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それからのメートル法−ヤードポンド圏からの離陸支援を−   多賀谷 宏              

「計る」に集まる視線

 

 昨年10月にもたらされた「小柴昌俊・田中耕一という2人の日本人がノーベル賞に選ばれた」とのニュースは、この同じ時期まで長らく謎とされていた北朝鮮での拉致事件の実態がさらされ、やりきれない空気に包まれていた日本人を、いっぺんに元気づけてくれた。また受賞を巡ってお二人のユニークな個性と暖かい人柄にまつわる数々のエピソードが紹介される度に日本中が明るく、さわやかになったと言っても良いだろう。

 ところでノーベル賞の自然科学部門には物理学賞、化学賞、生理学・医学賞とつづくが 工学賞はない。もとよりお二人の業績は物理学および化学の分野で出発した上での発明・ 発見であるが、その最終的な成果は限りなく工学部門のそれに近い。今回のニュースを聴いて私はつぎの一文を思い出した。

 「物理学と天文学にとって彼のようにすぐれた技をもつ人間は、なくてはならない存在だった。それはちょうど、ガリレオの望遠鏡なくしては天文学が発展しなかったように、また高精度の天秤なしにはラボアジェの新しい化学も生まれなかったのと同じである。(中略)。素晴らしい理論だけでは科学は成り立たない。そのための道具が必要だ。考え、理論づけをし、書き表す。それはもちろん重要だが、重さを量ったり、長さを計ったり、目で見て調べる事も科学にとっては非常に大切なことである。」 

 これは今から16年も前にフランスで出された小説「子午線」の中の一節である。この本は日本でもその2年後には翻訳出版されている。私自身は当時まったく計量とは離れた領域で飛び回っていた時期だったこともあり気付かなかったのだが、日本計量新報の計量計測「図書紹介」欄でも紹介されていたようだ。 

 著者はドゥニ・ゲージュDenis Guedjで主題は「子午線」副題が‘メートル異聞’、訳者 は鈴木まや、工作舎(東京)1989刊とある。フランス革命200年記念に制作された映画の原作 として書かれたものとのことでシナリオ風の書き方になっており、革命・戦争・事故・追放・投獄・処刑など激しい動きのなかに、地味な子午線の三角測量を完了させるまでの、当事 者二人(ドゥランブルとメシェン)とその周辺の人々の姿が克明に描かれている。原作者はパリ第8大学で教鞭をとる数学者で、この作品では優秀シナリオ賞を受賞している。

 メートル法の誕生については沢山の著作が出ているので、ここでは簡単に紹介するだけに止めるが、この小説は18世紀に万国共有の度量衡単位を提案しようとするフランス科学アカデミーが、各国に受入れ易いようにと長さの単位「1メートル」を、地球上どこにでもある子午線の長さの4千万分の1とすることに決定したため、その根拠になる子午線の実長を、できるだけ正確に割り出そうとした二人の科学者の物語である。折り悪しくフランス革命に遭遇したため、予想外のトラブルがいくつも発生したために実測グループの作業は度々中断する羽目になったが、それでも当事者の努力と若干の幸運にも恵まれてどうにか完了するまでの測量学オデッセイである。もちろん200年近くも経過してしまった現代 、この値はそのまま継承されている訳ではない。今日ではこの1メートルの長さは子午線 の長さに基づく定義から離れて、1秒間に真空中を光が進む長さを、ある数で割った(逆数で言えば掛けた)形で定義し直されている。しかしその源が当時の最高水準の科学者達に よって得られた子午線の実測値であったという歴史は変らない。

 さて「工学は理学的な発見が得た成果を社会に還元するための総合の学である」とは、先年亡くなられた猪瀬博先生(元、情報工学研究所長、文化勲章受賞者)の言葉であるが、私はノーベル賞に若し‘工学賞’があれば先生は当然、受賞者としての栄光を受けられていた筈であると思っている。人を賞することは真に難しいものであるが冒頭に掲げたような計測工学的な成果や、大型プロジェクト的な総合開発の大切さに今、改めて世界の耳目が集まるようになっている。その背景として、ここに引用した「子午線」測量のような地味なテーマが映画にまで仕立て上げられるような動きが欧州に一足先に現れたかと思っていたら、日本でも先ごろ伊能忠敬の日本地図作成の測量物語が映画化されている。こうしてみると計ることや、地道な計測技術の総合的開発による実証が示した「理学の得た成果 の社会への還元」に対しても、しかるべき正当な評価が与えられるようになってきたと云えるかと思う。

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プロローグ 「計る」に集まる視線 小説:子午線時代の欧州 メートル法がフランスだけで進められた理由
地政学的な視点 アメリカは島国か 欧州のみで発足した背景 米英両国の切換には
インフラの課題 達成国にみる助長条件 必要な政策的配慮 切換への燭光はある
エピローグ 参考文献 プロフィール

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