである。事業実施には加入会員の知恵と技術と力を遠慮なく提供してもらうべきで、そうして実施される研修会事業等こそが、会員相互の良い意味での競争につながり、そうしたなかでの切磋琢磨こそが企業を強くし、日本の産業の活性化と発展につながる。
21世紀の情報化社会では旧来の組織体制から一歩進んだ新しい連携の組織が求められており、コミュニケーションの方法も別の形をとるようになった。現在の計量協会会員には誇りと自負心をもって、会員でありつづけて欲しい。他方では計量協会が会員制度だけに頼らずに別の形で生活者あるいは関係事業者そしてまた産業界と結びつくことも意識しなくてはならないだろう。
■社説・計量史学の発展に貢献した人々(02年3月10日号2436号)
日本計量史学会が創立されたのは1978年4月1日であり、2003年4月1日に創立25周年を迎えることになるが、同会ではこの2月23日に「創立25年記念大会」を開いた。現在の役員体制でこの行事を実施する必要があったため、少し早い25周年の集いであった。
計量史学は世界日本の度量衡制度、度量衡技術の発達の歴史、計量技術の技術開発資する技術史など、計量に関する歴史を広く扱う学問である。歴代会長は宝月圭吾氏、林英夫氏、岩田重雄氏で、現会長は蓑輪善蔵氏で副会長は前田親良氏(大阪工大高校校長、前大阪工大教授、現同大理事)、山田研治氏(都立牛込商業高校校長)である。
同学会の現在の役員は、【会長】○蓑輪善蔵 【副会長】○前田親良○山田研治 【理事】▽新井宏▽内川恵三郎▽川村正晃○菅野充▽黒須茂▽斉藤和義○沢辺雅二▽高田誠二○高松宏之○馬場章▽西田雅嗣▽西村淳○西脇康○松本栄寿▽宮川X▽横田俊英 【監事】○多賀谷宏○横田茂子 【顧問】○岩田重雄 (敬称略、○印は新任、▽印は再任、任期は2001年4月1日から2年)である。
岩田重雄博士の研究によって計量史学は、縄文期の、モノサシを様々な手法で推計できるようになっており、このことを通じて縄文人の文化と生活様式を割り出す手がかりを提供している。また、計量史学は現代の社会で現実に起きている問題について、ごく近い過去の歴史を振り返りながら、その問題を考え、将来を見越すことを意識にのぼらせている。
そうした思いが、「創立25年記念大会」における飯塚幸三(博士)氏の「国際計量体制の歴史と将来像─国際度量衡委員在任15年を顧みて─」(50分)のテーマでの講演として実現しており、この講演を通じて計量関連の国際的活動の歴史を顧みるなかで、国際規格の動向を推察するという貴重な成果をもたらそうとしている。
日本計量史学会には科学史、技術史、数学史、考古学など多方面の研究者が会員になっており、その数は現在180名ほどであるが、蓑輪善蔵会長、前田親良と山田研治の両副会長の高い意気込みのもと、あらゆる方面の関係者を会員に迎えて、研究体制の充実をはかろうとしている。
現代は考古学の発見の時代であり、考古学の常識が大きく覆されることの連続である。考古学、歴史学にからんでは計測技術関連の応用が盛んであり、考古学の事実の立証に欠かせない存在になっている。関連の計測技術は幅広く樹齢の相関から年代を求める方法、放射線関係から求める方法など多岐にわたっている。計量史学は計量の歴史に関する学問であるが、計測技術を周辺の学問分野として含んでおり、会員には計測技術者が多いので、他の学問を支援する基礎的学問でもある。
計量の世界に小さい組織ではあるが計量史学をあつかう学問分野が育って、日を追うごとに成果を積み上げていることは素晴らしい。計量史学に異常なまでに情熱を傾けてきたのは岩田重雄(博士)氏であり、計量史学が学問分野で的市民権を獲得したのは岩田重雄を会長に抱いて副会長として活躍した高田誠二(博士)氏である。また情熱に満ちてはいるがあまりにも小さな組織を維持し育てるために多くの会員と役員その他の奉仕活動(ボランティア)がある。
■社説・商品をどう作りどう売るか(02年3月3日号2435号)
日本の経済がおかしい。景気がおかしいことそれ自体は不景気だから仕方がないで済むとしても、やはり理屈ではとらえきれないおかしさがある。経済全体を人間にたとえるとそれは身体全体ということになる。金融の役割は血液の循環ということになるが、金融機関が相次いで倒れると血液の流れが阻害され、身体のいくつもの部分が壊死してしまう。
日本銀行はもともと当てにならない所へきて、都市銀行も信用金庫もおかしなことをしてきたというのが日本の金融機関の偽りない姿である。銀行等金融機関が破綻をきたして倒産すると、貸した金を返せと迫られるから、金が入り用で借りている産業資本は困ってしまう。金がなければ土地で返せということになり、値の付かない土地を無理矢理処分させられるので、産業資本は身ぐるみ剥がされることになる。こうした行動に呵責はないので殺伐とした世の中になってしまった。計量計測関係の製造事業所でも、ここで述べたような事態に遭遇し、まことに痛い目にあっているところが散見される。
日本経済に進行しているデフレ経済は産業の息の根を止める働きをしているといっていい。資産価格の大暴落はいわゆるバブル経済の反動だとしても、それは明らかに行き過ぎている。生活物資および諸商品の価格低下は中国等海外の生産物の影響であることは確かである。
米国のブッシュ大統領も日本の経済のおかしさを憐れんで見ていて、2月に来日して「構造改革をすすめながら頑張れ」といった。多くの日本人にはどのように頑張ればいいのかわからないのに、小泉首相はわが意を得たりということで「頑張る」と答えている。
企業が収益構造を確保するための単純な手法として人員削減の行動に出ている。ところが新しい雇用はどこにも発生していない。雇用がないと人員削減された人々の賃金は大きく低下する。企業が黒字を出すなかで国民は塗炭の苦しみをかこつという構図が日本にできている。
日本では次世代の新しい産業を生み出し得ないでいる。かつて日本経済繁栄の後ろ盾とされた旧通産省等の知的パワーが減じており、政府の知的パワーも怪しくなっている。
それでは四面楚歌とも思える日本経済の中でどのように生きてゆくのか。一つは日本経済の枠組みから脱却した企業活動を推進することである。売れるところで売り、稼げるところで稼ぐことである。日本経済の中で生きなければならないとなれば、価格競争能力をもった高度な技術力に支えられた商品を開発することである。技術力が同じならば、価格力で勝るために低コスト製造を狙わなければならず、これを国内でやるか途上国でやるかはそれぞれの企業の判断のしどころである。国内海外折衷政策というのもある。
以上のほかに、顧客満足を充足する商品販売の戦略というものがある。同じ製品を作っていても販売力に劣ると負けてしまう。日本の製造企業は今日でもなお「作れば売れる」という昔の感覚をどこかに宿していることを否定できない。
■社説・陳腐な言葉の羅列の長い話は聞きたくない(02年2月17日号2434号)
会議のおり、代表者や来賓の挨拶が行われる。挨拶する人のなかにはその場の主役がだれであるか忘れていることが多い。会長など代表者の挨拶も来賓の挨拶も儀式その場に付随した儀式の一つになっている。この儀式は主役である一般の会員・聴衆のために用意されているものと理解すべきである。挨拶の様子をみていると主客が逆転している場面に遭遇するので驚く。
長い挨拶、つまらない挨拶が多くなっている。平和なものだ。だれも聞いていない話を平気でする人は老化の激しい人に多い。権力に似たものの上に胡座(あぐら)をかいているような心理状況にある人の話しもつまらない。
文章にすればなるほどと思える内容でも、実際には陳腐で面白くない挨拶をする人もいる。聞き慣れすぎた言葉をただ並べるだけの挨拶は面白くないのである。自分が何をしたいか、自分が何を考えているのかを本気で話すことのない人の挨拶はつまならい。また出来もしない夢物語にもならないことを繰り返し話されても困る。このような話はだれも聞いていない。実際につまらない話がつづくと、私語が始まり、会場がざわつくことがある。以前そのようなときにブーイングが起きた。するとある紳士が「武士の情けだと思って黙って聞け」と言い捨てた。武士の情けをかけてもらった人は業界団体の現職でいる。「武士の情け」をかけてやっても、その情けを知らないのだから情けない。情けをかけた紳士は面目を失った。
ある団体の代表者に就任した人の挨拶はお世辞にも上手なものではなかった。しかし、下書きした文章を一生懸命に読んでいる純情がよかった。就任後一年もすれば、場慣れして聞く人を飽きさせない話をすることになるであろう。
計量研究所所長に就任した直後の、ある人の挨拶がひどすぎたものだから、聴衆の一人が「これはだめだ」と呆れ声をだした。しかし、その人はその後、話の名手に見事に変身した。科学者、技術者が広い知識をもとに練って繰り出す言葉は聞きごたえがある。陳腐な概念や言葉の集積のような話をしないのがよい。広い知識のなかから滲み出る良質の言葉を用いるから、短い時間であっても聴衆を魅了する。概して常識を備えた科学者や技術者の話は面白い。
話をすることは自分を出すことである。自分以上でも、自分以下でも駄目だ。駄目な自分なら駄目さ加減を見せればいい。それでもいいといって周囲は代表に選んでいるのだから、自信を持って話をすればいいのである。それで駄目だと烙印をおされたら代表を辞めればいい。それはその組織に、次にはもっといい人を代表に選ぶ訓練をさせているのだ。
力み返った政治家の口調の話は聞きたくない。陳腐な言葉を羅列した、長い話も聞きたくない。いい話のあとの会議や宴会は気持ちいいものになる。挨拶をする人はそのことをよく考えなくてはならない。挨拶は短いほどいい。
■社説・計測技術と現代人の健康(02年2月10日2433号)
市民マラソンが盛んである。5kmでも10kmでも、20kmでも市民マラソンを走れる身体を持っている人は健康な人である。また走れる人は心の健康も保証されたようなものである。ハワイのホノルルマラソンを走っている計量士がいる。走る人はみな元気である。
人はみな走れるのである。学校生徒のころはみな走れた。人が走れなくなったのはスポーツが生活の中から消えたからである。何らかによってスポーツするという心の健康が人から消たからである。市民マラソンを走る人々は、いつも溌剌としており、仕事への意欲も旺盛である。スポーツが心と身体の健康の支えになっていることがわかる。現代人のスポーツはプールでのスイミング、スポーツジムでのトレーニングなど多様である。どんな方法かでスポーツに取り組むことによって元気な人間をつくることができる。オリンピック競技でのアスリートの姿に自分を重ねて、それに近づく努力をしたいものである。
人の健康は怠惰ではつくれない。肥満は生活習慣によってもたらされる。肥満はまたスポーツをしなくなった成人の生活習慣に起因する。健康を維持するための筋力の低下も著しい。ゴルフの腕前に自信がある人が、「最近飛ばなくなった」とぼやく人に対して、「それは衰えた足腰の筋肉が、車を使うため更に衰えた結果だ」と指摘をした。歩かない人の健康は衰える。走る人の健康は増進される。そして人にとって肥満は大敵である。
『村で病気と闘う』の著者で医師の若月俊一氏たち佐久総合病院のスタッフが、昭和40年代初頭に長野県佐久地域の農民の血圧を測定したところ、ほとんどの人が高血圧であった。塩辛いものをとる食生活が原因であった。人間の健康状態は身体の状態を計ることによって確認できる。病気の予兆も計ることによって見つけることができる。医療設備の発達で人間の身体の状態や健康を計測することが盛んになっている。計測技術と健康学、医学とが今以上に緊密に結びつくことが、人間の幸福につながる。
人間には五感がある。この五感は人間の計測装置といってもよい。五感は外に向かっての働きもするが、五感を自分の内側に向けて働かせることは病気の発見につながる。「何だかおかしいなという小さな身体の異変に気付いたら直ぐ医者に駆け付けろ」と、医師になる勉強をしている子を持つ計量関係の経営者がつねに話す。千葉市のある経営者は「何かわからないけど変だなと、身体の様子の変化をわずかでも感じたら迷わず医者の診察を受けなければならない」と自分の経験を語っていた。そして医者に行ったら異変の様子を正確に詳しく話さなくてはならない。わずかだけだと医者は風邪として処理してしまいかねない。患者一人への診察時間を5分程度しかとれない医療が難病を見逃すことになる。神奈川県葉山町に住むある人はそれでヘルペスの発見が遅れてしまった。その後入院治療したものの軽い難聴が残った。医療行為は医者でなければできないが、医者の診察は絶対ではないことに医療の根本問題がある。人間は医者なみの病気と健康に関する知識をもっていた方がいいのである。
東京都大田区のある経営者は癌家系が気にかかったため、医療保険が効かない最新の機器をを使った癌診療を受けて、初期のリンパ腫を発見した。手術して仕事に復帰している。人の幸せは病気にはならないことが一番である。予兆を見つけて病気になることを防ぐことは幸せを招く努力の一つである。また病気になってもできるだけ早期に発見して適切な治療をしたい。人間には五感というものがあり自分の健康をここで計っている。この五感に引っかかる異変があるときは病気があると思っていい。人間の五感が感ずる前に異変を知ることが大事であり、それには診療設備が大きな働きをする。
計測技術は産業設備の方面で利用される機会が多く、そうした関係の計測機器が開発されてきた。一方、計測技術はまた医療技術、健康分野でもすばらしい成果を見せてきた。体温を計る、血圧を計る、体内の様子を計る、血液の成分を計る、体重を計り脂肪の量を計るなど、診療には計測技術が大きく関わっている。医療に関係しては、人間の身体の必要な部分をより細密に計ることによって、正確な診察ができる。正確な診察は正しい医療処置につながる。
われわれは計測に関係した世界にいるが、医療計測の一部を垣間見ただけでも計測技術を用いる場を広い視野でとらえることの必要を理解できる。計測技術と計測機器を必要な場面で利用性の高いものとして開発していくことが計測の関係者に求められる。現在ある計測技術の利用でさえも十分でないという考えにたてば、その利用と応用の可能性は限りないことになる。発想力が乏しくなるとそこにある花園が見えないのである。
■社説・情報化時代と企業倫理の確立(02年2月3日2432号)
またも雪印グループである。狂牛病の政府対策を利用して外国産牛肉を国産牛肉と偽って買い取らせた詐欺が明るみにでた。このまえの事件では乳製品生産の不始末から中毒症の発症をみたのに、対応が不誠実極まりないことなどから非難を浴びた。今回の狂牛病利用の詐欺事件は雪印食品の企業倫理が確立していないことを物語るものであり、度重なる不祥事にあきれる。
そうした雪印食品が引き起こした詐欺・不祥事が企業を倒壊に至らしめる可能性が大きいのが現代社会であり、これは情報化社会という現代に特有のものと考えていい。大衆に販売する一般消費物資、食料を製造販売する企業は商品の実際よりも商品がもつ印象に依拠して販売している要素が強い。市販の風邪薬はテレビでの宣伝が不足すると売れ行きが鈍るという。もちろん商品であればその本質が優れているからこそ買い手がいるのであるが、商品に目立った差がない場合には商品に対する印象が選択に影響する。現代社会の商品にはその性能・機能・本質に特段の差がないことが多いので、商品やそれを製造・販売する企業イメージ、あるいはブランドが商品力を決めるといっていい。
雪印グループはたび重ねての不祥事であったが、三菱自動車もクレーム処理に関して同じ過ちを犯したため、競合他社に自動車販売で水をあけられた。雪印ではHACCPが有効に機能してなかったし、三菱もあわせると品質管理に関する国際規格なども、ともすると画竜点睛を欠くように魂をいれ損なうと、絵に書いた餅と同じになる。
日本の家庭電気製品のトップブランドをもつある企業は、計量管理に関するすべての活動はブランド力を付けることを目的にすると言い切っている。このためには法律に定められている関係事項は厳然としてこれを遵守すると述べ、法に抵触しない業務体系を策定し、実際に機能させている。
計量法の世界は取引と証明を内容とする計量の適正な実施の確保のための体系である。ここに適正計量管理事業所制度が組み込まれており、使用するはかりの性能検査としての定期検査に相当する以上の管理が厳正に実施されている。このような計量法体系のもとで実施される商品販売に関係して、商品の量目の不適性としての量目不足が試買調査などで目立ち、改善の様子があまり見えないことに危惧する。量目不足は適正計量管理事業所の指定を受けていない所で発生する割合が非常に高いことは厳然たる事実である。商品は量目が表記通りであることが前提で売買され、商品が流通しているのであるが、この前提が崩れると社会が大混乱する。
情報化社会の今日では、消費者の気分が量目不足を糾弾する方向に動くことも考えられるから、この方面に関連して不祥事を引き起こすと企業生命に影響しかねない。現在の計量行政が量目不足など計量法違反に「寛大」な姿勢でいることは指導的態度で臨んでいる結果と判断されなくもないが、それでは行政効率の向上につながらないのではないか。
社会で商売をするための倫理を欠いた企業が散見される今日であるからこそ、計量法体系に組み込まれている世界は、ここで定められている倫理規定ともいうべき法の厳正な執行に行政機関が意欲を見せてもいいであろう。攻めなければ押しこまれるし、引き通しではこの世界がなくなる。そして地方公共団体の計量行政の存在も消えてしまう。
■社説・日本経済と「まけんるもんか」の精神(02年1月27日2431号)
日本の経済人が悲嘆に暮れている。IT不況、米国経済の減速のあおり、その他で景況の悪化がますます強まっていることが、日銀支店長会議の報告を見ても明らかである。経済人に元気がなくなっているなか、政府は「構造改革」の推進に躍起であるものの、そのことで国民の心は期待に踊ることはない。
計量の世界の外資系の経営者は「日本の経済の基礎的要件は悪くはないのに、今の日本人の意気消沈ぶりは如何にも度が過ぎる」と率直に感想を述べている。別の経営者は「悪い悪いという報道だけが流れているように思えてならない」と、日本のマスコミの経済悲観論に批判的であった。
経済の世界を見るのに良いところと悪いところを冷静に区分けすることが必要なのだが、自分の所属する企業や業種の動きが鈍ると先行きへの不安から、悪いことばかりが目につき悲観論に陥ってしまう。
時の経過は企業に変化・変容を求めるのであるけれど、製品技術や生産技術の革新、業容の変化に遅滞をした企業には、新しい時代はつらい時代になってしまう。経済は絶えず変化するものであり、技術が急速に進歩する現代社会は企業に絶えざる変化を要求する。
イノベーションは新しい産業を産み出す基礎的な力にでる。新しい産業は常に産まれているものの、それが小さい産業である場合には人々は気付かないことが多い。IT産業は目に見えて大きくなった特別の新しい産業であり、それは経済の情報化を始めとする情報化社会の牽引力になっている。そのIT産業の停滞は必ずや一時的なものであり、IT(情報技術)を基礎にして生産財と消費財をつくりだす産業が一層の技術革新を推進することになる。社会は情報技術なくして成り立たない状況にあり、それは産業社会のインフラ(社会資本)に転化している。
計測技術は計量制度と対をなして産業社会のインフラとしての性質を備えているが、計測技術の発展に努めることは当然としてその活用にも大いに意を用いなくてはならない。産業社会の各場面で情報技術が取り入れられて技術革新と生産性の向上がはかられていることに素直に学ぶとすれば、情報技術と計測技術を高度な次元で融合させることと、融合技術を機器やシステムや知識として販売することが求められ、それこそが新しい情報化社会における計測技術であり、計測機器産業の姿である。これからの計測機器産業は機器を売るだけではなく、利用・応用技術をシステムにまとめあげて売るようになるであろう。
日本の社会のなかで30年以上にわたって、あまり変わらない同じような生産設備と生産技術のもとで作り出される製品は、中国を始めとした工業新興国に移ることになると思われる。したがって日本では他に真似されないような商品を他に真似されないような方法で作らなくてはならなくなるだろうことをあわせて述べておきたい。
日本人の勤勉さと創造意欲を新時代の産業社会でも開花させるためにもわれわれ計測社会の偉人である溝呂木金太郎氏の「まけるもんか」の精神をもつことが大切である。
■社説・日本人が失敗しないための方策(02年1月20日2430号)
世界とのさまざまな関わり、そして経済に関して日本ということが意識されている。「日本と日本人とは何か」ということが自問され、日本のあるべき姿が求められているのである。
GDP世界第二位の日本の経済が苦しくなっている。一位の米国経済も景気後退局面にある。その日本と米国と欧州とアジア諸国と、なにが同じで、どこが違うのか、急に問われると判然としないことが多い。
日本文化の個別性、日本人の宗教的・思想的特質、日本人の人類学的二重構造を背景にして、世界第二位のGDPをもつ経済大国日本は、これからどのような道を歩むべきなのか。そしてまたどのような道を歩むことになるのだろうか。未来は未知であるが、望ましい未来を日本人の皆が思い描かなくてはならない。
石油と化学、電気機械と自動車の産業を興したのは米国であった。日本は米国が興した産業の後追いをして戦後の復興をなしとげた。そしていまマイクロエレクトロニクス技術を基盤にしたモノ造り産業によって、不況下であっても貿易黒字を積み上げている。
アメリカ人が発明したアイデアで日本人がカネを稼ぐ。この構図は当たっているといっていいが、カネを稼ぐための商品としてのモノを子細に見ていくと、工夫があることは確かである。
モノ造りは日本に代わって中国やアジア諸国で行われることが盛んになっている。これが二十一世紀初頭の現実である。これは時勢である。
モノ造りで先駆けをなしたのは産業革命を起こした英国であった。英国の勢いは百年続いた。次いで米国が登場し、米国の勢いは五十年続いた。第二次世界大戦直後には米国に世界の富の六割以上があった。その米国の勢いも五十年であった。それに続いた日本はエコノミックアニマルと呼ばれ、政治と文化面ではのっぺらぼうの顔をしてモノを世界に売りまくった。この期間は二十年であったが、今後もこのことが続くのであろうか。
中国とアジア諸国は、かつての日本と同じように見えるモノ造りで経済を振興させている。中国とアジア諸国の勢いはこの後どのくらい続くことであろうか。これらの国々でモノ造りが行われるという時勢は止めようはない。
かつてモノ造りで世界に先駆けた英国とそれに続いた米国は、産業資本から商業資本にかなりの部分を転化させた。投機に関しては日本の資本が及びもつかない優れた経営資質・ノウハウを蓄積している。M&Aでは日本資本は英国、米国に現状では太刀打ちできない。こうした資本の知恵の蓄積が浅かった日本はバブル経済に踊らされて、失われた十年を過ごした。これはその後も続いており、二十年になろうとしている。
資本の知恵の蓄積の浅さは、経済運営に対する政治の世界の能力とも連動している。行き当たりばったりで、定見性のない経済運営を日本政府がしている間に、目ざとい製造企業は日本から中国とアジア諸国に足場を移している。
日本人は全体的にはモノ造りに愚直とも思える姿勢で関わってきた。カネを稼ぐ方法としては、商業資本に比べて、著しく回りくどく地味なことであるけれども、それが生きる道であると決めているかのように見えた。
エコノミックアニマルと呼ばれた日本人だけがカネ儲けの亡者だったのではない。目を見張るような産業を興したどこの国の人々もカネへの執着心は旺盛であったし、いまの中国人もアジア諸国の人々もそうである。
そういう事実があるから、カネを稼ぐことに無関心な人間はどこにもいないといえる。カネなしには一日も生きられないとしても、カネを稼ぐことが人間のすべてではないことを知っていれば、日本人はバブル期にマネーゲームに踊らされることはなかったであろう。カネが人間のすべてでないと考えれば、人間の生き方に余裕が生まれるように思われる。
経済の方法としてはソ連と東欧が失敗してしまった。日本は平等主義によってマルクスの理想を一番よく実現した国であると皮肉られているが、企業が従業員との暗黙の約束を反古(ほご)にする「リストラ」を乱発するような倫理違反を続けていると、日本は失敗するかも知れない。回転率の低い産業資本は、回りくどく地味で苦労が多いうえ、チームプレーが求められるからである。
■社説・景気低迷は計測技術の停滞に起因する(02年1月13日2429号)
日本の景気の山が2000年10月であったことを内閣府が発表した。景気拡大は1999年2月からで、拡大期間は21カ月間であった。今回の景気拡大の期間21カ月は戦後最短期間であり、この期間の成長率は単純平均で一・八%と低かった。物価はこの期間中下落が続きデフレとなっていたため名目成長率はマイナス〇・一%である。実質成長率と名目成長率はインフレ経済時代とは全く逆の現象が現れている。
日本の景気後退は米国経済の後退と連動しており、米国向け輸出が多かった情報技術関連の打撃がそのまま影響した。国内の消費需要が低迷しているため米国向け輸出の現象がそのまま景気に反映した。
日本経済のデフレ現象が長期にわたって続いている。生活物資の価格低下は一面では望ましいものの、バブル期の過大な諸投資のうち不動産関係の借入金による投資の一部は返済不能となり、金融機関の正常な活動に支障をきたし、それが同時に日本経済への重しとなっている。
景気が低迷するほどに不良資産が増大することが日本経済が抱えている難問である。デフレ経済の進行は勤労者世帯の不動産資産の目減りとなるため、消費意欲に悪影響する。一方で日本からの資本投資と技術移転を背景の一つにした中国などアジア諸国の産業発展は、日本市場への低価格諸物資の供給として作用している。
日本企業の多くは特別な高度技術関連を除いて中国などアジア諸国で生産をする行動に出ているため、日本国内での鉱工業生産は伸び難くなる。農産物等もアジア諸国からの供給がいま以上に増大することになる。
以上のような現象がなぜ起きるのか。
技術や知識は情報として理解できるが、情報の伝達とその情報に基づいての技術や知識を、商品生産に振り向け易いのが、情報化社会の今日である。情報の伝達速度が上がるほどに、地球は小さく、狭くなる。いまのアジアと中国は、産業の立地としてはかつての首都の郊外あるいは東北地方と似た状況にあるといってよい。
日本の産業が低迷し経済が拡大しないのは、新しい技術による新しい産業が起きてこないことに起因する。一般化した普通の技術は海外に簡単に流出する。日本産業の再復興の鍵の一つはナノテクノロジーであるとされ、こうした高度技術によってこそ、他国や他人に簡単に真似されず、思うままの価格で売ることができる商品を生産できるのだという。
超微細加工技術の裏付けは超微細計測技術である。人類は道具を発明し、その道具を改良することを通じて商品生産を拡大し、ひいては文明を発展させてきた。
道具の発明と改良などその発達は、人類の思考の結果としての科学知識の向上に連動してきた。人類の思考は計測と深い縁をもっており、計測こそが思考の発達に影響することから、「計量は文明の母」であると前計量史学会会長の岩田重雄博士が言い切っている。
その言葉を借りると次世代の日本と世界の新しい産業を創り出す基礎技術は計測技術であるということになる。ということであれば、日本の計量計測機器産業が他の産業と有機的で緊密な関係をいま以上に結ぶことが求められる。これは計測技術者とその範疇に含まれる計量士にも同じように言えることである。
計量計測機器産業は自己の技術を一層掘り下げることと合わせて、自信と勇気をもってその技術を得意先等の一般産業に売り込まなくてはならない。自己の技術に自信がない者を他人が信用することはないからである。
日本の景気低迷の真の原因は新しい技術が生まれてこないことにあると考えると、新しい計測技術が生まれていないからであるということになる。
■社説・日本人は面倒なことに挑む精神を尊べ(02年1月1日2428号)
「景気が悪くなるとNHKテレビと朝日新聞がよろこんで報道する。NHKのアナウンサーの声が弾んでいるように見えるのは、景気に翻弄されたもののひがみであろうか」とある経営者が語っていた。ひがみっぽく思えるが当たっている。
2001年度の実質経済成長率はマイナス1・1%となる。二〇〇二年度はマイナス〇・五%の見通しだ。翻って二〇〇〇年度はプラス一・七%であった。
企業はバブル期に抱えた工場設備、土地、株式などの債務は景気が後退するほどに、「過剰」現象を示すことになる。バランスシート(貸借対照表)上の不均衡を是正しようとすると、債務の返済を優先することになり、設備投資は控えられる。デフレ経済のもとで収益力を安直に確保しようとすると、過剰人員の整理ということになり、これが今の世にいう「リストラ」である。GDPに占める個人消費の割合は60%を超えているから、消費者心理に縮み志向がでてくると景気に大きく影響する。過剰投資となったバランスシートを改善しようとする企業は銀行から借りたお金を返すことに熱心になる。優良企業ほどその志向が強いから、銀行はお金を貸す企業を国内で見いだしにくい。公定歩合がいくら下がっても資金の動きは活発化しないのはそのためである。自動車販売の急増はゼロ金利ローンによるもなだから、一時的な現象であろうが、ホンダのニュータイプの小排気量の乗用車「フィット」は数ヶ月先までの需要をかかえている。消息筋の話では輸入物の変速装置が間に合わないからだという。
技術革新、新商品、新市場というこそが経済発展の原動力だというシュンペーターの理論は日本経済の現状を解く鍵である。現代の技術革新はパソコンとインターネットの世界で起きており、それはアメリカが先導役であった。少しお勉強ができることを尊ぶ日本の人間教育は決して成功していない。前内閣の堺屋太一経済企画庁長官の差し金によって小学校でパソコンのキーボードに触れてみた森キヨシ総理大臣のパフォーマンスは愛嬌であった。
政治も経済も何ごとも、正しい理論が正しい結果を導く。技術革新の大波を引き起こせていない日本の産業社会は、低コストを求めて投資環境の有利な中国その他のアジアの途上国で製品をつくって日本にいれる。どの産業も一斉にこれをやるから、日本の物価は低下し、GDPは低迷する。このような現象は過去にヨーロッパとアメリカで起きた。日本の歩いている道はいつかきた道であり、この現象の終結点は見えている。
一般化した技術でつくれるものは中国など海外に出てゆく。他が真似できない高度な技術あるいはサービスを基礎にした産業が国内に残る。だから単純に海外に出ていくことが全てではない。海外にでて成功することは素晴らしいことである。国内にあって事業を成功させることは前者に増して素晴らしいことである。日本人は面倒なことに面白がって挑む精神を尊ぶべきであろう。
- 社説・基礎学力と人間力が不足している日本人(02年4月28日2443号)
- 社説・地方分権と計量行政の在り方(02年4月21日2442号)
- 社説・計量法と計量行政の仕組みの変更(02年4月14日2441号)
- 社説・計測トレーサビリティ制度と計測の確かさ(02年4月7日2440号)
- 社説・ ダイオキシンの計量証明のための計量法改正の内容(02年3月31日2439号)
- 社説・ デジタル情報通信革命の進展と計測技術(02年3月24日2438号)
- 社説・計量行政の実務を分掌する神奈川県計量協会(02年3月17日2437号)
- 社説・計量史学の発展に貢献した人々(02年3月10日号2436号)
- 社説・商品をどう作りどう売るか(02年3月3日号2435号)
- 社説・陳腐な言葉の羅列の長い話は聞きたくない(02年2月17日号2434号)
- 社説・計測技術と現代人の健康(02年2月10日2433号)
- 社説・情報化時代と企業倫理の確立(02年2月3日2432号)
- 社説・日本経済と「まけんるもんか」の精神(02年1月27日2431号)
- 社説・日本人が失敗しないための方策(02年1月20日2430号)
- 社説・景気低迷は計測技術の停滞に起因する(02年1月13日2429号)
- 社説・日本人は面倒なことに挑む精神を尊べ(02年1月1日2428号)
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