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それからのメートル法−ヤードポンド圏からの離陸支援を−   多賀谷 宏              

地政学的な視点

 

 さてここで私がメートル条約の揺籃期の出来事や各国の対応に当てはめてみられないかとしている‘地政学’的視点について少々説明を加えておく。「地政学」(Geopolitics)は19世紀にドイツで生まれアメリカで大きく育ったと言われている。ただ不幸なことにナチス・ドイツや旧ソ連にうまく利用されただけでなく、一時は日本でも旧陸軍に誤用(悪用というべきか)されたことがあったためか、わが国では以来キナくさいものとして敬遠され てきた経緯がある。また事実、人によっては学問としての整合性がまだ不十分だとされたり、いや意図的に整わせられていないのだとさえ云われている。しかし未完成の手法だから無用かというと実はそうではなさそうで、近代ないし現代の中近東やバルカン半島の紛争の現実と背景を、国際的な力学あるいは戦略として解くのに、この視点で見たり考えたりすると分かりやすく有用であることが最近指摘されている。むしろ今日では米英両国だけが秘かにこの地政学的手法を独占的に活用していると見ている人も少なくないようだ。

 しかし、そうは言っても近現代の生臭いとも見られる国家戦略から育成されてきた地政学的な見方を18〜19世紀のメートル条約揺籃期に、そのまま当てはめることには無理があ るかもしれない。それでも人間社会の出来事には、どうも時代による表面的な差異はあるにしても、人々の行動や直接的に意図することの本質的な性行には、個々の時代を越えた共通性・普遍性があると見ることができるようである。 

 もともと地政学はドイツ人の地図好きから出発したようである。彼らは本質的に地図を見ることが大好きな国民であり、単に地図上の国境だけに捉われることなく地理的な状況把握にも習熟していて、英、米、仏人には無い特性であったと云う。それは長い歴史の変遷過程から自分達のルーツや自国の、あるいは自国と隣国との国境の変化などについて、常に正確で冷静な目を持ち続けてきたという固有の経験則にもとづくものかもしれない。常に四面を海に守られてきた我々日本人には、おそらく想像の及びにくい目で見つめてきたのであろう。現在でもこの伝統は活きているようで、本当に良い地図づくりは英仏ではなくドイツの地図会社に頼まなければならないとさえ云われているくらいである。「ドイツ人は条約上の国境ではなく地理・地形を読んで発展の手がかりを掴む訓練を受けてきたのであって、彼らの現実的政策は頭のなかに在る地図と結びついてきた」とは、事実上現代の地政学の始祖とされているイギリスのH.J.マッキンダーの分析である。

 我々日本人にとっては世界史や国際環境を、長い間つちかってきた先入観から一旦離れた冷徹な目で見つめ直すということは、たいへん不得手なことだが、好むと好まざるとにかかわらず日本の置かれている国際環境が激変しつつある近年であればこそ、地政学であれ何であれ時にこうした別な視野からの観察を試みることが、これまで気付かなかった必要なこと、大事なことに気付かせてくれることは誰もが無意識に経験していることであろう。メートル条約の揺籃期に抱え込まれた諸問題、そしてそれが今日に残した課題を正確に見つめる手段として、さらに今日残されたヤードポンド圏へのメートル法の導入など具体的課題と将来への対応策を考える上で手法的に有用でありそうなら、たとえ生い立ちに曰く因縁があった地政学といえども無視することなく活用すべきではなかろうかと私は考えた。

 ところでいま「ヤードポンド圏へのメートル法の導入」と、いかにもあっさりと書いてしまったが、後述するようにアメリカ・イギリスのような先進国でのメートル法への切換 が、21世紀に入ってしまった現代社会では如何に困難なことであるかを考えると、事はさほど簡単に表現すべきではないようである。ましてそれがこれまでその実態が正確に把握されていないにもかかわらず、どれだけ国際経済社会に膨大な負担を強いているのか、そして日本のような国が、こうした国際社会の問題について将来どのような役割が果たせるのか、あるいは踏み込むべきかといったことなどまで考えておかなければならないとすれば、決して容易に答が見い出せる問題ではない事も明らかである。しかしながらこれまでの歴史的経過を考えると全地球的に見ても、これは自然放置のままに解決策が見い出されてくる筈もないことである。現状はどこで、誰が、いつ行動を起こすかさえも定かでない。こうした状況の中であればこそ当面、検証しておくべき問題点は何処にあるのか、着手が比較的容易な対応策にはどんなものが存在するのか、などを分析しておくことは先々の事態打開のために有用であろう。そのためにはこれまでの先入観や固定観念を一度離れた思考法が必要であり、この地政学的視点での再検証がひょっとしたら有用性をもっているのではないかと私には思えてきたのである。

 「地政学」という言葉を既にどこかで目に、耳にされた方も多いことであろう。先にも述べたように19世紀にドイツで生まれアメリカで大きく育ったものの、過去にややキナ臭い歴史があったので人によっては毛嫌いされてもいる。ところが近〜現代の国際政治、長期におよぶバルカン半島、中近東、パレスチナ等での紛争、最近ではアフガニスタンやイラクと目まぐるしく激動する現実と背景などが解りにくいとき、日本人には地政学的な見方をとると、多くのメディアが伝える単なる宗教的・政治的な確執を背景とする表面だけ の分析よりも、かなり解き易くなるのは確かである。繰り返すが今日では米英両国だけが秘かに、この地政学的考え方を独占的に活用しているとさえ言われているのも、この辺りに理由があるのかもしれない。もともと我々日本人は四辺を海に護られ、侵略された経験がないためか、長らく主要諸外国のタテマエとしての政策的表現を、額面だけで受けとり、その内側に秘められた当事国の本音としての国家的戦略の流れや交錯した意志を冷徹に見とおすことを不得意としてきた。しかし最近のように地球が狭くなると日本が超大国の米・ロ、そして近く超大国になるであろう中国を相手にしながら、今後のアジアの中で生きていくには、見かけは島国状態に変わりなくとも、周辺諸外国・諸民族との付合い方における発想法を、これまでとは大きく変える必要に迫られていることに気付かなければなるまい。最近における東南アジア諸国や中国沿海部〜台湾、朝鮮半島などが政治的・外交的にあらわにしつつある、したたかな対応ぶりを観て、日本は後手にまわっているだけでなく確実に出し抜かれつつあると感じている人が、かなり増えているのもそうした点に遠因があるのではないだろうか。 

 この地政学に私が興味を持つようになった直接的なキッカケとしては、3ページに紹介した“オスマン・トルコ帝国へのメートル法導入史”の翻訳の際に注記や解説を書込んで いた頃からのことで、その頃から心にひっかっていた疑問が発端となっている。つまり18世紀後半から19世紀に、原因をどちらが作ったかはともかくフランス主導のヨーロッパ大陸諸国と、アメリカ・イギリスというアングロアメリカンとの対立という、まことに偏狭で奇妙な構図を招いてしまったため、本来めざしていたメートル系単位による全地球的な統 一事業が今日に至るまで停滞したままなのは何故なのか、という私が長らく抱えてきた疑 問がそれである。その疑問がこの地政学的考え方を導入することで、ある程度、整理分解 できそうだと思えてきたからである。以下にその視野からメートル法を囲む国際環境の昔 と今を観察し直してみたい。

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プロローグ 「計る」に集まる視線 小説:子午線時代の欧州 メートル法がフランスだけで進められた理由
地政学的な視点 アメリカは島国か 欧州のみで発足した背景 米英両国の切換には
インフラの課題 達成国にみる助長条件 必要な政策的配慮 切換への燭光はある
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