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それからのメートル法−ヤードポンド圏からの離陸支援を−   多賀谷 宏              

メートル法がフランスだけで組み立てられた理由

 

@フランス革命が隣接する諸国に伝播することへのヨーロッパ内、とくに各国王室(オーストリア・ロシア・イギリス・ドイツ)に直接的な恐怖を与えたこと。つまりこの時期、周辺諸国はフランスとは少し距離を置いて接したいと考えていたこと。

Aパリ科学アカデミーがダンケルク(フランス)からバルセロナ(スペイン)間という子午線実測区間を特定したこと。つまりフランスとスペインとの2国間にかぎられ、実質その大部分がフランス領内だったことに、なにか独占的な印象を持たれ反発を呼んだこと。

Bそれでいて測量実施中に両国が戦端を開いたため、ロデーズ以南、特にスペイン領を含む地域担当であったメシェンのグループが現地で少なからぬ苦難と妨害を受け、この区間の測定に大幅な停滞が生じ、これが実測完成への危惧を招いたこと。

Cメートル法により民族や国境を越え、時代的にも継続性・普遍性をもつ度量衡制度改革を実現するということでフランス革命は大きなチャンスをもたらしたわけだが、功ばかりではなく罪も少なからずもたらした。革命委員会による政治的偏見から、フランス、いや当時のヨーロッパ随一の実験科学者であったラヴォアジェを逮捕、しかもその釈放を求めたボルダを含む5人(ボルダ、ラヴォアジェ、ラプラス、クーロン、ドゥランブル等)を臨時度量衡委員会から追放し、あげくの果てにはラヴォアジェを処刑、獄中も続けていた彼の質量測定を中断させるという愚挙を犯してしまったこと。

Dアメリカは、メートル法そのものには当初から強い関心を持っていたし、事実メートル原器が各国に分配された直後に国際度量衡委員会が検討を開始した光の波長にもとづく再定義に備えての研究には全面協力し、委員会からの要請を受けて米国から当時の光波 長測定の第1人者であったマイケルソンを国際度量衡局(パリ近郊・セーブル)に3年も派遣して、メートル原器とカドミウムの赤色光波長との比較測定を担当させていたほどである。しかし不幸なことに国内では独立と建国の日も浅く、対外的には英米戦争や独立時にフランスからの強い干渉を受けた経緯もあって、何事につけヨーロッパからの政治的干渉を受けることを極度に警戒していた時期でもあった。1798年に子午線の測量がやっと終わったが、その6年後に駐仏公使になったモンローは、ある条約をめぐって米仏 関係が極度に悪化したあおりで解任され、後に大統領に選出されてからもモンロー宣言の第三項で「欧州の制度の西半球への拡大に反対する」などとした「名誉ある孤立主義」を打ち出し、以後政治的には対欧州にはもっぱら閉鎖的・消極的、逆に対アジアには膨張的・積極的外交策をとるという、米国一流の対外政策が長く引き継がれたこと。

Eイギリスでは、この時期いろいろな事情が積み重なってフランスとは不仲の状況が長く尾を引いていた。18世紀後半から19世紀にかけてイギリスとフランスは、アメリカの独立過程での主導権争いや、世界市場の貿易システムにおける、お互いの覇権争いを繰り広げ、結局フランスはこのいずれにも大きく破れた結果、経済の破綻を来し、それがフランス革命の遠因だとされている。フランス革命に対するイギリス国内の評価も賛否が極端に別れた。しかしイギリスもまたフランス革命と自国の産業革命という‘二重革命’でヨーロッパの中でも特に大きな衝撃を受け、また警戒の高まった時期である。国内でも王室の圧政や寡頭政治をめぐり保守・革新両派が台頭、しばしば国論が二分されたことなどの背景があって、その一部は20世紀初頭にづれこむ程の長い期間にわたり両国の不仲の下地となったこと。
 また産業革命は華やかな繁栄をヴィクトリア朝にもたらしたがその反面、19世紀末のイギリスは深刻なデフレ不況に見舞われた。それは現在おなじような状況に見舞われているどこかの国の比ではなく、1873年から1896年までという4半世紀に近い長期にわたっている。原因は石炭エネルギー利用の発達による生産性の向上が過剰生産をもたらし、物価を下落させたということであるが、この不況が経済への足枷となって、多額の予算措置を要する度量衡単位の切換に背を向けさせる遠因になったことも考えられる。  さらにパリ科学アカデミー提唱の子午線案に対してイギリスは1秒の振幅をもつ振り子の長さを1メートルの基準にすることを提案し、これが否決されたことで提案に同調 していたアメリカと共に不満を持ったことや、ロード・ケルヴィン卿等がこの頃、電気 単位を含めてCGS単位系を考えていたこともあるいは影響があったかも知れない。

 このイギリスの提案が拒絶されたことに関して、読者の中に「計る」に集まる視線に記した現在の1 メートルの定義のことを思い出した方が居られるかもしれないので、ちょっと触れておきたい。あそこで現在の1メートルの定義は子午線の長さから離れて、「1秒間に光が真空中を進む長さ」をもとにして決められるようになっていることを説明しておいた。つまり20世紀の末に決議されたこの定義改訂によって、振り子の長さと光速度という違いはあるにしても「1秒間」という時間が、「長さ」と「時間」という2つの基本単位に深く関わってきたことに注目されたかもしれない。200年の‘時の流れ’?とはいえ、1メートルの定 義をめぐる昔の英米両国の提案が辿った経緯との因縁を感じさせられる。またこの事は、もはや両国とも200年前の基本単位メートルの定義設定におけるこだわりが仮にあったと しても、いまやそれに終止符を打って良い時期になったという意味にもなろう。

 ここで、ふたたび小説「子午線」に戻る。

この作品はもちろん長さの基準‘1メートル’の基礎を、子午線の1/4000万に求めた臨時度量衡委員会と、実測に当ったドゥランブルとメシェンという現代フランスにおいてさえも、もはやその名を識る人は少ないと言われる地味な科学者達にスポットを当てることにあったようである。彼らを支援した人々を含め、思いがけず遭遇した革命との係わりを、その家庭生活や科学者仲間との交流にまで立ち入って描いている。著者であるフランスのシナリオライターが 200年前の新聞記事を引用しながら書いたとされているところから、果たして史実にどこまでが忠実であるかは判らない。

 しかし「所詮、歴史は得られた資料から著者・研究者の解析能力で割り出されるものである」とは、自身でラテン語やギリシャ語の原文献はもとより、エネルギッシュな現地調査をもとに長らくローマ史を調べあげ、専門の研究者を凌ぐ作品として十年以上にわたり発表し続けている作家、塩野七生氏の言葉である。そうであればこの「子午線」も形式は小説ではあっても数学者で科学史家でもある原著者の手になるだけに、その記述や表現には物理、数学、冶金、天文、測地など科学史的な視点が常に忘れられることなく裏打ちされている。また当時までの学問分野別の歴史的な経過や有名無名の科学者達との関わり具合についても、時に応じて触れられているのが読む者に信頼感を呼び込んでいる。

 たとえばこの時、長さの単位と共に新しい質量の単位キログラムを制定するために、水の密度測定がラヴォアジェによって開始されていたが、彼はまたフランスの新しい通貨の切替すなわち王政下の“サンティーム”貨幣から革命後に制定される“フラン”貨幣への切替え鋳造に備えての、旧貨幣の重量の精密測定をも担当していたこと、さらに彼の測定の後継者に誰が指名されたかについてまでも周到に触れていて、革命期における科学者達の多様な佇まいと、その歴史的なしがらみや人間模様を描いており単なる小説で終わらせていない。

〈次へ〉


プロローグ 「計る」に集まる視線 小説:子午線時代の欧州 メートル法がフランスだけで進められた理由
地政学的な視点 アメリカは島国か 欧州のみで発足した背景 米英両国の切換には
インフラの課題 達成国にみる助長条件 必要な政策的配慮 切換への燭光はある
エピローグ 参考文献 プロフィール

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